
国民の不平等は、不健康な、より幸福でない生活をもたらし、若者の堕落、暴力、肥満、収監、中毒を増大させる、やがて社会そのものを、その社会とは次元の異なった国へと変えようともがき、国民間の相互の関係も破壊する。不平等のストレスは、人々を消費へと駆り立て、無駄使いや環境汚染や資源の枯渇さえもたらすと言う人もいます。
イタリアの統計学者ジニ(Gini)が考案したことにちなんで,ジニ係数と呼ばれる社会における収入格差の程度を計測するための指標がありますが、中国では極端な格差が発生し、最近はその係数さえ公表しなくなりました。
(西南財経大学(四川省)調査によると、中国の「ジニ係数」は2010年で0.61となり、警戒ラインとされる0.4も社会不安につながる危険ラインとされる0.6も突破しているそうです。地元政府に対する暴動が頻発する今日の社会状況と対応しているようです。)
国際連合は、差別とは「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である。」と規定します。
現在、ジニ係数が比較的低い平等大国日本もかつては、身分差別、男女差別の差別大国でした。P
戦後、日本国憲法で、第14条第1項において、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定され。この規定を受けて太平洋戦争前には認められていなかった女性の参政権が認められ、また男女雇用機会均等法などの法令が制定されました。
また平等をもとめる根拠として、日本国憲法、13条は「すべて国民は、個人として尊重される。」と規定します。
それは個人の尊厳、人間の尊厳、を規定したとも言われます。人間の尊厳性の概念は、古くは自己目的性と自律性と主張したカントの思想にも通じますが、ナチスの非人間性を反省した、戦後の西ドイツ基本法1条の「人間の尊厳は不可侵である」、同法2条「各人は、他人の権利を侵害せず、かつ、憲法的秩序または道徳律に反しない限り、自己の人格を自由に発展させる権利を有する。」との規定にも通ずると言われます。
平等や人間の尊厳を求める思想は、戦前の日本では早く、明治時代に平民社が結成され、日露戦争に対して非戦論を主張するなど平和を主張した平民新聞は1903年11月から1905年1月29日まで第64号まで刊行され、1904年11月13日に、創刊1周年の記念として『共産党宣言』が掲載されました。1917年のレーニンのロシア革命の13年も前の日本の歴史です。
人間の尊厳も大正デモクラシーにおいて、すでにあった思想です。(・・われわれは、自分自身を低くみたり、おく病になったりして、これまでたくましく生きてきた祖先をはずかしめたり、人間の尊厳をおかしたりしてはならない。人の世がどんなに冷たいか、人間を大切にすることが本当はどんなことであるかをよく知っているからこそ、われわれは、心から人生の熱と光を求め、その実現をめざすものである。-はこのようにして生まれた。「人の世に熱あれ、人間に光あれ。」1922年3月3日 全国創立大会)
日本のの結成に触発されて韓国では1923年、衡平社が結成され、白丁の身分差別解放運動を果敢に闘った時期がありました。しかし、日本の植民地支配、朝鮮戦争混乱で、白丁自体がなくなりました。J
李氏朝鮮は中国朝貢はあったものの、江戸時代の日本のように鎖国政策をとり、海外派兵もせず、日本と同様に民族自決権を維持した国でしたが、国内では、両班、中人、常民、の身分制度で構成され、両班が約5%、中人が約2%で残り90%以上の中でが40%以上、常民という一般民は50%でした。は、「七般賎役」といって、、白丁、芸人、巫子、キーセン、皮履を作る革職人、僧侶などで、最近までは、旧階層で差別する伝統もまだ強く残っていました。
しかし、2008年1月1日から韓国は戸籍制度を廃止し、家族関係登録制度に変わりました。
戸籍制度では世帯主とその家族で構成されており、戸籍謄本で親や兄弟の親族関係が明らかになったのですが、個人登録の家族関係登録制度では、差別の温床である親族関係が分からなくなったそうです。しかし、日本人と同じく、外国人には差別感が強く、同じ言葉を話す民族にもかかわらず、中国朝鮮族や北朝鮮脱北者に対する差別は強いものがあります。また、芸人、巫子や地域間での差別(全羅道と慶尚道とか)の差別については、まだ、差別が騒がれることがあるようです。J
「中華人民共和国憲法」第4条は「中華人民共和国の各民族は一律に平等である。国家は各少数民族の合法的権利と利益を保障し、各民族の平等、団結、互助関係を維持・保護し発展させる。いかなる民族に対しても差別と圧迫を禁止し、禁止民族の団結の破壊と民族の分裂をもたらす行為を禁止」と規定します。
国家は各少数民族の特徴と必要に応じて、各少数民族地区で経済と文化の発展を加速させることを助け、各少数民族が居住する地方では区域の自治を実行し、自治機関を設立し、自治権を行使します。各民族は全て自身の言語・文字を使用・発展させる自由を有し、全て自身の風俗習慣を保持或いは改革する自由を有します。
