クリミアのナタリア・ポクロンスカヤさんは33歳の若さで、3月11日に検事総長に就任しました。クリミア中心都市シンフェロポリで会見した姿は、日本では美人すぎると話題にもなり、早速アニメにもなりました。
「女性よ自立しなさい、自分の足で立ちなさい」との名言でも知られるクリミヤ戦争で活躍した「ナイチンゲール」でもクリミアの地は有名です。(クリミアの天使としてイギリス国民から偶像視されたナイチンゲールの活動は、その後、スイスの銀行家デュナンの心を強くうち、赤十字の創設に繋がりました。)
また、日本が樺太南部をソ連に返還、千島列島をソ連に引き渡すこと中国・満州の港湾と鉄道におけるソ連の権益を確保、ドイツ降伏後のソ連の対日参戦等や第二次世界戦後の国際秩序の骨格が決められた1945年2月のヤルタ会談の開催地としてもクリミアは有名です。
3月21日、黒海沿岸のクリミアとセバストポリをウクライナからロシアに編入させる関連条約をロシア上院(連邦会議)は批准、編入に必要な憲法改正案を可決しました。同日にロシアのプーチン大統領は手続きを完了させる法にも署名しました。
これにより、第二次世界戦後の国際秩序にも大きな異変が生じる結果となりました。アメリカやEUは3月17日にロシア政府高官らの資産凍結や渡航禁止などの制裁措置の発動をすでに決めましたが、欧米諸国も国連もロシアの覇権大国的な行動を阻止できなかった事実は、第二次大戦の教訓として、国連が一環して否定し続けてきた「武力による国境線の変更」という一線を越えたとも言われます。この歴史事実は、シリア内戦や北朝鮮、イランの核問題など、米ロを含む多国間の枠組みで平和的解決を目指してきた諸課題にも今後に、悪影響が及ぶことが危惧され、日本・アメリカと中韓との間の領土問題を絡めた東アジアの覇権争いにも影響が及ぶことが危惧されています。(クーデター的な覇権でウクライナの民主主義が否定されましたが欧米はこれを支援し、クリミア併合でウクライナの憲法も否定されロシアの覇権支配が実施されたのです。民主主義も憲法も否定され、結局、軍事力による覇権支配が事実上肯定されたという誤ったメッセイジは危険です。)
一方、新ウクライナ政府は3月19日クリミア半島を非武装地帯とすることを国連に提案しています。ロシア軍とウクライナ軍の双方をクリミア半島から撤退させることを提案しているのです。アメリカからの要請で、ロシア制裁ばかりが議論され、軍事力による覇権の確保ばかりが議論されていますが、当事者のウクライナからの平和的解決へ向けた提案に、アジア社会も、もっと積極的に係わる必要があるのではないでしょうか。(特に日本は、チェルノブイリを抱えるウクライナに民間レベルですが人道支援の目を向けてきた歴史さえ有しています。そして、チェルノブイリの経験は福島に生かされるべきです。因みに名横綱で知られた故大鵬氏の父親はウクライナ・ハリコフ州の出身です。)
(事故情報の隠蔽はありましたがキエフでは大量の学童疎開もあったと言われます。1986年当時、ウクライナのチェルノブイリ原発は「石棺」という対策がとられ放射性物質を遮断するために、鉛やコンクリートで全体を覆ったのですが、漏れはその後も止まらず、28年たった今も原発の30キロ圏内は線量が高く、普通に人が住むことができない居住禁止区域と言われています。アメリカ国立癌研究所の調査結果、慢性被曝による癌リスクは日本の原爆のリスクに匹敵し、白血病全体のリスク増加や慢性白血病発生に影響を及ぼしていることが分かったとチェルノブイリに係る現状が公表されたのは2011年のことでした。P)
ウクライナのアンドリー・パルビ国家安全保障・国防会議議長は記者団に「ウクライナ政府は、国連に対し、クリミアを非武装地帯と認識し、ロシア軍のクリミア撤退とウクライナ軍の再配置に向け、必要な措置を講じることを直ちに求める」と述べています。
ウクライナもEUも天然ガス輸入の多くをロシアに頼っています。単なる、政治的な覇権主義への批判だけでアメリカのようにロシアに対して強い姿勢には踏み切れない背景もあります。
しかも、ロシアは、この間のウクライナのオレンジ革命などの一連のカラー革命は、都合の悪い政権を除去するためのアメリカの手によるツールであることを非難しています。
1991年のソ連崩壊後、ウクライナの領土ともなったクリミヤですが、3月16日に行われたクリミヤの住民投票では、投票した人の96.77%がロシアへの連邦加盟に賛成しました。背景は、単純にロシアの軍事圧力があっただけでなく、ロシア民族が6割住み9割がロシア語を話すクリミアの特殊性もあると言われます。
