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謝罪しない日本

2012-09-05 16:43:50 | 日記



 韓国のソウルの日本大使館にトラックで突っ込んだ韓国人の男に対し、ソウル地方裁判所は、9月5日「外国公館に対する暴力は、厳しく処罰されなければならない」として、懲役1年、執行猶予2年の有罪判決を言い渡しました。被告は、竹島について「韓国の領土だ」と主張するスローガンを貼り付けたトラックを日本大使館に突っ込みました。被告側は、犯行の動機は日本大使館の前に設置された従軍慰安婦問題を象徴する少女の銅像に、日本人の右翼活動家が「竹島は日本固有の領土」というメッセージを付けた杭をつけたことに抗議した愛国行為で「正当な行為だ」として、完全無罪を求めて闘っていました。しかし、ソウル地方裁判所は、「国際法上、特別に保護されなくてはならない外国公館への暴力であり、類似の犯罪を引き起こす危険もあることから厳しく処罰されなければならない」と述べ、検察の主張通り、懲役1年を求刑し、執行猶予2年の判決を言い渡しました。韓国では愛国無罪どころか反日暴力碍国有罪となりました。中国とは正反対の厳しい司法の判断です。

 元大統領が有罪判決をうける等、政治的に厳しい、韓国司法の憲法裁判所は、慰安婦問題を解決しないのは憲法違反だとの判決さえ下しましたが、日本政府は(国内では謝罪ばかりしているように感じる人が多いのですが)実は対外的には、お詫びや遺憾の言葉は多々あっても、戦争犯罪には一貫して公式文書や条約で責任をとる謝罪はしてません。それは、慰安婦問題にとどまりません。A級戦犯の内の処刑者でさえ、無責任を主張して死んでいきました。そして、国体は維持され、生存戦犯者は恩赦となり戦犯を逃れた者も含めて戦争遂行責任者達は戦後に見事に復活したばかりか税金で軍事恩給を毎年もらっています。これはドイツの戦後処理とは全く違います。

 韓国検察は、慰安婦少女像に杭をくくりつけた右翼活動家の日本人(市民団体から名誉毀損の疑いで告訴・告発されたため)に出頭要求書を送ったそうです。日本と結んでいる日韓間の刑事司法協力や犯罪人引き渡し請求も検討されているそうです。しかし日本政府が応じる可能性は皆無でしょう。

(1987年から1990年にかけて、左翼記事を批判されていた朝日新聞社支局などへ右翼のテロ事件が相次ぎました(「警察庁広域重要指定116号事件」赤報隊による朝日記者射殺事件等)しかし、日本警察は全て未解決事件としています。なぜか日本警察は右翼や暴力団の捜査に弱く、かつての石原慎太郎のテロ容認発言でも知られる様に、政治家との思想的癒着さえ日本の右翼にはあります。

昭和天皇に戦争責任があると主張した長崎市の本島等・元市長は1990年、右翼団体の一員に銃撃され2007年世界平和市長会議の副議長として世界でも活躍した長崎の伊藤市長は右翼に銃殺されました。

(また、2009年に週刊新潮2月12日号は、赤報隊による犯行声明の作者は、1993年に朝日新聞東京本社役員応接室で拳銃自殺した右翼活動家の野村秋介氏であり、実行犯は同じく右翼活動カの島村征憲氏で「朝日を狙ってくれ」と依頼したのは在日アメリカ大使館の男性職員であったと報道しました。また、その新潮記事によって「犯行の指示役に仕立てあげられた」として当人からは朝日新聞に実名で連絡まで寄せられました。(最初はこれを完全否定したアメリカでしたが、後日に福岡の領事館に依頼したとされる佐山氏(仮名)が実際に勤務していたことをアメリカ大使館の報道官が認めました)。

