*堀尾金助&姥堂! *堀尾吉晴公誕生地!
*愛知県丹羽郡大口町堀尾跡1丁目
(島根県松江市・松江城主・松江城国宝)
*堀尾吉晴供養墓所! (大口町堀尾跡2丁目16 *桂林寺本堂西側
*堀尾金助&母の墓所 (大口町堀尾跡2丁目16 *桂林寺本堂西側)
*堀尾公園! 住所=愛知県丹羽郡大口町堀尾跡1丁目
*参考まで!(熱田裁断橋!)
住所=名古屋市熱田区伝馬2丁目5
堀尾公園 姥堂(再現)
裁断橋(再現) 説明板(公園内)
さくら並木 五条川さくら堤
裁断橋(再現) 裁断橋(再現)
*裁断橋由来!「其の一」
時は天正十八年(1590)秀吉の「小田原攻め」に参加するべく、
大口町御供所出身の「堀尾金助」が、北風の中を出征する情景と、
「どうか、天の助けを得て無事に帰ってほしい」と一人息子を、
尾張熱田宮の裁断橋で見送る、母の気持ちが詠われている。
「其の二」
母の願いも空しく、「堀尾金助」は十八才の若さで陣中にて病死。
その知らせを聞いた母親は、なげき悲しみ打ちひしかれている様子。
「其の三」
「堀尾金助」を亡くした母親は、毎日なげき悲しんでいたのですが、
最後の別れの場となった「裁断橋」(熱田宮)を改修して、堀尾金助が何とか、
極楽浄土へ行ける陽願うのでした。
裁断橋&姥堂(再現)
「其の四」
そして堀尾金助の死後、三十余年を経て、次第に忘れられようとしている中、
母は息子・金助の三十三回忌の供養にと、「裁断橋」の改修を思いたちます。
そして、橋の擬宝珠に、「子を思う母の気持」をきざみ込み、橋を通る人が、
金助のために、念仏を唱えてくれるよう願うのでした。
「其の五」
時は移り、かの「裁断橋」は昔の賑わいも失せ、通る人もほとんど無く、
橋の辺りには、夏草が生い繁っている。すでに過ぎさった四百年余の、
年月は夢のよう遠い昔になってしまった。
裁断橋(再現)大口町(堀尾公園内)