しかし、中国では出身地や親の戸籍によって、都市部住民と農村部住民とに戸籍が明確に区別されています。これは、古き悪しき封建性を維持した身分制度ではなく、共産国家を目指した中国が農村生産の集団化・社会化を図ろうとした人民公社の実験で新たに生まれた差別でした。
農民は都市部への移住は、都市での結婚・就職・大学入学や軍歴など以外には基本的にはできず母の農民戸籍を引き継ぎます。最近は都市に農村から出稼ぎに行く民工(農民工)の増加に応じて一部の都市では、都市戸籍を与えたり、臨時戸籍を設けるなどの改善もありますが、農民戸籍のまま働く農民工が大多数です。都市部で農民工は、最近は賃金遅配はかなり改善されたものの、社会保険加入者は依然として少なく、年金をもらえず、老人ホームは入れず、医療や子供の教育などの行政で差別され、就職・賃金・労働条件などの収入面でも差別されています。農民工の子どもは、義務教育でも都市戸籍の子どものように公立学校へは通えず、多くが農民工自身が作った民工学校に通います。
不平等は民衆の連帯心に共鳴をもたらし始めています。2010年に出稼ぎ農民工で地下道ライブをしていた王旭と劉剛が歌った「春天里」はネットで大きな共感を呼び、2011年春節の「春節聯歓晩会」等でも歌われました。「春天里は中国人の心の歌だ。都市と農村、夢と現実の衝突と交差を歌っている。都市と農村の格差を縮小し、二極分化を解消し、より多くの社会的弱者が春の日の光を浴び、勤労者、努力する者が老いて保障を得られるように。これが中国人の夢と現実だ」と人民網は報じました。
2011年6月、広州市新塘鎮で露店商の女性に治安当局が撤去を命じたことに周囲にいた農民工らは反発し、1万を超える大規模な抗議デモにも発展し、警察に代わって軍が出動しました。民族自治問題や土地の強制収用や公害抗議のデモでもなく、社会矛盾を背負う民工という組織が大規模なデモを起こし始めたのです。
毎年増加する農民工は2011年統計では、人口の18.7%にあたる2億5278万人にもなったと公表されています(戸籍の郷鎮以外の地域で6カ月以上働いた農民籍労働者の集計)。
農民工の増加や団結状況は、中国社会での不安定要素となっており、その改善のため政府が農村籍への医療保険の投入を大幅に拡大させたことも背景にあって、農村籍住民の収入の伸び率は3年連続で都市部住民の収入の伸び率を上回りました。2010年の都市部の全国平均年収に対して農村居住者の全国平均年収は3分の1以下しかありませんでした。行政の影響で、2011年の全国の農民工の年収平均は24,588元(約36万円)に一時的に上昇したとも言われています。(2011年の全国の民間企業の年間平均給与は24,566元(約36万円)でしたから、2011年の農民工の年収は、一時的に全国民間の平均収入に並んだとも言われます。)
しかし、2011年の全国都市部の国営企業で働く人の年間平均給与は42,452元(約63万円)に比較すると、農民工の収入はまだ半分程度です。また、依然として、生涯収入の格差や行政制度処遇の格差は大きいものがあり、交通死亡事故の賠償金まで差があるそうです。命の値段も違うとのかとの批判さえあります。(2005年の娯楽ドラマ生存之民工「生存の出稼ぎ農民」は2013年に「春天里 」として再編集されネットと衛星テレビで全国放映されることになりました。)
また、中国の55種の少数民族には、各自の言語、文化を維持する権利が保証されている一方で、当然民族差別もありますが、1982年から「少数民族出身者の身分の回復」が認められ、少数民族であると就職、修学試験、計画出産において優遇政策がとられる一方で同化政策がとられてきました。今日の漢族の多くは、もう55種の少数民族と漢族との格差は服装、歌舞、飲食の組み合わせによる「風俗」に過ぎないとも思い込んでいる様子ですが、少数民族側には、まだ反発があり、チベット族やウイグル族の自治区では、暴動を起こすほどの反発を招く大失政を起こしています。
少数民族といっても11億人以上いると言われる漢族と比べて少数なだけで、チワン族はチリやオランダと同程度の人口で、満州族、回族はハンガリー、スウェーデンと同程度の人口でその累計は1億人以上で日本の人口並みなのです。ホイ族と満族は漢語を使用しますが他の各民族は漢語の他、民族の母国言語を基本的に使用しています。
しかし(チベット族やウイグル族を別にすれば)55種の少数民族と漢族が戦争を起こすこともなく、一応、他民族国家・中国は、56種類の多民族統治で少数民族と漢族とを融和・共存させ、よく統治しています。それには、中国が古代に国家として誕生して以来、多くの時代が多民族の支配国家であった歴史の影響もあるのでしょうか。古代の夏・商・周の時代の統治も「四夷」といわれる「非中華」の異民族によって中華文明は開花されました。共和国となる辛亥革命前の清国王朝も漢族とは異民族の満州族の支配下でした。それと、中国共産主義思想がかつてのユーゴのように民族間の求心力を発揮しているようにも思います。
