10月20日の北京マラソンは、天安門広場からスタートし、日本を含む40カ国から3万人の選手が参加し無事終了しました。大気汚染が深刻化している北京ですが、20日は青空でスモッグもなかったのですが、マスク姿の参加者が日本では話題になりました。
北朝鮮に対する最大援助国の中国ですが、習近平政権はミサイル発射を強行し核施設復旧を進める北朝鮮に、税関検査を厳格化し、金融制裁も実施したと言います。
一方で、北朝鮮と中国を隔てる鴨緑江に架かる橋や道路や鉄道の整備事業は急ピッチで進行しています。「新鴨緑江大橋」(3026m)は来年中に完成予定で、高速道路と直結し大連に接続します。22億元(約352億円)の建設費は中国側の負担と言われます。片側2車線ともなり、貿易量も増加が予想され、中朝貿易の拠点丹東市では、中朝合わせて6百社以上が参加する見本市が先般開かれました。貿易区が設けられる丹東市には人口40万の新都市が誕生すると言われます。
吉林省琿春市でも1億5千万元(約24億円)を投資し、国境橋の架替え工事が年内に始まる予定です。北朝鮮の羅津港につながる幹線道路や鉄道の整備も進められます。
経済発展によって北朝鮮の改革・開放を促して行こうとの狙いが中国にはあると言われています。
日本が世界一の援助大国であったのは、一昔前の話です。アジアにおいては、現在も最大の援助大国です。P
各国ODA
1993年~2000年において、経済大国日本は、アメリカを抜いて、ODA拠出額で世界1位の援助大国になりました。(日本は景気が決してよかった訳ではありません。1991年に始まるバブル崩壊により、国内景気が悪化した時期でした。1980年代から海外投資も盛んで1991年には対外純資産世界一にもなった投資大国の日本でしたが、大幅な資産下落や金融収縮で国内で過剰な円は投資先を失う反面、日本政府は賢明にも円高を背景にさらなる海外投資に繋げるため政府のODA援助を積極的に進めました。)
その後同時多発テロから、アメリカは(日本の平和外交にも学んだのでしょうか?)1991年から10年余りでODA拠出を約3倍に増加します。2001年には、アメリカは再び世界最大の援助大国となり日本の地位を奪いました。
また、ヨーロッパ先進国もDAC加盟国全体の拠出額を増加させ、日本は逆にODA予算を削減し続けます。2006年~2007年の第一次安倍政権時代にも大幅にODA予算を減らしました。その為、日本の世界での存在感に、陰りを生んでしまったと言う人もいます。
2001年再びアメリカが世界一の援助大国になり、2006年にはイギリスが第2位となり、2007年には、ドイツが第3位、フランスが第4位となり、日本は第5位にまで低下しました。2010年統計では、かつて世界一の日本のODAは約110億ドル(東欧諸国、ODA卒業国除いた額)で、今日も世界第5位のODA拠出国に転落したままです。(しかし、日本は対外純資産では世界一の座をまだ維持し続けています。民間投資に関して言えば、国際決済銀行(BIS)の発表では、2013年3月までの日本の銀行の対外貸付総額は、世界の対外貸付総額の13%を占め、2007年の比率である8%を上回り再び世界最大規模になったと発表しています。)
しかし、日本のODAの対GNP比率(2010年)ではわずか0.20%でDAC加盟23か国の中では第20位です。国民1人当たりのODA負担額でみても86.5ドルで第18位です。アメリカと同様に、その経済規模に見合った援助は実はしていないとの批判もあるようです。
また、日本はポリシーがないとの批判もあります。アジア各国のODA円借款はデフォルトもせず返済され続けていますが、戦争謝罪の偏見がからみ、被援助国の民衆へのアピールがなく、民衆側の日本への感謝心も育ちませんでした。
