私がこの芝居を観たのは、30年近く前、どの劇団だったか出演者も忘れたが、千石の三百人劇場だったと記憶している。仏門に入り住職になるための大学に編入した時期で、火葬場が舞台との興味で足を運んだ。重く暗いテーマで、死の側から生を見据える深さと凄さに衝撃を受けた。その頃の自分は背景となる花岡事件や差別問題に関する知識も乏しく理解の至らなさを感じ、いつかまた見直したいと思っていた。
それはこの芝居が、差別や抑圧、理不尽や別れという真っ暗闇の中で、だからこそ見出せる命の光に出会えるという希望と力を実感させてくれたからだ。その頃は徐々にバブルに向かう時代で、「ネクラ」が流行語になり、暗い(重い・深い)ことが嫌われるムードに疑問と危うさを感じていた。
先日、初めて有馬理恵さんとお目にかかり、この芝居に対する思いを伺った。人間誰もが持つ闇を深く見つめ、掘り下げ、そこに見える命の輝きをその瞳に映し、千回公演を発願した情熱を語ってくれた。今回の江戸川公演を企画された間宮由美さんも、様々な人の問題に本気で取り組み、一緒に光を見出そうとされている。この二人のポジティブな明るさは本物だ。
「釈迦内柩唄」で繰り広げられる出来事は、私たちが人間として知らねばならないこと、考えなくてはならないことだ。そして決して過去のことではない。虐待や差別、そして自殺等々、現代の闇はますます深い。それらに正面から向き合い、その暗黒の中に光る、微かかもしれないが、いのちのエネルギーで灯された確かな光に照らされた時、人と未来を信じ、一歩真実に近づくことができる。
昼間は在っても見えないが、夜になれば美しい輝きを見せる星のような煌めきを、多くの人々に届けてほしいと願っている。
大河内秀人(おおこうち・ひでひと)
寿光院住職
江戸川子どもおんぶず 代表
パレスチナ子どものキャンペーン 常務理事
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