ウクライナ国家の一部を構成しているクリミア自治共和国ですが、ウクライナ中央政府との話し合いを抜きにした一方的な分離・独立は、明らかにウクライナ憲法違反でもあります。(ウクライナ憲法では73条で「領土の変更問題は国民投票のみで議決できる」と明示しています。)ウクライナのトゥルチノフ大統領代行は、「領土・国境線の変更にかんする決定は全ウクライナの国民投票が必要」と述べています。しかし、そのウクライナ政府の正当性が揺らいでいる時期における今回のクリミア独立でした。2014年2月、ウクライナでは憲法にそぐわない形でクーデターが発生し、腐敗はしていましたが、形式的には、民主主義的手続で合法的に選ばれた大統領が権力の座を追われたのです。クーデターを行った主要な勢力はウクライナ国粋主義者、ネオナチ主義者、反ロシア主義者、反ユダヤ主義者らだともロシア側からは言われます。確かにクーデターでは、殺人、テロル、強奪が行われた疑惑もあり、アメリカを初めとしたEU側が支援したウクラウナ内のクーデター勢力が果たして平和的な民主的勢力なのか、疑問も呈されていることも現実です。
クリミヤおよびセヴァストーポリの住民たちはロシアに対して、自分たちの権利を守ってくれるよう自ら要請し、キエフで起こった軍事クーデターのようなことがないよう望んだとも言われます。クリミヤ自治政府は、住民投票を行って、まず民意を問いました。住民投票は国際的基準に則って行われ、一応独立した国際監視員によっても確認されています。日本で報道されているような『銃による脅迫のもとで』行われたのものだとの決め付けは短絡的には、出来ない様子です。
ロシアのプーチン大統領は2009年にコソボがセルビヤから分離した際のアメリカによる声明を引き合いに出して牽制しました。「独立宣言は国内法に背くものかもしれないが、国際法を犯していることにはならない。」と確かに、そのようにアメリカは当時声明を出しました。プーチン大統領は、「クリミヤ住民の行動はこの範疇にあり、コソボのアルバニア系住民には許されることが、クリミヤにいるロシア人やウクライナ人、クリミヤ・タタール人には禁じられている。」のかとして牽制し、クリミアの併合は、あくまでクリミアの民族自決権と民主主義による行動だと主張しているのです。この主張にアメリカは反論できませんでした。プーチン大統領は3月18日のモスクワ中心部の「赤の広場」で行われたウクライナ南部クリミア自治共和国のロシア連邦への編入を祝う記念イベントでの演説で「クリミアとセバストポリは長く困難な航海を終え、祖国の港、ロシアへ戻ってきた」と語り、熱狂的なナショナリズムに煽られたロシア民衆はこれを支持しました。
ウクライナのメディアによると、同国南部クリミア自治共和国の中心都市シンフェロポリで3月18日、ウクライナ軍とロシア軍(服装から推定)とみられる部隊の間で銃撃が起き、ウクライナ兵1人が死亡、2人がけがをしたと報じられています。一方、スナイパー(狙撃手)が銃撃したとの情報もあるといいます。クリミアの通信社では「シンフェロポリの通りで銃撃があり、(ウクライナ兵ではなく)自警部隊が1人死亡した」とも報じています。
Before they call him a man?
How many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
How many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned?
The answer is blowin' in the wind.
How many years must a mountain exist
Before it is washed to the sea?
How many years can some people exist
Before they're allowed to be free?
How many times can a man turn his head,
and Pretending he just doesn't see?
The answer is blowin' in the wind.
How many times must a man look up
Before he can see the sky?
How many ears must one man have
Before he can hear people cry?
That too many people have died?
The answer is blowin' in the wind.