われわれは,言葉を用いて考えている。
いや少なくとも,考えた結果を表現するには,
言葉を用いている。
ということはすなわち,
その人の言葉の力が,
その人の思考力を規定するということになる。
ということは義務教育段階で,
できるだけ時間をかけて豊かな言葉の力を身につけさせることが,
思考力の向上のための基礎を形づくるのである。
一方,言語習得の際に
2言語以上を習得した場合,
よほどめぐまれた資質の持ち主でもなければ,
いずれかの言語が優位となる。
その優位となった言語の能力に,その人の思考力は規定される。
第2言語以下を用いて思考することも可能だろうが,
優位言語による思考力には及ばない。
このように考えたうえで,
思考力をひとつの山に例えてみると,
第2言語以下の習得は,
山の裾野を広げることにはなっても,
山の高さを高めることにはならないということになる。
そればかりか,総学習時間の制限のある小学校で,
新しい教科として英語を必修化したならば,
必然的に,日本語を用いて行われる他教科の時間を圧迫する。
それだけ,日本語の能力を高める時間的余裕が減るのである。
このように時間だけで考えてみても
極めて優れた資質を持つ者は別として
小学校英語の必修化が結果として
小学生の多くの思考力の低下を招くことになりそうな
気がしてならない。
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いや少なくとも,考えた結果を表現するには,
言葉を用いている。
ということはすなわち,
その人の言葉の力が,
その人の思考力を規定するということになる。
ということは義務教育段階で,
できるだけ時間をかけて豊かな言葉の力を身につけさせることが,
思考力の向上のための基礎を形づくるのである。
一方,言語習得の際に
2言語以上を習得した場合,
よほどめぐまれた資質の持ち主でもなければ,
いずれかの言語が優位となる。
その優位となった言語の能力に,その人の思考力は規定される。
第2言語以下を用いて思考することも可能だろうが,
優位言語による思考力には及ばない。
このように考えたうえで,
思考力をひとつの山に例えてみると,
第2言語以下の習得は,
山の裾野を広げることにはなっても,
山の高さを高めることにはならないということになる。
そればかりか,総学習時間の制限のある小学校で,
新しい教科として英語を必修化したならば,
必然的に,日本語を用いて行われる他教科の時間を圧迫する。
それだけ,日本語の能力を高める時間的余裕が減るのである。
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極めて優れた資質を持つ者は別として
小学校英語の必修化が結果として
小学生の多くの思考力の低下を招くことになりそうな
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