キャリア教育の充実が必要だと言われている。
子どもに正しい職業観や勤労観を教育するのは,
とても大切なことである。
しかし,この場合の職業観とは,
「職業に貴賤なし」という言葉に
象徴されるような職業観であって,
決して,ある特定の職業に憧れを持つように
しむけるものであってはならない。
また,勤労観については,
どのような職業に就こうとも,
真面目に誠実に働くという意味での
勤労観でなくてはならないと思う。
すなわち,キャリア教育とは,
子どもの全人的な発達を促す教育でなければならず,
早くから自分のなりたい職業を決めて
それに向かって,すなわち夢に向かって
努力しようなどと呼びかけるような
浅薄なものであってはならないのである。
なぜなら,職業選択というものは,
子供たちの将来を考えた場合,
自分の意志で選び取ることができる場合というのは,
むしろ,まれであって,
その人を取り巻く諸般の状況が,
ある職業へと,その人を導いていることが多いのではないか。
西欧語で,callingとかvocationとかBerufという言葉のニュアンスが,
まさに職業というもののもつ特質である。
自分にはあずかり知ることのできない力によって,
導かれた場所こそが自分の場所であると考えて,
与えられた職業に専心することが大切なのである。
職業とは,
自分の意志だけで「選択」できるものではないのだということを
子どもたちに理解させ,
どんな場所でも力を発揮できるように準備させることが,
キャリア教育にとって
もっとも必要なことである。
そう考えてみると,
とりたててキャリア教育などと言う必要はなく,
人格形成を含めた学校教育の充実こそが,
真の意味でのキャリア教育をも包含するということになるであろう。
子どもに正しい職業観や勤労観を教育するのは,
とても大切なことである。
しかし,この場合の職業観とは,
「職業に貴賤なし」という言葉に
象徴されるような職業観であって,
決して,ある特定の職業に憧れを持つように
しむけるものであってはならない。
また,勤労観については,
どのような職業に就こうとも,
真面目に誠実に働くという意味での
勤労観でなくてはならないと思う。
すなわち,キャリア教育とは,
子どもの全人的な発達を促す教育でなければならず,
早くから自分のなりたい職業を決めて
それに向かって,すなわち夢に向かって
努力しようなどと呼びかけるような
浅薄なものであってはならないのである。
なぜなら,職業選択というものは,
子供たちの将来を考えた場合,
自分の意志で選び取ることができる場合というのは,
むしろ,まれであって,
その人を取り巻く諸般の状況が,
ある職業へと,その人を導いていることが多いのではないか。
西欧語で,callingとかvocationとかBerufという言葉のニュアンスが,
まさに職業というもののもつ特質である。
自分にはあずかり知ることのできない力によって,
導かれた場所こそが自分の場所であると考えて,
与えられた職業に専心することが大切なのである。
職業とは,
自分の意志だけで「選択」できるものではないのだということを
子どもたちに理解させ,
どんな場所でも力を発揮できるように準備させることが,
キャリア教育にとって
もっとも必要なことである。
そう考えてみると,
とりたててキャリア教育などと言う必要はなく,
人格形成を含めた学校教育の充実こそが,
真の意味でのキャリア教育をも包含するということになるであろう。