まあるい地球

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日記 人間

2018-07-04 05:00:27 | 日記
日記 人間


人として在る間
人というのはもしかして
日と共に、かもしれないと思いました。
お日様の日。即ち分神。

人として在る間は、
つまり人間には、誰しもが分け御魂(分神)を宿し、離れた瞬間に死が訪れるという。死んだら人ではなくなる。
日と共にない。変化するからお化け。死んだらみんなお化け(笑)。
この世から離れられないお化けが最悪。


人間である以上、分神が宿っている。
誰しもに。それが(観音扉)発露しているか、閉ざしているかの違いが生じているだけという。

なるほどね〜…。

と、ここで、人間として生まれた釈迦に思いを馳せてみました。

どうして王子である身分であった釈迦が、その揺るぎない地位を捨て、出家しようと思い立ったのか…。

ひとつには、申し訳ない気持ち。
ひとつには、助けたい気持ち(慈悲)
ひとつには、絶大な勇気と愛を持ち合わせていた。(観音扉全開)
のではなかろうかと…。


当時のカースト制度は想像を絶する貧富の差があったようです。
幼くして母君を亡くされた釈迦のことですから、弱者に寄り添う気持ちも早くに芽生えていたかもしれません。
そこからの申し訳ない気持ち。

この申し訳ない気持ちというのは(もち勝手な妄想です)、もしかしたら、他の宗教家思想家にはいない、釈迦のみが持ち合わせていた感覚かもしれません。(出家に至るキッカケとして)


もしかしたら、この申し訳ない気持ちってのはとても崇高なことかもしれない。
崇高というか、観音扉があまり開いていないかたは持ち合わせていないんじゃなかろうか?

自慢ではないけれど、(いや、自慢でしょ!笑)
釈迦に比べたら、だいぶ小ぢんまりした話だけれど、私にも常日頃に申し訳なくなる気持ちになる瞬間があるのです。
それは、トイレ掃除をして下さっているかたに遭遇した時。
毎度毎度、なんとも言えない申し訳ない感情が湧き上がります。

仕事として従事していらっしゃるのは承知しておりますが、それでも頭が下がる思いでいっぱいになります…。
大半の方がご高齢のせいもあるかもしれないけれど。

人が嫌がることをして下さるかたには頭がさがる。申し訳ない。ありがたい。



今日も一日、ありがとうございます!