2009年2月22日には、NHK札幌放送局と長野放送局と渋谷に銃の実弾が郵送されていました。郵送には何故か「赤報隊」と記載された紙が入っていました。国会でも問題になり、3月30日NHK福地茂雄会長や幹部が召喚され、公明党の弘友和夫議員がNHKはなぜ事件を報道しなかったとかの質問に「負傷者もなく・・」 と事件性がないとまでNHKはかたくなに答弁をしました。しかし、実際送られた金属片は旧日本軍用の三八式歩兵銃の実包であることが 警視庁捜査1課の鑑定で分かりました。そして同年、4月に島村征憲という人物が朝日新聞阪神支局襲撃など一連の「赤報隊」事件の実行犯と「実名告白」した記事は誤報であったと、記事を載せた週刊新潮が認めた記事が何故か掲載されました。しかし、同年6月には広島放送局にも銃の実弾が郵送された事件も「赤報隊」と記載された紙が送付されていました。

(三八式歩兵銃は旧日本軍の主力小銃として広く使用されたものです。銃の一部のものは警察予備隊が使用していた時期もあり自衛隊内に併設される資料館・史料館・記念館で銃の展示はされていますが、当時の実銃弾が残っているものはごくまれだということです。第二次大戦後、アメリカGHQが大半を接収し廃棄処分されていたはずのものでした。・・・

(そして、右翼活動家の野村秋介氏と接触があった、テロリストのスナイパー中村泰の話も新潮は暴いていました。2010年の鹿島圭介著の『警察庁長官を撃った男』(新潮社)で暴かれた中村泰とは、母親は某総理大臣夫人と親戚関係にもあり、美智子皇后様とも遠戚の名門の出身で、1930年東京生まれですが、幼少期は中国・大連などで過ごして、帰国後1949年に東京大学進学したエリートでした。東大時代に共産党に入ったり窃盗事件を起こしたり問題を起こして、東大を自主退学しています。1956年都内で銀行強盗に失敗して車の中で寝ているところを職務質問され、警察官を射殺し、無期懲役判決を受けて1976年3月に仮出所しました。

 ゲバラに憧れ1980年代後半にニカラグアに入国し、ニカラグア革命防衛戦争に義勇兵として参加しようとしましたが、ニカラグア国内の戦争が激化したので、目的を断念して帰国したといいます。特別義勇隊と名乗る民兵組織を共謀者(ハヤシ)と立ち上げますが共謀者は1993年に自殺しています。1995年に起きた国松警察庁長官狙撃事件と八王子スーパー女性3名強殺事件に関与していたことは週刊新潮も報道しました。実際、中村泰は銃のマニアでアメリカから武器を多数密輸しており、秘密アジトの家からは、複数の銃や実弾、シークレットブーツ、複数の偽造パスポート、米カリフォルニア州やアリゾナ州の運転免許証、精巧に作られた変造指紋も出て、国松長官狙撃事件に関する新聞・雑誌のコピーも保管されていたそうです。しかし、いくら天才的な人間でも、個人が活動できる領域を超えており、中村泰を利用した組織の存在もやはり推測されています。その後、名古屋や大阪で現金輸送車襲撃事件を起こして、無期懲役の刑で、現在、岐阜刑務所に服役中だそうです。)

 

これらは、いずれも戦後に民主化された平和国家日本での出来事です。


 また、今回の日本側での尖閣上陸を主催した議員らの主催団体「頑張れ日本!全国行動委員会」は右翼団体であり、その団体は三菱重工、鹿島建設、パナソニック、アサヒビール、第一三共といった日本の大企業から資金供与を受けて運営されていると中国紙でも報じています。慰安婦少女像に杭をつけた行為を、日本政府が謝罪することも司法協力することも皆無だろうと思います。

 ソウル行政裁判所は8月22日に中国籍の朝鮮族李さんの難民資格を認定する判決を下しました。李さんは難民というわけではなく中国で北朝鮮住民の脱出を手助けをしただけであり、その人道行為に中国警察­の操作が及んだため、中国から脱出し、韓国に逃れたのだそうです。中国籍の中国人ですが中国政府からの迫害から逃れるため脱北と同様に韓国に逃れ難民申請をしたのだそうです。今回、韓­国司法部は例外的に李さんの難民資格を認定しました。