一方、名目GDPでは世界2位で世界最大の貿易大国中国ですが、まだ平均国民所得は先進国にはるかに及ばない発展途上国であり被援助国です。
一方で、北朝鮮だけでなくアフリカを援助し(2009年末までにアフリカ49カ国に対して、総額90億ドル(約7419億円)を投資)援助国になったから、もう援助すべきではないとの意見が高まっています。
日本は中国の経済発展を理由に、ODAの有償資金協力のうち円借款を2008年の北京オリンピックを境に打ち切りましたが、まだ被援助対象国です。韓国は2000年に日本の被援助国から卒業し、日本のODA対象国ではなくなりました。2013年カナダ政府は中国への経済援助の停止を決定しました。被援助国であった中国はいつの間にか外為資金で世界でドル支配を行うアメリカ国債を買占めて、アメリカ国債の保有では世界最大国になりました。また、世界最大の日本の民間銀行の株も買占めをすすめており、したたかに、中国は、今日の世界の資本主義市場経済で、最大の影響力のある地位を確保してしまったとも言われます。
しかし、援助と言っても実質は多くが一種の国家融資で、特に日本の援助は有償が基本で、民間投資の呼び込みやヒモ付き援助が多いとの批判もあります。
日本が戦後アメリカから受けたガリオア・エロア援助の総額は、約18億ドル(今日換算で約12兆円)でその内13億ドル(今日換算で約9.5兆円)は無償(贈与)であったことからすれば、対中国の無償資金援助額1,544億円は極端に少ないという人もいます。また、日本は韓国、フィリピン、ベトナム、ビルマ、インドネシアに対しては戦後賠償をしましたが、最大の被害国・中国は対日賠償を放棄していることに配慮すべきと言う人もいます。前丹羽中日大使は、尖閣問題が悪化する前、中国のODAを増額すべきだと日本政府に意見具申もしていました。
しかし、日本の対中ODAは、1979年に開始され、2009年度までの累計で有償資金協力を約3兆3,165億円、無償資金協力を1,544億円、技術協力を1,704億円、総額約3兆円以上のODAを実施してきました。 戦後、日本が援助の累積総額で1番援助してきた国は中国でした。日本の多国間援助(世界銀行やアジア開発銀行やWFP、UNDP、UNICEFなどの国際機関への資金拠出)と合わせて評価すると約6兆円もの額になります。民間投資でも日本は香港を除けば近年も世界1位の対中国投資国です。P
日本ODAは、中国の道路や空港、発電所といったインフラや医療・環境分野の整備に貢献し民間投資を促進したことは事実で、中国の経済成長にとても大きな役割を果たしました。
一方、東北震災当時、中国も韓国も含め世界の45カ国が直ちに日本へ救援隊派遣を用意し支援を申し出ました。当時「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今度は国連が全力で日本を援助する。」等の発言が世界で相次いだそうです。実際、援助を受けた国々では様々な日本支援の呼びかけがありました。(2011年に海外から東北震災への援助として送られた金額は864億円にも達し、その年の海外援助額で世界最大の被援助国に日本はなりました。)
援助で得たのは世界の友情だけではありません。対外純資産の蓄積が生み出している金融収支は、東北震災後に今日まで続く深刻な貿易収支赤字を埋め大幅な経常収支の黒字を日本にもたらし、実体経済が深刻となった今日の日本さえ援助したと言えます。
『但願人長久』(但だ願はくは人の長久を)(蘇軾)
明月幾時有
明月はいく時より有るものか
把酒問青天
酒をとって青天に問ふも
不知天上宮闕
天上の宮殿は知らず
今夕是何年
今夕は是何れの年なるか
我欲乘風歸去
我風に乗って(天上の宮殿に)帰り去らんと欲す
又恐瓊樓玉宇
(しかし)また恐れるは瓊樓(朱色の楼閣)の玉宇(玉の御殿)の
高處不勝寒
高き処の寒さに勝てず
起舞弄清影
