自由人?

自分なりの自由な生き方を模索できているだろうか?

昔流行った悲劇のヒーロー

2007年04月23日 | 雑感
レッドソックスの松坂がヤンキース相手に2勝目をあげたそうだ。
さぞや快投乱麻のピッチングで、KKKならぬ三振の山かと思いきや、
6失点だそうだ。
それでも勝利投手だそうだ。
もっとも1点、2点で負けることもあるから、まあ~お相子さまかな?
これも松坂が強運の持ち主(?)所以だろうか???
ともかく勝は勝、勝利投手であることに変わりは無い。

とはいえ、ベンチでその後の試合を見つめる松坂の表情は硬く、
まるで負け投手のようだったらしいが…。
おそらく本人にしてみれば、何ともいえない惨めな気分だったことだろう。
ほんとに苦い苦い勝利だったに違いない。

一方、わが日本のプロ野球では、楽天の田中投手が
ソフトバンクの強力打線をわずか1点に封じ込め、
新人で初勝利をあげた。

こちらは堂々の勝利であるが、此処に至るまでに何度か打たれ、失点を
重ねてきたが、不思議と敗戦投手にはなっていない。
松坂同様、いや、松坂以上に強運の持ち主なのかも知れない。
3連覇のかかった昨年の夏の甲子園で、例の早稲田の斉藤投手に負けたのは
このような強運の持ち主に対する神のいたずら(これ以上うまく行くと本人
が天狗になるのでは無いかと危惧した?)だったのではと
勘繰りたくもなってくる。

ともかくいずれにしても、松坂のこの勝利も1勝であることに
違いはない(一笑ではありません)。
シーズンが終わり、過去の記録となると10数勝の中に紛れてしまい、
輝かしい記録を構成する価値ある1勝となってしまう。

強運の持ち主だからこその成せる業であり、これが2,3勝しか揚げられない
投手の勝利の1つでは、同じ1勝でもとても強運とは言いがたい。

どこの世界にもこのような強運を感じさせる人は必ずいるが、周りの皆と
どこか違う。
最近はこういう人が目立つようになってきた。

ところが、ひと昔前は大きく違っていた。
人々は勝者以上に敗者を称え、悲劇のヒーローとして賞賛した。
勝者はむしろ悪と見做されることもしばしばあった。
従って勝者はいつも謙虚であった。
が、今は違う。
勝者がインタビューで誇らしげに語る姿がやたら増えている。
もちろん、好ましい限りのなにものでもないが、
世の中変われば変わるものだ。

でも、小生にはなにか一寸微妙な違和感がある。
こんなことに思いを馳せている小生が古いのだろうか?


最新の画像もっと見る

コメントを投稿