学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

小学校英語必修化を危惧する

2006-04-16 | 教育
われわれは,言葉を用いて考えている。
いや少なくとも,考えた結果を表現するには,
言葉を用いている。

ということはすなわち,
その人の言葉の力が,
その人の思考力を規定するということになる。

ということは義務教育段階で,
できるだけ時間をかけて豊かな言葉の力を身につけさせることが,
思考力の向上のための基礎を形づくるのである。

一方,言語習得の際に
2言語以上を習得した場合,
よほどめぐまれた資質の持ち主でもなければ,
いずれかの言語が優位となる。

その優位となった言語の能力に,その人の思考力は規定される。
第2言語以下を用いて思考することも可能だろうが,
優位言語による思考力には及ばない。

このように考えたうえで,
思考力をひとつの山に例えてみると,
第2言語以下の習得は,
山の裾野を広げることにはなっても,
山の高さを高めることにはならないということになる。

そればかりか,総学習時間の制限のある小学校で,
新しい教科として英語を必修化したならば,
必然的に,日本語を用いて行われる他教科の時間を圧迫する。
それだけ,日本語の能力を高める時間的余裕が減るのである。

このように時間だけで考えてみても
極めて優れた資質を持つ者は別として
小学校英語の必修化が結果として
小学生の多くの思考力の低下を招くことになりそうな
気がしてならない。

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見ることを学べ

2006-04-11 | 教育
中島敦の『名人』という作品で,弓の名人になりたい男に
師がまずやらせたことは,見ることを学ばせることであった。

見ることこそは,学びの基本である。
生徒にとっても,教師にとっても,
見ることを学ぶことは何より大切である。

見えるものを,正確に見ること。
見えないものを,洞察して見ること。

眼光紙背に徹するというが,
まさに至言である。

学びの本質は,見ることにある。

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デジタル学習への危惧

2006-04-08 | 教育
近頃,タブレットPCなどを利用したデジタル学習が
実用化してくるようである。

とくに,小学生のいわゆる反復学習に効果的だと
指摘する御仁もおられるようだ。

黒板,チョーク,ノート,鉛筆とおさらばして
フルデジタル化だといきまいておられる御仁もおられるようだ。

本気で,このようなデジタル学習が子どものためになると
思っているのだとしたら,
教育者として
あまりにも人間理解が浅薄であると同時に
ITに対する理解も浅薄である。

なにより小学校教育で何が大事なのかを
完全に見誤っている。

教育の仮面をかぶった商業主義ほど
おそろしいものはない。

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学習習慣の大切さ

2006-04-07 | 教育
学習習慣は大切である。

小学校1年生のときから,
学習習慣を身につけさせるべきである。

学校で,先生の言うことをよく聞くこと。
先生に言われたとおりに行動することを覚えること。
家に帰って,学校であったことを保護者に話すこと。
保護者はそれを聞いてやること。
学校の宿題や日課となっている勉強を終わらせてから
遊ぶこと。
寝る前には,明日の準備をきちんと終わらせておくこと。
寝るときに,今日一日を振り返ること。

このような習慣づけがすべて学習習慣につながる。
そしてこのような学習習慣は,
生涯にわたる生活習慣の基礎となり,
誠実でまじめな人格を形づくる。

このような習慣をいい加減にしておいて,
学校の勉強を軽視し,
進学だ,偏差値だに血道をあげて
その方向で子どもを駆り立てることは
愚かである。

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よい学校

2006-04-04 | 教育
よい学校とは,たとえば,よい先生がいる学校のこと。

よい先生とは,生徒をきちんと見つめてくれる先生のこと。
自分のことより生徒のことを第一に考えてくれる先生のこと。
生徒のことに真剣になってくれる先生のこと。
名もない先生のこと。

よい学校とは,たとえば,よい友だちがいる学校のこと。

よい友だちとは,自分の悲しみをともに悲しんでくれる友だちのこと。
よい友だちとは,自分の喜びをともに喜んでくれる友だちのこと。
よい友だちとは,自分の怒りをなだめてくれる友だちのこと。
ゆるしあえる友だちのこと。

新学期,よい先生やよい友だちのいるよい学校をつくりたい。

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極論 読書のすすめ

2006-04-01 | 教育
読書に関する極論。

本を読むべきである。

しかし,本には読むべき本と
読むべきでない本がある。

読むべき本を読むべきである。
読むべきでない本を読むべきではない。

読むべき本とは,歴史の淘汰を経た古典である。
歴史の淘汰を経ていない本に,読むべき価値はそれほどない。
少なくとも,歴史の淘汰を経ていない本は,
人格形成にはほとんど役に立たない。

本を読むことを通して,
深い人間理解に到達しようとすれば,
やはり古典の言葉に耳を傾けるべきであろう。
古典は,古いがゆえに尊いのである。
時間の淘汰を経た重みは何ものにもかえがたい価値である。

読書をすすめておいて,
読むべき本すら示さない現在の風潮は
無責任にすぎるのではないか。

ただ読めばよいというものではない。
読まないほうがよい場合すらある。
ただ読書習慣さえつけばよいというような教育論は
暴論である。

教師には,読むべき本を子どもに読ませる義務がある。

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