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1982年、鄧小平氏は、全国に抗日記念館・記念碑を建立して、愛国主義教育を推進するよう指示を出したそうです。その動機は、日本社会党の要望と総評(日本労働組合総評議会)からの南京大虐殺記念館建設資金の提供であったと言われています。今日の若者の抗日・愛国感情のルーツは日本でもあったのです。P
1月29日に中国を訪問した、村山元首相と加藤元自民党幹事長ら日中友好協会と中国外相らとの会談は、日本では僅かな報道しかありませんでした。
しかし、2013年2月18日報道の環球時報のインタビューの相手は、来月89歳にもなる、政治をすっかり引退した、村山元首相でしたが、意外にも渋みの発言を引き出させています。P
「・・今回私は日本政府を代表してではなく、民間団体である日中友好協会の代表の1人として訪中しました。現在最も肝要なのは緊張を緩和し、両国が顔を突き合わせて話し合える環境を整えることだと思います。現在、中国公船があの海域でパトロールを行い、日本も海上自衛隊を派遣しており、現場の状況は非常に緊張しています。こうした緊張を緩和する方法を考えなければいけません。問題の鍵を握っているのは、この件に対する日中両国民の姿勢です。民意の支持なしに政府が進めることは難しい。対話ルートを通じて解決を図ることのできる環境を整えることが、両国の民間団体の責任です。これが私の訪中の目的であり、私は日中両国民共に対話による解決を望んでいると信じています。」
「率直に言って、日本政府は馬鹿なことをしました。事実上、日本はすでに島を長期間実効支配していました。それが正しいことか間違ったことかはさておき、中国側はこれを「黙認」していたのです。日本政府がわざわざお金を払って「国有化」する必要は全くなかった。もし日本がそこの油田を開発したいのであれば、中国と話し合い、協力すればいい。島嶼の最終的帰属についてもつれ合う必要はない。したがって、日本が自ら意志疎通の責任を負うべきです。ですが、島嶼が一体どの国の領土なのかに関しては、私は意見を保留します。」
「1972年の国交正常化の際、すでに日中の指導者は島嶼問題を一時棚上げすることで合意しました。1978年の日中平和友好条約締結の際も、両国の指導者は同様の対話を行い、「もっと優秀な」後の世代に問題の解決をゆだねることを決めました。」
「もし日中間で本当に戦争が起きれば、米国はたまったものではありません。賢明な国はみな日中戦争を望んでいません。米国も当然そうです。過去にフランスとドイツの間で2度大戦が起きましたが、これは両国国境の鉱物資源の奪い合いが原因の一部でした。第2次大戦終結後、仏独両国は再び戦争を繰り返せば両国が共に滅亡するだけで、欧州全体も壊滅しうることを認識し、このために資源の共有、利益の分配について合意しました。こうして今日の欧州連合(EU)があるのです。日中両国もこうした歴史を参考にし、日中を中心にアジア同盟を築き、助け合いの体制を形成すべきです。」
「私は一貫して、日本を打ち負かしたのは米国ではないと考えています。日本が広大な中国大陸で覇権を唱えようとしたのは、全くもってかなう見込みのない企てでした。開戦当初から、失敗する運命にある戦争だった。これこそが日本が敗戦した根本的原因です。もし米国が参戦しなければ、日本は必ず中国を打ち負かせたと考える日本人ももちろんいます。こうした考え方の日本人は、全体を見ることができないのです。」
「実際のところ、当時の「村山談話」は私個人の見解ではなく、閣僚全体の同意と、自民党、新党さきがけ、社会党の三党連立政権の同意を経て、私が代表して発表したものです。一部の日本国民からの批判や誤解はありますが、これは極わずかな人々です。「村山談話」発表後、日本の歴代首相は「村山談話を継承する」と異口同音に表明してきました。これが日本政府および日本国民の姿勢です。ほんの一握りの反対勢力が存在するのは事実ですが、これは仕方のないことです。」
「実際には、彼らがこのように右傾化していくことを日本国民が許すかどうかを見なければなりません。安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を呼びかけています。日本の戦後の政治体制は間違っていると考えているのです。何が間違っているのか?憲法です。だから憲法改正を主張しています。しかし注意深く考えてみると、第2次大戦終結から現在にいたるまで、日本の自衛隊が銃を持って人を殺したことはありません。
