日記 痛みのあとに覚醒
覚醒するには、本当に痛みは必要なんだろうかと、考えてみたいと思います。
火事場の馬鹿力。然り。
雨降って地固まる。然り。
馬鹿は死ななきゃわからない。微妙。
サイヤ人覚醒。然り。
まあ、平時以上の力が、発揮しやすくはなることは理解できますね。
そしてそんな痛みを繰り返し乗り越えたなら、覚醒の扉は開くんでありましょうか?
サイヤ人覚醒動画を見て思うのは…
よっぽど…って、
よほどの痛みを乗り越えてこその、覚醒かなと。
覚醒への道のりは遠いね。
まあ確かに、だから覚醒者が滅多そこいらにいないわけでありますね。
つまりそんな痛みすら、そうそうに転がっていないのが世の中なんではなかろうかと。
また、そんな痛みに出会したなら、そりゃやっぱり千載一遇のチャンスなんでありましょうね。
自殺まで考えるような不安要素があるのなら、裏を返せば、やっぱりそれは覚醒へのチャンスなのかもしれません。
死んでしまったんじゃ、本当、もったいないのにな。