 一方、日本政府は昨年、中国の要求を受け入れ、中国内の日本公館に脱出しようとする脱北者をこれ以上保護しないと中国に約束したといわれています。2002年に瀋陽の日本総領事館に逃げ込んだハンミちゃんらの脱北の成功以降、中国の日本大使館ルートでは、盛んに続いた脱北ですが、日本政府は2006年には脱北者の人権保護のための北朝鮮人権法を制定し、これまで在外公館を通じて帰国事業で北朝鮮に渡った元日本籍の脱北者を中心に200人近くも脱北者を保護しました。しかし2008年の北京五輪以降、中国当局は態度を硬化。原則として出国を許可しなくなりました。帰還事業で北朝鮮に渡った元日本人の親類2名を含む5名の脱北者が昨年ようやく出国できた報道がありましたが、その瀋陽日本総領事館の滞在期間は2年8カ月にも及んだ結果の中国出国だったそうです。それで日本政府は昨年「中国の国内法を尊重し、脱北者を公館外から公館に連れ込まない」と誓約した文書を中国政府に提出したそうです。しかし、これは「北朝鮮の要請を受けた中国政府の圧力に屈服し、中国ルートでの脱北者保護を日本は事実上断念したもの」と批判もされました。拉致問題解決にも逆行する行為でした。しかし日本は拉致被害者や帰国事業被害者に謝罪もしませんでした。

 9月3日に「花岡事件」のリーダーで、損害原告団長の耿諄さんが、老衰のため中国の自宅で先月27日に亡くなったという報道が日本ではされています。(花岡事件は戦中昭和20年に秋田県大館市の花岡の工事現場に強制連行された980人余りの中国人の労働者が、過酷な仕事や飢餓死が発生する程の待遇に抗議して暴動を起こしたもので、鎮圧で400人以上の中国人を日本側が虐殺した事件です。)裁判では、平成12年に工事の主管の鹿島建設が基金を設立し和解が成立しました。中国人の強制連行について、日本企業が和解に応じた例外的なケースでした。しかし、強制連行させた政治の責任については、日本政府はいまだに謝罪をしていません。

 また、9月3日に日本軍による「重慶無差別爆撃」の被害者への賠償を求める団体が重慶市内で記者会見を開き、15名の被害者が9月10日に重慶市の高級人民法院に日本政府を相手として起訴することを発表しました。団体は2006年に対日賠償請求訴訟を日本で提起していますが、中国国内での訴訟は初めてです。重慶大爆撃の被害者は、2006年3月30日から2009年10月5日にかけて、東京地方裁判所に4度も提訴を行なっています。188人が原告となる国際訴訟です。( 東京地裁の判断に関わりなく国際法では、戦争犯罪の責任追及は時効の制限を受けないといわれます。)もちろん日本政府は賠償どころか、謝罪する意思さえもないようです。

 


「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。・・疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」と村山談話という政府声明を出した以外に、日本はどの国にも、どの戦争犯罪にも特定した公式謝罪を行っていません。これは、国際法違反の証拠隠滅を指示した戦前の内務省から継続する伝統的な日本官僚の知恵で、それは賠償の言質を与えないという方針でもあるようです。(村山談話でさえ1995年の戦後50周年記念式典に際して、日本政府が閣議決定に基づき国内で発表した声明であり、従来、日本政府が認めてこなかった加害国としての視点の言葉が初めて使用されましたが、国内での声明であり謝罪外交などではありませんでした。それ以前にも歴代の日本の首相は「責任を痛感」「お詫び」「反省」「陳謝」したいなどと言葉は多弁でしたが、賠償等にふれた公式謝罪行為ではありませんでした。)

 一方、ドイツと違って責任さえも免れた戦争の加害者でもある旧日本軍・官僚には、軍人恩給が日本では国民の税金で毎年予算が計上され未だに毎年支払われています。(ドイツでは逆に空襲被害補償さえあります。)個人補償は国家として行わないと言う一方で、加害者の軍人にはまだ手厚く補償してします。

軍事恩給は日本国民の血税で毎年支給されています。受給層は自民党の大きな支持勢力であり、靖国神社への大きな寄付勢力です。(12年以上兵役についた(戦地勤務は3倍に換算)職業軍人が支給の中心であり、終戦近くに赤紙で動員された応召兵や学徒兵や特攻隊志願者は受給ができていません。)(軍人恩給は昭和58年のピーク時は1年間の予算だけで1兆7358億円も計上されています。平成20年度予算は8041億円でした。これまでの累計は途方も無い金額です。)しかし、戦地で日本軍を実質的に支えて生死さえ共にした慰安婦も空襲被害の戦災被害者にも個人補償などは一切ありません。軍国主義の結果で被害を受けた日本人に対しても謝罪していないのです。もちろん、戦前に本土の各地であった朝鮮半島出身者の強制連行や強制労働、満州国や日本の一部にもあった中国人の強制労働についても日本政府は謝罪や補償はしていません。



