kayo社会人一年目でもあった年
ようやくうちの町内でも
本番前に練習やるようになった。
向馬口労町近くにある銀行の駐車場で…
ちょこっとだけど練習した。
今でこそ年がら年中、
いろんな町内がいろんな場所で練習してるものですが
当時は
本番時期以外に竿燈練習はやってなかったと思う。
出竿も今ほど多くはなかった。
そんな時代だから
竿燈前に少しでも練習やれるようになったのは貴重でした。
なんとか肩と平手を(それなりに?)あげれるようになり
本番を迎えた3年目の竿燈祭り。
またまた意気揚々
竿燈祭り…お祭り男となり頑張りました。
当時のお客さんはすごい入りで大盛り上がり
こっちも応えようと出来る限りの演技で竿燈祭り張りきってやったのでした。
とにかく人の多い時代です。
そしてそんな竿をやりながらもkayo…
お囃子にもすごく興味があり
ずーっと竿やりながら囃子も見てました。
太鼓、楽しそうだな
とか
どう叩くんだろう
とか
初日の夜、宴会が終わって
竿燈を誘ってくれた友達のうちに泊まった時kayoは聞いたの。
kayo
『あのさ、太鼓ってどういうフレーズなの?』
こうへい(ともだち)
『おれもやったことないけど…』
といいつつ
『どどーんドン♪ どどーんドン♪ どどーんどどーんどどーんドンドン♪』
『どーんドンドン♪どーんドンドン♪… …』
と教えてくれた
こうへいは幼若からやってたからフレーズは出来ていたのでした。
それを寝るまでずーっと教えてもらって
布団にはいってもずーっと口ずさんでいた♪
それ、そのフレーズがまさに
いまの和奏会で基本でやってるのと同じな訳ですが。
そして次の日(二日目)
本番の行進が終わり
いざ演技開始でした。
基本、竿だったのでkayoは演技に夢中でした。
お客さんのざわめく中
大賑わいの中、一生懸命いい竿燈差そうと演技をしていた。
そんな中
気になる屋台にふっと目をやった。
すると…
なぜかお客さんが屋台にたくさん集まっている!!!
その光景
人が人を呼んで
すごい状況だったの覚えている。
みんな
なんだなんだー!って感じで。
そんな屋台の真ん中ではkayoにはすごく明るく
光っているように見えたんです。
オーラってそんな感じと思う
そしてその中心ではすごいいい音が♪
人ごみの中、真中がすごく光ってて
そして中で叩いてる人が音がものすごくて
それは…
当時まだ若かった等○さんだったのでした…^^;
とにかく凄かったです!
22か23の時の等○さん。
若かったです(^^
ホントにかっこよかった。
そして…
少し回想終わり、
ちょっとkayoの気持ちのお話しですが。。。
お囃子って…
目指すべきものやその町内での環境とか
あとはきっかけや教えに基づくもの
いろいろあると思います。
自分はこの時の衝撃が忘れられず。
竿も好きだし
演技もしたかった
けど
あの太鼓を目の当たりにして
太鼓に目が行った後…
人々を魅了する音
人々を魅了する太鼓のバチさばき、
人々を魅了する叩いてるときの躍動感
人々を魅了するオーラ
とにかくこれがやりたかった。
そして見て欲しかった。
オーラと躍動感とバチさばきと…
そこには妙技会という言葉はまったく無意味なものなのです。
(妙技会についてのお話しはまた機会あったらしたいと思いますが。。。)
そして
それが町内の竿の人たちにも聞こえるように
うちのお囃子が聞こえると理解してもらえるように。
それが自分の太鼓に対する思いの『原点』
だと思います。
今でもその気持ちは変わりません。
そして回想に戻ります^^
それを見てからは
いてもたってもいられず
その年の後半はずーっと太鼓叩いてました。
前日覚えたてのフレーズを
とにかくがむしゃらに叩いたんです。
その時のうちの町内のお囃子は
わずか3人か4人だったようでした。
叩き始めたら交代なし!
