自由人?

自分なりの自由な生き方を模索できているだろうか?

にわか裁判員に大岡裁きができるか?

2009年05月25日 | Weblog
市民参加の裁判員制度がスタートした。

何事も実際に実行してみないと始まらないが、
果たしてうまくいくのだろうか?

表決の結果が人の運命を左右するだけに、
「やってみなければわからない」では済まされないだろう。

報道によれば(全国民に制度の詳細と裁判員の役割・任務等を
周知徹底する資料が配られてないので引用だが。。。)
その功罪は以下のようである。

まず効果については
①市民の常識や価値観の反映
②権力や体制に対する抑制機能
③参加型民主主義ー人民による統治(?)
④市民に対する教育的効果
⑤裁判の迅速化
などとなっている。

一方懸念されることは
①裁判員の持つ偏見
②法適用能力に対する疑問
③裁判のパフォーマンス化
④実務にかかるコスト
などがあげられている。

海外の映画などでも裁判の場面が結構多い。
大勢(通常6~12名)の陪審員が評決を下す。
概ね無実の罪で起訴されたり、止む無く人を傷つけたりした被告が
陪審員の評決で無罪を勝ち取る場面が多いが、
仮に正しい結果であるとしても、パフォーマンスの匂いを感じる
と言っては言いすぎだろうか。
いやこういった映像をみた日本の国民が、たとえ一部の人であれ
影響されないかといささか心配である。

一方陪審員が評決に至るまでの行動、議論、感情の起伏・変化、
弁護士や検察官の陪審員の抱きこみ工作等々が極めてリアルに
描かれている映画もある。(題名は忘れたが。。。)
その結果無実の罪を着せられるケースもあったりするが、
もしこのようなことが日本の裁判員制度であったとしたら
恐ろしいことだ。

カウントダウンに入ってから、新聞でも市民の声が毎日採り上げられていた。
裁判員に選ばれた心境や、もし選ばれたらどう対応するかなど
それらの記事からは個人の赤裸々な気持ちがヒシヒシと伝わってくる。
いざ選ばれたとなるといかなものか、実際その身にならなければ解らないが、
出来ることならやりたくないのが大多数の正直な気持ちであろう。

いやはやどうなることか。

ま、政治家の罪を追求する裁判ならあまり抵抗はないのだが。。。






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