 日本は慰安婦問題についても、謝罪しなかったのでしょうか?。

 1993年の河野洋平内閣官房長官の談話では慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所・慰安婦の街生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、日本政府の関与があったことが概ね認められました。日本軍が主導的に創設し、維持管理し、拡大した制度でした。

 女性が意志に反して集められ、官憲が直接加担した例もあったと日本政府が聞き取り調査もし、事実認定するに至り、1995年には法的には請求権が認められない賠償問題を解決するため名目個人寄付の形でアジア女性基金を日本政府は設立し、この問題の政治解決を図ろうとしました。

 しかし、韓国では日本政府が認定した207人(2004年)の被害者中お金を受けとったのは当初7人で、多くの被害者は、日本が謝罪していないという韓国世論の反発で受け取りを拒否するにいたります。しかし、河野談話もアジア女性基金に同封された手紙も、対外的には明らかに「謝罪」でした。謝罪でないと受け取られたのは、実は日本国内向けでの説明でした。それは強制連行とした証拠はないという詭弁でもありました。それが形式謝罪ともとられたのです。(河野内閣官房長官談話自体も慰安婦関係調査結果発表に関する日本政府の見解であり、正確にはそれも謝罪などではありません。)

そして、日本では、河野談話さえも撤回しその詭弁を日本政府の見解にもしようというたくらみが、今日進みつつあります。

「合法」的と言うのは詭弁です。戦前は公娼制度が日本では確かに存在しましたが国際法違反の慰安婦は決して合法な公娼とは言えないはずです。事実として、当時の日本の国内の公娼制でも、一八歳未満の女性の使役の禁止、外出・通信・面接・廃業などの自由が認められていましたが、植民地調達の朝鮮出身者や戦地調達の慰安婦には、その合法的な保護や廃業の自由すら保障がなかったのです。日本軍のための性的奴隷だと非難されてもしかたのないものです。

「自主」的と言うのも詭弁です。戦時中は自爆も自決も玉砕も、朝鮮人の尊厳を奪った創始改名でさえ、実は当時の日本においては強制行為ではなかったのです。沖縄の集団自決も満州での集団自決も日本では虐殺ではなく自決強要といいます。自決に軍命が出ていたわけでもなく形式的には、自主行為です。しかし、その強制行為でなかったと言う自主性を伴う実質強制は、強制行為より遥かに卑劣で冷酷なことに、ほとんどの日本人は気づいていないのです。しかもインドネシアの慰安所で日本軍は収容所から実質強制連行した事実について日本政府は戦犯処理で事実を受け入れているはずなのです。

「日本だけではなかった」「戦場につきものだった」「強姦を避けるものだった」と言うのも詭弁です。確かに第二次世界大戦下では、日本の他に、ナチスドイツなどにも軍管理慰安婦はありました。朝鮮戦争時にはアメリカ軍の深刻なレイプ被害防止のために、従来は儒教的倫理観が強かった韓国でも慰安婦制度が認められました。しかし、戦前の日本軍慰安婦は狭義の強制連行でないにしても戦地調達、植民地調達をしており、それが国際法違反の行為であったことの認識も一応しており、そのため終戦前に内務省は証拠隠滅さえ指示していました。(しかも、他にも、あったのにどうして私だけなどと言う日本の論理は捕まった犯罪者が居直る時の屁理屈に似ているともみられています。日本だけ間違ったのではないとしても、他国の過ちが日本の免罪にはなりえません。)

「妓生:キーセン」身分者は強制ではないと言うのも詭弁です。慰安婦の金学順さんの韓国での証言を捉えてキーセンだったと日本では非難する人もいますが、売られた先の妓生巻番(キーセン養成学校)の卒業後も妓生にはなれず、17才の時、平壌から汽車で北京に働きに行く途中で日本軍にと姉さんとトラックに乗せられたといいます。妓生(キーセン)は日本芸者もに似ていますが4階層に別れ、全てが売春をしていたものではなく、金学順さんは、養成学校を卒業しただけでまだ妓生でもなく、慰安婦に応募したわけでもありませんでした。(日本でも芸者は関西では芸子といい、公用では芸妓とも呼ばれ、遊郭でもっぱら売春した郭芸者と市中で宴会芸で働いた町芸者とはそもそも違います。まるで、芸者見習者を拉致すれば、強制連行ではないというような日本の論理です。)