最近のDNA等の調査の結果では、現代の漢族とは、さまざまな民族の特質が混ざったもので、類似の中国言語を使用する他は、いかなる特定民族の共通性も特質も表れなかったそうです。漢族も元は多民族だったのです。しかも、(北京語が標準ですが)漢族の訛りも地域で様々に違います。
今日「民族区域自治」の実施によって5自治区、30自治州、120自治県が設立され、内44の少数民族が独自の言葉と民族文化を温存した民族教育を行い、民族独自の自治を行っており、中国国土のうち85%が、少数民族の自治下にあります。
少数民族地域は観光地ともなっていますが、貧困層が多く、水道・電気・交通・通信・教育・医療などの社会インフラも未整備地域です、工業化した中国東部と少数民族自治地域が多い西部の間ではGDPで約2倍の格差があるとも言われます。J
社会の平等化を根本思想ともしたレーニン革命の成果は、皮肉にも西側社会の平等化を進めてくれました。官僚化した共産党による独裁政治による平等化に失敗したソ連の政策を毛沢東も模倣したのではないのでしょうかP 。P
今日、中国の格差を一番批判している、人権大国アメリカも、かつては、人種差別大国と言われました。P
1863年に奴隷解放宣言がされ、アメリカ合衆国憲法修正第14条(1868年7月21日)第1項で「アメリカが州国において出生あるいは帰化し、その管轄下にある者は全て、アメリカ合衆国と居住する州の市民である。いかなる州も、アメリカ合衆国市民の権利や免責特権を奪うような法律を制定し施行してはならない。またいかなる州も、正当なる法の手続きによらずして、何人からも生命、自由、財産を奪ってはならず、管轄下にある何人に対しても法の平等な保護を否定してはならない。」と規定しました。
しかし、1883年のアメリカ最高裁判決は州が平等を侵害するようなことをしてはならないが、州とは「別の個人」が平等を侵害することはこの修正条項の範囲外だ、民間の企業・店舗・個人などが人種差別を行っても、それは憲法違反ではなく、私的な領域で差別があろうとも司法関与しない、という詭弁的解釈をしました。
奴隷解放宣言からちょうど100年目に当たる1963年、人種差別撤廃を求める約25万人のワシントン記念塔広場を埋めた8月28日のワシントン大行進(マーティン・ルーサー・キングの「I Have a Dream」演説)がありました。
人種隔離政策と南部諸州において広く続けられてきたアフリカ系アメリカ人の投票阻止を終わらせるために作成された公民権法は同時に雇用主に対し平等な雇用機会の提供を義務づけ、職場における人種差別も禁止したものでした。
1963年7月、この法案に民主党ジョンFケネディ大統領がテレビで国民に対して演説もしました。「今日、地域に関係なく、アメリカで生まれた黒人(アフリカ系アメリカ人)の赤ん坊が高校を卒業する可能性は、同じ場所で同じ日に生まれた白人の赤ん坊の半分である。大学を卒業する可能性は3分の1、専門職につく可能性も3分の1である。失業する可能性は2倍だが、年収が1万ドルを超える可能性は7分の1である。推定される寿命は7年短く、予想される収入は(白人の)半分に過ぎない。・・」
1963年11月には法案はまだ議会で討議されている最中にケネディ大統領は暗殺され、遺志を引き継いだ民主党のリンドン・ジョンソン大統領時代の1964年にようやく公民権法案は通過しました。そして、マーティン・ルーサー・キングも1968年4月4日、テネシー州メンフィスで暗殺されました。
キング牧師が暗殺に際し「私の家族も白人の手によって殺された。今この国に必要なのは分裂ではない。今この国に必要なのは憎しみでもない」とインディアナの黒人街で故ケネディ大統領の弟・ロバートケネディ上院議員は演説しました。そして同年6月にロバートケネディ上院議員も暗殺されました。(一連の暗殺の背景には、人種差別主義者、ベトナム戦争に絡む米国軍需企業、CIAなどの関与もささやかれましたが真相は闇に包まれたままです。ケネディ大統領が就任した時代は冷戦時代で、ビッグス湾事件、フルシチョフとの対決、キューバミサイル搬入危機など、対応を誤ったら核戦争に突入する危険性もありましたが、ケネディ大統領はこれらの危機を、乗り切った反面、CIA改革、マフィアの撲滅などの政策を主張した弟のロバート・ケネディーとともに改革を進めて行く方針を示し、ベトナム撤退も打ち出したために、CIAやアメリカ軍部・軍需産業からも猛烈な反感を買っていました。)
We must not allow our creative protest to degenerate into physical violence.
