東北の三陸沖は地震・津波が過去も発生している場所です。
有名な日本の童話作家の宮沢賢治を知っていますか。宮沢の思想は日本の東北人の不屈の精神を理解するのに役立ちます。
(東北震災での日本の東北人の不屈さは中国でも報道されましたが、新華社通信等は、宮城の水産会社の中国人研修生約20人を連れて高台に避難した後、自分の家族を捜しに戻り、研修生たちの目の前で津波に呑み込まれて犠牲になった佐藤さんの英雄行為について特に詳細な報道をしました。)
宮沢が生まれた1896年も大きな三陸沖地震があり、2万人以上が津波で亡くなりました。宮沢が死んだ1933年も三陸沖地震で1500人以上亡くなっています(行方不明含めると3,000人以上)。そんな悲劇の地で育ち関東大震災の時代に、岩手で一旦農学校の教師をしますが、教師を辞して農民育成のための自主組織「羅須地人会」を立ち上げ、地元の農業指導をしながらも、多くの本や詩を書き、故郷の自然を愛しユートピア社会を希求した童話作家でした。
当時、地震被害等の影響で貧しかった東北地方の貧困を目の当たりに見て育った宮沢が、望んだことは、金持ちになることでもなく、名声や結婚などの個人幸福でもなく、不屈に農村の平凡な生活を農民達のために生きることでした。禁欲生活を貫き生涯独身でした。
不怕雨
不怕风
不畏严寒与酷暑
结实的身骨
无欲
不动怒
始终安静地微笑
一日三餐仅需恕c米饭配
味噌汤及少许野菜
世间诸事
不随意判断
好好看仔细听
因此不会健忘
野外松林的深处
有小草屋供我栖身
村东小儿有恙
我去照顾
村西大妈疲倦
我来幇助署ト稻谷
村南有人即将往生
我毅然前往安慰
村北若有所・ヒ或诉讼
多无聊呀只求快止息
上ハ光普照我落泪
夏日乍寒我蹒跚步行
女l皆道我傻
不求夸奖
无须担忧
这样的人
我就想成为
(宮沢賢治「雨にもまけず」)
「皆は一人の為に、一人は皆の為に」とは『三銃士』の友情の誓いの言葉」です。「ONE FOR ALL,ALL FOR ONE」は、日本ラグビーの合言葉として有名な言葉ですが、もっと大きく社会と個人の幸福の関係で「ひとりは、万人のために、そして万人はひとりのために」と友愛社会の定義がされますが、労働農民党を支援しつづけ日蓮宗組織国柱会に入会して法華経を愛した、宮沢の幸福論もそのような社会主義的概念に近いものでした。ポラーノの広場でも描かれた産業組合とは、いわゆる協同組合の概念でした。
自分の身を犠牲にしてでも他人の幸せを願う東北人の気質の原点が宮沢の思想には感じられます。
童話『銀河鉄道の夜』では、「まことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。」と少女が父親から聞いたさそり座の誕生の話をします。
主人公の少年は「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまわない。」
とさえ語ります。その少年と夢で一緒に旅を続けた親友は、「誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。」と語りますが、夢から覚めた主人公は、その親友が、主人公は嫌いだったクラスメイトを助けようとして川で死んでいたことを夢からさめて知ります。
「・・どうか憎むことのできない敵を殺さないでいゝやうにはやくこの世界がなりますやうに、そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまひません」『烏の北斗七星』にも自己犠牲的な表現が書かれています。
『農業芸術概論綱領』では「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない!自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する」と宮沢は自然の一部でもある個人の幸福が社会的世界を前提とすることを発見し、個人主義たる自我の克服も社会的に進化して行くと主張しているのです。また、「かなしみはちからに、欲(ほ)りはいつくしみに、いかりは智慧(ちえ)にみちびかるべし」との言葉でも有名です。P
(あなたは幸福ですか?)
なにがしあわせかわからないです。
ほんとうにどんなつらいことでも
それがただしいみちを進む中でのできごとなら
峠の上りも下りも みんなほんとうの幸福に近づく
一あしずつです。(銀河鉄道の夜)