「狭義の強制連行」と「広義の強制連行」では「強制性」で悪事の程度が違うというのも詭弁です。2007年7月のアメリカ下院121号決議でも「日本軍が強制的に若い女性を「慰安婦」と呼ばれる性の奴隷にした事実を、明確な態度で公式に認めて謝罪し、歴史的な責任を負わなければならない。」として直接、強制連行にはあえて触れず、むしろ強制性を理由にしたのは、当時、安倍首相が吉田証言の誤りにも触れながら「広い意味での強制性はあったけれども、狭い意味での強制性(連行)はなかった」と日本の国会で答弁したことなどを踏まえたものでした。しかも、当時、韓国・中国・台湾・フィリピンを初め世界が「いわゆる強制連行(狭義の強制連行)はなかったと言う安倍首相の詭弁的見解」を批判しました。

「慰安婦を監禁して本人の意に反する行為を強制した」のは業者や朝鮮側であり、日本側に責任はないと言うのも詭弁です。日本軍直営のものもありました。しかも、日本軍専属の慰安所であり、設置させた委託者責任も日本軍にありました。日本の陸軍経理学校では軍慰安所設置方法さえ教えていました。日本軍が設置させてそれを利用したのも日本軍でした。当時の国際法違反の犯罪行為(ジュネーヴ条約違反)の認識が内務省にあったからこそ証拠も隠滅されたのです。いまだ日韓基本条約締結の経緯も公開されておらず、国際法違反の犯罪行為への補償までも放棄されたと言う認識も今のところありません。

 ネオナチのホロコースト否定論や日本右翼の南京虐殺否定論にも似た論法で、小さな間違いで事実全体を否定したり、自分たちの都合の良いデータだけを提示して論証して、些細な事実の不一致などをもって歴史の存在自体を否定するのは詭弁とも捏造とさえも言えますが、日本の多くの保守政治家や右派の報道機関がその詭弁や捏造に加担していることはもっと大きな問題です。

 詭弁や捏造の嘘は歴史の検証には耐えられないものです。そして事実はイデオロギーより雄弁です。事実として今日まで慰安婦問題は解決に至っていません。結局、未解決の慰安婦案件を多く残して、国際的な非難が広がるなかで、日本は2007年にアジア女性基金を解散しました。それは慰安婦問題で同情の金は出しても、謝罪はしないという、日本のプライドの維持が本音であることを自ら暴露したようなものでした。「法に基づかないお詫び方式は不完全だ」との批判もありました。しかし、形式謝罪と非難されても、生存者がいる以上、金銭での解決も必要なことでした。どんな非難があろうとも、日本はぶれることなく、最後の一人までアジア女性基金を継続すべきでした。基金の中途半端な解散が、かえって日本国民の名誉と尊厳を害してしまいました。(国内向けには、慰安婦の強制連行を認めず、日韓基本条約での責任の範囲外で、道義的な同情のカンパのお金なのだと国内で装いながら、対外的には明らかに慰安婦行為の日本政府の謝罪賠償金として振舞ったアジア女性基金でした・・実際、日本国総理の謝罪の手紙がお金に添えられており、アジア女性基金の事務局の運営費も日本国政府の財政負担でした。)


 解決に向けて、オランダで実施できたようにプライドを損なわない基金支出やインドネシアのように個人でなく政府への基金支出などへの工夫の交渉をねばり強く継続すべきでした。オランダ外交においては、天皇皇后両陛下による皇室外交の努力がありました。かつての天皇皇后両陛下のオランダ訪問の際には「『従軍慰安婦』とされた、この凄惨な歴史問題について、天皇皇后両陛下は常に心を痛められ、日蘭友好の実現を悲願とされてきた。」との報道もされています。