そんなお囃子隊でした。
だれも交代要員がいない・・・
そんな状況でした。
祭りが終わった後
昔から竿燈やってた笛のおじさんに
『おめーいきなり彗星のようにやってきたな!』
『まず人いなくて大変だったから助かった!そしていがったや!』
と言われてすごく嬉しかったの覚えている。
それからは本番はほとんどお囃子になったのでした。
でも毎年、竿の練習も怠りませんでした^^
理由…
一緒にやり始めた人たちと差がつくのがいやだったからですが。
とは言え…
今となっては竿一本でずーっとやってる人達にはかなわない気がする。
今は遅れを取り戻すべく
竿の方も一生懸命なんだけど。
そんな感じで
まだまだ竿燈祭り頑張るつもりです
『原点シリーズ』
まずはこんな感じで終了かな
ようやくうちの町内でも
本番前に練習やるようになった。
向馬口労町近くにある銀行の駐車場で…
ちょこっとだけど練習した。
今でこそ年がら年中、
いろんな町内がいろんな場所で練習してるものですが
当時は
本番時期以外に竿燈練習はやってなかったと思う。
出竿も今ほど多くはなかった。
そんな時代だから
竿燈前に少しでも練習やれるようになったのは貴重でした。
なんとか肩と平手を(それなりに?)あげれるようになり
本番を迎えた3年目の竿燈祭り。
またまた意気揚々
竿燈祭り…お祭り男となり頑張りました。
当時のお客さんはすごい入りで大盛り上がり
こっちも応えようと出来る限りの演技で竿燈祭り張りきってやったのでした。
とにかく人の多い時代です。
そしてそんな竿をやりながらもkayo…
お囃子にもすごく興味があり
ずーっと竿やりながら囃子も見てました。
太鼓、楽しそうだな
とか
どう叩くんだろう
とか
初日の夜、宴会が終わって
竿燈を誘ってくれた友達のうちに泊まった時kayoは聞いたの。
kayo
『あのさ、太鼓ってどういうフレーズなの?』
こうへい(ともだち)
『おれもやったことないけど…』
といいつつ
『どどーんドン♪ どどーんドン♪ どどーんどどーんどどーんドンドン♪』
『どーんドンドン♪どーんドンドン♪… …』
と教えてくれた
こうへいは幼若からやってたからフレーズは出来ていたのでした。
それを寝るまでずーっと教えてもらって
布団にはいってもずーっと口ずさんでいた♪
それ、そのフレーズがまさに
いまの和奏会で基本でやってるのと同じな訳ですが。
そして次の日(二日目)
本番の行進が終わり
いざ演技開始でした。
基本、竿だったのでkayoは演技に夢中でした。
お客さんのざわめく中
大賑わいの中、一生懸命いい竿燈差そうと演技をしていた。
そんな中
気になる屋台にふっと目をやった。
すると…
なぜかお客さんが屋台にたくさん集まっている!!!
その光景
人が人を呼んで
すごい状況だったの覚えている。
みんな
なんだなんだー!って感じで。
そんな屋台の真ん中ではkayoにはすごく明るく
光っているように見えたんです。
オーラってそんな感じと思う
そしてその中心ではすごいいい音が♪
人ごみの中、真中がすごく光ってて
そして中で叩いてる人が音がものすごくて
それは…
当時まだ若かった等○さんだったのでした…^^;
とにかく凄かったです!
22か23の時の等○さん。
若かったです(^^
ホントにかっこよかった。
そして…
少し回想終わり、
ちょっとkayoの気持ちのお話しですが。。。
お囃子って…
目指すべきものやその町内での環境とか
あとはきっかけや教えに基づくもの
いろいろあると思います。
自分はこの時の衝撃が忘れられず。
竿も好きだし
演技もしたかった
けど
あの太鼓を目の当たりにして
太鼓に目が行った後…
人々を魅了する音
人々を魅了する太鼓のバチさばき、
人々を魅了する叩いてるときの躍動感
人々を魅了するオーラ
とにかくこれがやりたかった。
そして見て欲しかった。
オーラと躍動感とバチさばきと…
そこには妙技会という言葉はまったく無意味なものなのです。
(妙技会についてのお話しはまた機会あったらしたいと思いますが。。。)
そして
それが町内の竿の人たちにも聞こえるように
うちのお囃子が聞こえると理解してもらえるように。
それが自分の太鼓に対する思いの『原点』
だと思います。
今でもその気持ちは変わりません。
そして回想に戻ります^^
それを見てからは
いてもたってもいられず
その年の後半はずーっと太鼓叩いてました。
前日覚えたてのフレーズを
とにかくがむしゃらに叩いたんです。
その時のうちの町内のお囃子は
わずか3人か4人だったようでした。
叩き始めたら交代なし!
そんなお囃子隊でした。
だれも交代要員がいない・・・
そんな状況でした。
祭りが終わった後
昔から竿燈やってた笛のおじさんに
『おめーいきなり彗星のようにやってきたな!』
『まず人いなくて大変だったから助かった!そしていがったや!』
と言われてすごく嬉しかったの覚えている。
それからは本番はほとんどお囃子になったのでした。
でも毎年、竿の練習も怠りませんでした^^
理由…
一緒にやり始めた人たちと差がつくのがいやだったからですが。
とは言え…
今となっては竿一本でずーっとやってる人達にはかなわない気がする。
今は遅れを取り戻すべく
竿の方も一生懸命なんだけど。
そんな感じで
まだまだ竿燈祭り頑張るつもりです
『原点シリーズ』
まずはこんな感じで終了かな
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