起舞(舞い戯れ)し清影(月影の自分)とたわむれん
何似在人間
人の世に何ぞ似(およ)ばん
(人の世にはかなわない、(やはり、天上/中央官邸より、人の世のこの地方官吏がましだ)
(※反対に「人の世は天上にはかなわない」とも「人の世とも思われぬ」とも訳される。)
轉朱閣
(月光は)朱塗りの楼閣を転(ころがり)り
低綺戸
綺れいな飾り戸に(光が)低(た)れ
照無眠
眠れ無い(我を)照らす
不應有恨
應(問い掛け)には恨みの有るべくもないが
何事長向別時圓
なぜに長き別離の時に(月は)まどかなるか
人有悲歡離合
人には悲歓と離別と出会いが有り
月有陰晴圓缺
月には陰晴と満ち欠けが有る
此事古難全
これ古(いにしえ)より(人生や自然に)全(まっとう)は難きことなり
(昔から人生も月も浮き沈みがあり思い通りに全うできることはない)
但願人長久
但だ願わくは人の長久(長寿健康)と
千里共嬋娟
千里と月の嬋娟(美しい様)を共にせんことを
(遠く離れていても、中秋の名月を共に観て祝っていることを願う)
(王菲が歌っている「但願人長久」は、1074年、蘇軾が山東省の密州(青島)に長として地方赴任した時期中秋の名月の酒宴で遠く離れた官邸や弟を思い、8世紀の李白の漢詩『把酒問月』のオマージュで作詞した、水調歌頭という曲に合わせ歌詞をつける形式の中国古代オペラ歌謡で、テレサテン(邓丽君)も歌った曲です。
蘇軾は政府批判の歌詞を書くようになり、やがて投獄、流罪の運命に至ります。
漢詩は、日本の古典文学でもあります。中国の研究にも負けないほどに、日本の研究も盛んです。日本語訳は、詩の解釈に比喩や歴史背景も入れこみ人生の機微を感じる味わい深いものです。
日本では、漢詩を日本語読み(訓読)して味わいます。近年まで漢詩創作は日本の知識人の教養であり、学校教育で漢文は、外国語扱いされず、日本古文として、国語(日本語)授業で扱われました。
『把酒問月』(李白)
天有月來幾時
天に月有りて、このかた幾時ぞ
我今停盃一問之
我 今盃をとどめて 一たび之に問ふ
人攀明月不可得
人は明月をよろず(挙中にする)こと得べからず
月行卻與人相隨
月は行きかう人に、相い伴なう
皎如飛鏡臨丹闕
皎(白い輝き)と飛鏡の丹闕(朱色の宮殿)に臨むが如く
煙滅盡輝發
緑煙(緑の夕靄)滅えつきて 清い輝(光)を発す
但見宵從海上來
ただ見るは 宵のときに海上より(月が)来たるを
寧知曉向雲沒
なんぞ知らん(誰も知らない) 暁に雲に向い(月が)没するを
白兔搗藥秋復春
白い兔が 薬(不老の仙薬)をつきて 秋がきて復た春がくる
嫦娥孤栖與誰鄰
嫦娥(不老不死の仙薬を飲んで地上から月に帰ってガマになった仙女)は 独りで誰が鄰(となり)か(誰もおらず孤独だ)
今人不見古時月
今の人は見ず 古時の月を
今月曾經照古人
今の月は会経(かつて)の古人を照らせり
古人今人若流水
古人も今の人も 流水のごとし(流水のごとく世を去る)
共看明月皆如此
共に明月をみる 者は皆なかくの如し
惟願當歌對酒時
ただ願うは歌にあたり酒にたいする時
月光長照金樽裏
月光の長きに金樽の裏を照らさんことを
(中国詩史上、杜甫と並び最高の存在と言われる李白は宮廷と対立し蘇軾と同様に首都を遠く離れた詩人でした。阿倍仲麻呂と親交があったことでも有名です。李白の生まれ年701年に、大宝律令で倭国から日本と国号が変り日本国が誕生します。仲麻呂は若くして長安に留学した日本人で、科挙試験に受かり出世し文部官を務めました。日本帰国は遭難で果たせず一命を留め、後に唐領内であったベトナムの総督も務めたと言われます。
仲麻呂(晁卿衡)が日本帰国の途中遭難して死んだとの誤報に際し「晁卿衡を哭す(阿倍仲麻呂を泣き叫ぶ)」との詩を詠み、李白は日本の友の死を嘆き悲しみました。)
