私の世代では,
塾に行っていない子どもがたくさんいた。
むしろ,
習字やそろばんといった学校ではさほどやらないことを,
習い事という形で習う学校外教育の場の方がさかんであった気がする。
学校の勉強はあくまでも学校が主体で,
あとは自分で予習復習をするというのがあたりまえで,
塾に行くということは,
自分でやるべきことを人に頼っているという
後ろめたさがどこかにつきまとっていたように思う。
勉強ができるできないが,
塾に行った行かないに転化されるようなことは
少なくともなかった。
地方差もあるであろうが,
高校生などでも,学校の勉強だけで,
あとは,教科書や参考書を頼りに,自分で勉強した。
浪人してはじめて,
予備校に通うというパターンが多かったように思う。
そのような世代の者から見ると,
校種を問わず入学試験に合格するためには,
塾に行かなければならないというような風潮に
親も子どもも捉われ,
しかも,その風潮に
学校も,教師も,そして文部科学省までもが,
NOをつきつけなくなってしまったことが,
果たして,
我が国の教育にとってよかったのかどうか,
いつも疑問に思っている。
塾に行っていない子どもがたくさんいた。
むしろ,
習字やそろばんといった学校ではさほどやらないことを,
習い事という形で習う学校外教育の場の方がさかんであった気がする。
学校の勉強はあくまでも学校が主体で,
あとは自分で予習復習をするというのがあたりまえで,
塾に行くということは,
自分でやるべきことを人に頼っているという
後ろめたさがどこかにつきまとっていたように思う。
勉強ができるできないが,
塾に行った行かないに転化されるようなことは
少なくともなかった。
地方差もあるであろうが,
高校生などでも,学校の勉強だけで,
あとは,教科書や参考書を頼りに,自分で勉強した。
浪人してはじめて,
予備校に通うというパターンが多かったように思う。
そのような世代の者から見ると,
校種を問わず入学試験に合格するためには,
塾に行かなければならないというような風潮に
親も子どもも捉われ,
しかも,その風潮に
学校も,教師も,そして文部科学省までもが,
NOをつきつけなくなってしまったことが,
果たして,
我が国の教育にとってよかったのかどうか,
いつも疑問に思っている。