(我らは創造的な抵抗運動を荒っぽい暴力に堕落させることを許してはならない。)
マーティン・ルーサー・キングは非暴力の運動を呼びかけました。
...In spite of the difficulties of the moment, I still have a dream. It is a dream deeply rooted in the American dream.
I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed: "We hold these truths to be self-evident: that all men are created equal."
・・
(…現状の困難に直面してはいても、私にはなお夢がある。それはアメリカン・ドリームに深く根ざした夢なのだ。ある日、この国民が立ち上がり、「すべての人間は平等である」というこの国の信条を実現する日が来るという夢だ。)
マーティン・ルーサー・キングは夢を呼びかけました。
中国でも、夢といえば、今年1月に南方周末の新年社説「中国の夢、憲政の夢」が広東省の党宣伝部に葬られ大変話題となりました。
3月5日には全国人民代表大会も始まります。中華民族の偉大な復興実現が中国の夢と言う習近平氏の夢の行方は、どうなるのでしょうか・・。
上海国際問題研究院の廉徳瑰氏の記事は、興味深いものでした。
日本の偏った中国観が日中関係を悪化させているというもので概略は以下のような記事でした・・。J
(1)上下意識
古代の日本は中国を上の国とみなして中国文化を取り入れ、中国に敬意を抱いていたが、明治維新後、日本は列強の一員となり、上下意識が逆転、こうした意識は戦後も変わっていない。
ところが今日の中国の発展により、日本は優越感を失い。これが日本が尖閣諸島問題の原因にあるとも言います。
(2)左右意識
戦後の冷戦時代に中国は社会主義陣営の一員となり、日本は資本主義陣営の一員となり、日本国内では、右派が資本主義の立場から、左派国家を誹謗中傷し中国もその中傷の対象となった。
中国の発展は共産党の発展であり、脅威とみなされる。
(3)東西意識
アジアの国は東洋国家、欧米国家は西洋国家とみなすが、日本はアジアにありながら自らを西洋国家、中国を東洋国家とみなしている。中国は西側諸国を自任してきた日本のアジアでの影響力を脅かす。
(4)南北意識
日本は経済発展が後れている中国について、貧困国としての感覚を持っている。しかし、発展途上国と先進国の関係は、中国の発展によって変化が生じてきている。
日本は中国に対する経済的優越感を失い、自信を失った。中国が日本の援助を必要としなくなると、中国が領土問題を棚上げする政策を放棄するのではないかと心配している。
中国には「疑心が暗鬼を生み、傲慢が偏見を生む」という諺がある。日本が中国と正常に交流できなければ問題が発生するのは当然だ。十分な自信がなければ人に親切にできない。劣等感を持っていれば、人に誠意をもって もてなすことはできないし、互恵関係もありえない。
確かに、日中間の一面の真実をよく捉えた記事だと思いますが、日本もそうでしょうが、私には中国政府も同じく「疑心が暗鬼を生み、傲慢が偏見を生んで」いるようにも思います・・。しかし、統制が日本よりはるかに厳しいはずの中国から帰国した前丹羽大使が「日本に帰国して驚いたのは皆さんが勇気ある発言をしない。思っていることを言わない空気を感じた」と指摘し「中国は自然の空気は悪い。(しかし)日本はもっとたちの悪い空気だ。」と発言しているように、今日の日本の状況は戦前のよう空気に少しずつなって行くような懸念があります。P
日本は中国の歴史に劣等感を持って、明治時代に神道の虚構を造り戦争の道を歩んだのだ(徳富蘇峰)ともいわれましたが、漢文も歴史も教わらなくなった日本には、中国の歴史への劣等感などは、もうなく、あるのは傲慢な優越感だけだとも思います。残念ですが、それは中国に限らず、アジア全体に対して ・・まだあります。そしてそれは、戦中の意識とはかなり違う、戦後の新たな日本の支配階層の思想の反映であり、アメリカに対する劣等感の裏返しでもあると思います。P