これは日本の歴史においても初めてのことです。日本の戦後の経済的繁栄は次第に他の国々から認められ、「日本は優秀な国だ」と称賛されるようになりました。日本国民もこれに深い感慨を覚えました。原爆による攻撃を受けて以降、日本全体が二度と戦争を発動してはならないと心底反省しました。平和憲法に守られて、日本は朝鮮戦争やベトナム戦争に参加しない権利を持ち、また幸いにも参加しないですみました。これらはいずれも「平和憲法」があったおかげです。ですから日本は「平和憲法」を守らなければならない、日本国民もそういう気持ちです。したがって、安倍内閣がそう簡単に右傾化路線を歩むことはないだろうと私は考えています。この点において、私はやはり日本国民を信じています。」・・。
日中戦争の妄想も吹き飛ぶような明快な内容で、中国側に媚びることなく正論で答え、したたかに日本の主張を盛り込んだ村山答弁に、中国側のインビュー者は尖閣に対する中国の領有権の主張も、戦争の妄想さえも、封じられてしまったようです。
また、日本では、一部に批判のある、村山談話ですが、河野談話ほどのインパクトもなく、自民党、新党さきがけ、社会党の三党連立政権の当時の政府見解の踏襲であり、節度ある謝罪姿勢は限界もあると言われ、儀礼的なものもありましたが、日本政府が初めてアジアの侵略戦争に反省をこめ公式謝罪したものと、歴代政権で受け継がれてきたことは事実です。
談話内容は、今日の日本の平和と繁栄を築き上げた国民の努力に敬意を表し、諸国民の支援と協力に感謝し、平和友好交流事業と戦後処理問題への対応の推進を期し、「植民地支配と侵略」によって諸国民に多大の損害と苦痛を与えたことを認め、国際協調を促進し、核兵器の究極の廃絶と核不拡散体制の強化を目指したものでした。読み返してみれば、その内容は全く自虐的なものでもなく、むしろ、当時終戦50周年を迎えた平和大国・日本の誇りと感謝を謙虚に強調したものでもありました。P
「先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。
政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。 村山総理大臣 平成7年
「杖るは信に如くは莫し」とは、中国の古書「春秋左伝」の「杖莫如信」(信義に勝る頼りどころはない)に由来した日本の格言でした。
(負の歴史を語ることは、本当の勇気と英知と努力の結果です。日本の欠点をあげつらっているわけでもなく、日本人であることを卑下している訳でもなく、平和の構築を誇りに思い、本当の友情や未来を切り拓くために日本と共存するアジアの明日のために必要な努力ではないでしょうか。)
一方、日中間の平和志向に対して、アメリカは中国の脅威と北朝鮮の脅威を徹底してあおり、日米同盟の強化を名目に日本にTPPに参加させ、一昨年米韓FTAに参加した韓国と同様に自由化でアメリカ優位の貿易体制を構築する方針ともいわます。
米韓FTAに参加した韓国経済は、一層の合理化と物価高で国民生活は疲弊し、喜んでいるのは、株価上昇により儲けるアメリカの投資者だけとも言われる状況になっているようです。日本も同じ道がまっているのでしょうか?.
物価が上がって景気が高揚するのは、投資資金が回転して実体経済が拡張するからで、実体経済回復の見通しもない状況で、物価を上げるのは本末転倒であり、賃上げの恩恵にあずからない非正規雇用者の若者と「マクロ経済スライド」で給付額を抑えられる年金生活者の高齢者にとって物価上昇は生活困窮の道でしかありません。かつてのITバブル期を彷彿させます。(ホリエモンなどだけが儲け、ワーキングプア層が増加しました。)アベノミクスの行き着く先が、収まってきた自殺大国日本の自殺率をまた引き上げないことを願いたいものです。P
事が目的なのでしょうか?「日本大好き」とご自分を紹介しておきながら、読者を愚弄する。
確かに日本は先の大戦で貴女の大切なお国に酷い事をしました。
本当に申し訳ありません。
日本人は皆同じ気持ちなのです。
どうして分かって頂けないのでしょう?
そして、謝罪していないだなんて・・・・悲しいです。
戦後からずっと貧乏で中国や朝鮮の方々に下を向いて生きて来ていたら満足だったのでしょうか?
よそ様の国に迷惑をおかけして本当に申し訳もない。しかし我々も生きていかねばならなかったのです。
がむしゃらでした。
そして、奇跡のように立ち上がり、その後は罪滅ぼしと反省の下に他国にたくさんのお金とお手伝いをしてきました。
日本人は中国で危険な目に会います。
でも、日本にいる中国の方にはそんな事はおきません。
悪い事だと分かっているからです。
貴女は日本に住み、現在の日本人と接触なさっているはずです。
ひどい扱いを受けていらっしゃるのですか?
どうかどうか、こんな悲しい事ばかり書かないでいただけないでしょうか。
日本人に日本はこんなに酷い国だと思ってもらいたいのですか?
それは難しいです。
貴女が貴女の祖国を愛するように、私たち日本人も日本を愛しているのです。