浅野長勝屋敷跡 長勝屋敷跡碑
*浅井長勝屋敷跡!
住所=稲沢市六角堂東町3-2-14
*浅野又衛門長勝・屋敷は、六角堂「長光寺」の南、美濃街道西の村の中にあった。
長勝は「織田家」に仕えていた。 浅野長政は長勝の養子である。
長政は天正13年(1585)五奉行の主座に列した。
長政の子の「幸長」は紀伊和歌山城主になり、元和元年(1615)福島正則の後、
四十二万六千石で広島城主となった。
屋敷跡は、六角堂で有名な「長光寺」を隔てた南側の地域で東西九十米の、
広大な敷地であったが、明治以降中央を東海道線が幅二十三米で南北に通り、
東西を二分した。東部側は「浅野本家」の居住地。
西側は浅野家の隠居屋敷となっていたと伝えられる。
長光寺の南側の「武田氏宅」のフェンスの奥に、判読が難しくなった碑が建っている。
*追記!
*村ちゃんの妻の「パステル和」アート作品!
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