 韓国がアジア女性基金の対応を謝罪ではないというなら、謝罪とはなにかを、歴史認識が違うというなら、歴史を徹底的に話しあうべきでした。(強制連行のなかったことをいくら解明しても間接強制行為は否定できず、日本の国際的な評判が良くなることもないのです。日本が本当に政治的に勝利することは、事実を認めて謝罪することしかないとも思うのですが・・。)


 隣国との本当の友情を避けて、日本国内でしか通用していない「日本軍慰安婦の強制連行否定=免罪説」に、その呵責を求めてしまいました。それは、自分達の子息に日本の加害者の歴史を語ることが恥と感じる日本人の多くの心さえ捕らえてしまいました。

しかし、本当に恥じるべきことは、一番近い隣国の民族の屈辱を理性的に拭い去ろうとした努力への援助を日本が放棄してしまったことかもしれません。P

(金大中元大統領は、韓国国内で猛批判を受けつつも、在任中の1998年にベトナムを訪問した際「本意とは異なり、ベトナムの国民に苦痛を与えた点について申し訳なく思っている」と初めて公式に謝罪しました。共産党を創設したホー・チミン元主席の墓地も初めて訪れています。 (韓国はベトナムと当事者として戦争したわけでもなく、アメリカも謝罪していない状況で、ベトナムから韓国に謝罪要求さえもありませんでしたが、同盟国アメリカへの支援でベトナム戦争に約31万人の兵力を派遣した実質的な参戦国家であると言う認識でした。(ベトナム戦争では、アメリカ軍の枯葉剤散布の非道も有名ですが、同盟国の支援で参加した韓国軍もベトナム戦争では、レイプや虐待に加わっています。)

この謝罪に、韓国の保守派からは、今日の日本の保守派と同様な発想で猛批判が起こりました。ハンナラ党の副総裁だった朴槿恵元代表は金大中は「参戦した勇士らの心と大韓民国の名誉を大きく傷付けた」とこの良心の謝罪を国辱的な韓国兵士への侮辱行為だとして大批判をしました。

しかし、それでも、その後、盧武鉉元大統領もベトナム訪問の際には金大中と同様に謝罪をしました。国内で、どのような批判があろうとも、戦争謝罪は何度でもし切れるものでもないのです。いいえ!生存犠牲者の記憶があるうちは、戦争加害政府の代表は勝者敗者にかかわらず本来は原爆や無差別空爆のホロコーストを行ったアメリカも含めて何度でもすべき行為です。1970年ドイツのブラント首相がナチスの被害にあったポーランド・ワルシャワの慰霊碑前で跪いて謝罪したことも有名な史実です。加害国の政治家は被害国の民衆が謝罪が必要とするなら何度でも謝罪すべきです。)

  政府が慰安婦問題を解決済みと主張するようになった日本では、少し下火にはなったものの相変わらず「韓流」ブームに沸いた今年の夏に、ゆがんだ社会現象が韓国で起こりました。今年5月に結成された「日韓の歴史を克服し友好を推進する会」の日本女性約1200人が、韓国内13か所に繰り出して、歪んだ謝罪活動をしたのです。 



 「慰安婦問題に心からお詫びします」と訴える和服の日本女性たちを韓国メディアが報じ、ネット上では物笑いになりました。ソウルでも約500人の和服等を着た日本人女性が「日本人を代表してお詫びします」と土下座して号泣し謝罪文を市民に配っています。(霊感商法の統一協会の会員で心も性も宗教に捧げた日本人女性達の洗脳結果の行動だと批判されていますが、日本政府はどうすることもできないそうです。)日本政府の解決を放棄する態度は、ゆがんだ形で新たな大和撫子の屈辱を今日、生み出していることも事実です。P

(謝罪する主体と相手を日本人は履き違えていませんか?親の世代の罪を子の世代にせめているのではないと思います。日本政府が謝罪していないのです。強制はなかったからと罵倒しながら、個人寄付の同情の金を受けとれと言ってさらに怒らせたのです。それなのにハルモニに、日本はあやまらないのです。まだ見下していませんか?日本人のあなたは、日本政府に一度でも抗議したことがあるのですか?恥の意味も、誇りの意味も日本人は違えていませんか?戦中に被害も受けた日本民衆が謝る必要などはありません。J)  