王菲は先月離婚したのだそうですね。ミニブログで「人生で夫婦の縁はここまで。私は大丈夫ですから、あなたも体を大事に」(這一世 夫妻緣盡至此 我還好 イ尓也保重 )と書きこみもあったそうです。
新疆ウイグルで離婚手続きを行ったそうです。(再婚のウルムチ出身の俳優・李亜鵬との次女に重度の口唇裂障害があったことを公表し貧困地区で同症に苦しむ子供を救うため『嫣然天使基金』を夫妻で設立してボランティアにも励んでいました。)マネイジャーは1年ほど前から王菲が仏教に傾倒し自宅地下を仏堂改装して意見が不一致となったと述べていました。
1991年に王菲が中島みゆきの「ルージュ」のカバー曲、容易受傷的女人(広東語・粤語)を発表すると 1992年香港でたちまちミリオンヒットとなりました。その後、王菲は台湾から北京語(國語)版の曲も歌い香港の経済進出が進む母国・中国でも大人気となり大陸進出を果します。
1992年以降、容易受傷的女人は、中国、台湾、ベトナムなどで様々な歌手がカバー曲を出してヒットし、タイ、シンガポール(英語)、ミャンマー、カンボジア、インドネシア、トルコまで広がったと言われます。日本の歌謡曲のカバー版が、アジアで大ヒットになったのです。(J-POPは1980年代から上海や台湾などでは人気で中国語カバーも多いのですが、容易受傷的女人のように各国に波及した爆発的大ヒットは異例な現象でした。)
1991年、日本でバブル景気崩壊が始まり、アラブでは米欧主導でイラクへの湾岸戦争があり、東欧ではユーゴ紛争が勃発し、ソ連は自滅し、全世界が不安に駆られました。
一方でアジアに平和が生まれました。英字新聞を手に、ポケットには常に日本の平和憲法をしのばせていたという逸話もある当時の宮澤首相が、1992年、今上天皇を中国に訪問させ、天安門事件での経済制裁を世界で真っ先に日本が解除したのです。
前年のカンボジア和平協定を受け、ベトナムへのODAも再開、カンボジアPKO・・日本が平和外交で大活躍した年でした。(韓国でも1992年宮澤首相が訪韓しアジア太平洋映画祭が開催されソウルで日本映画が戦後初めて解禁、1993年には慰安婦について河野談話がありました。トルコとも日本は1992年に投資促進保護協定を締結します。(一方、その後、ODAで世界一になったアメリカの援助は、政治的意図が優先し中国のような共産国等へのODAは法律で今日まで禁じています。)
その後も、喜納昌吉の「花」が1995年以降に海外でカバー曲として大ヒットします。特に台湾では周華健の「花心」として大ヒットとなり、タイやベトナムをはじめ世界60か国以上に広まり、沖縄で生まれた平和の歌のカバー曲もアジアを中心に広まりました。(1995年には村山談話がありました。そして1999年には、ソウルで開催された「東アジア5カ国平和会議」に喜納昌吉らが招待されました。それは韓国で日本歌謡が解禁された結果でした。)
当時、日本歌謡がアジアを制しただけでなく、日本の平和外交もアジアを制しました。
1993年から7年間ODA額で世界一の援助大国になり、(平和大国)日本はアジアをはじめ全世界から尊敬を受けました。
習近平の海外資産は3億7600万ドル 姉夫婦はカナダ国籍
娘の習明澤 米国国籍でハーバード大通ってたのに親父に戻されて中国帰国中
香港資産と特定企業資産は5560万ドル也
江沢民と江錦恒親子が上海で米ワーナーと自分の華人文化産業投資基金が提携した時に200億元着服
江沢民の孫の江志成はアメリカ国籍で海外資産が15億ドル
曽慶紅の息子の曽偉はオーストラリア国籍
28億円相当のオーストラリアの豪邸で贅沢三昧
賈慶林の孫の李紫丹はアメリカ国籍で現地名がJasmine Li
胡錦濤の子供の胡海峰は精華控股有限公司社長で資産126億元 1320万ドルの海外資産
温家宝一族 本人の海外資産が1億2000万ドル
弟の温家宏の海外資産2億ドル 息子の温云松の香港資産が1億ドル
楊潔チの孫の楊家楽は米国国籍