日本には色々な意見の不統一があり政府は動きません(しかも、最近の日本は、謝ることを知らないプライドの高い中国民族同様に、先進国としての、大国意識のプライドを持つようになったのです。)・・しかし、日本政府がセカンドレイプをしているような(ハルモニの心の傷に塩を塗り込んでいるとも言われる)見解には意見を保留させていただきます・・今なされるべきことは怨恨を遡って過去に謝罪することでもないと思います。 歴史で起こったことに勇気と現状の理解を示すことのほうが過去の謝罪より重要です。今日の日本の世代が謝罪すべきことがあるとすれば、現状と未来になにも解決の行動をしていないことではないでしょうか?そして、隣国関係に相互互恵など長くは続きません。利益の関係ではなく、利害を超えて本当に相互に尊敬できる関係が必要なのです。民族対立を乗り越えるために、本当に必要な相互信頼の関係が失われているのです。P


 偽りのない歴史の理解やハルモニの勇気に共感や尊敬の意を示す日本人も多いのです、それは過去への謝罪以上の価値をもつ、平和を愛する今日の日本民衆の良心の証だとも思います・.。しかし、ハルモニには、もう時間がないことは否定できない事実ですね。P


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モノローグ「謝れ」イヴ・エンスラー

私たちの話は私たちの頭の中にだけ存在する。
蹂躙された私たちの体の中にだけ
戦争の時間とがらんどうの空間の中にだけ
どの様な公式的な記録も文書も跡形も無い。
ひたすら良心だけ。
ただそれだけ。
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私たちが約束されたこと
私が彼らについて行けば父を助けられる。
仕事につくことができる。
国のために働ける。
行かなければ私を殺すという。
そこがもっと良いという。
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私たちがみつけたもの
山も無く
木も無く
水も無く
黄砂 砂漠
涙でいっぱいの倉庫
数千名の心配事だらけの少女たち
私の編んだ髪は切られ
下着をつける時間も無かった
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私たちがさせられたこと
名前を変えさせられ
ボタンの外しやすいアッパッパを着せられ
一日に50人の軍人の相手をさせられ
生理の時もさせられ
服も脱がず男根だけを出す軍人ともさせられ
あまりにも多くの男を相手にして歩けなくなってもさせられ
足を伸ばすことも体を曲げることができなくてもさせられた。
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彼らが私たちに繰り返ししたこと
ののしり 殴られ
血まみれになるまで腹をえぐり
消毒して 注射して
また殴り
穴をあけ 穴をあけ
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私たちが見たこと
浴室で化学薬品を飲んだ少女
爆弾に当たり死んだ少女
銃に撃たれさらに撃たれた少女
壁に頭を打ち付けた少女
溺死するように川水に放り投げられた栄養失調になった少女の体
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私たちに許されなかったこと
体を洗うこと
出歩くこと
医師に診察を受けること
コンドームを使うこと
逃げること
赤ん坊を守ること
やめてと言うこと
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私たちが貰ったもの
マラリア 梅毒 淋病 死産 結核 心臓病 精神発作 憂鬱症
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私たちが食べたもの
飯 味噌汁 たくわん 飯 味噌汁 たくわん 飯 飯 飯
私たちがなったもの
破壊され
道具になり
不妊になり
穴になり
血だらけになり
肉の塊になり
追放され
沈黙され
1人ぼっちにされ
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私たちに残されたもの
決して消すことのできない衝撃
死んだ父
無賃金
傷跡
男への憎悪
子もなく 家もなく
空っぽになった子宮
酒癖
罪の意識と羞恥心
何も 何も!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私たちにつけられた名前
慰安婦
堕落した女たち
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私たちが感じたこと
私の胸は今も震えてる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
奪われたもの

私の生。
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私たちは今、74歳
82歳
93歳
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目は見えなくのろいけど準備はできている。
毎週水曜日日本大使館前で
これ以上恐れること無く
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私たちが願うこと
今すぐに
私たちの話がこの世から消える前に
私たちが死ぬ前に
日本政府よ
謝れ! どうか
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
慰安婦の女性たちに悪かったと
私に謝れ!
私に悪かったと謝れ!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私に
私に
私に
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
謝れ!
悪かったと謝れ!
悪かったと。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2013-03-16 22:13:30
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