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理由があって、家を出たその人は、29歳。
貯金がなかった彼は、数日公園で過ごしてから、
職場で一緒だった同い年の人を訪ねました。
その人から私のところへの相談となって、
すぐに生活保護の手続きを開始することになったのが、連休前のことでした。
連休が長いため、ネットカフェで夜を過ごすお金を渡すことはできないということで、
どや、と呼ばれる簡易宿泊所に行くことになりした。
そこで、就職先も探しながら、次のセンターがあくまでの3ヶ月程度を過ごし、
その後、センターで3ヶ月過ごし、きちんと生活できるかどうかを見定めてから
アパートの転宅費用を出すというのです。
長い間のホームレス状態だった人には、その方法でも仕方がないと思うときもあります。
しかし、この彼の場合は、ずっと働いていて、貯金がなかったために家を借りることができなかったわけです。
鉄筋工では、貯金するだけのお金にはならなかったのです。
脳梗塞で倒れたことで、職場も辞めざるをえませんでした。
すっかりよくなって、すぐにでも、働きたいという気持ちがあるのに、
住所がないために、働き先が見つかりません。
心配で、その人の友だちたちと一緒に、どやを訪ねました。
どやー宿(やど)を「人が住むところではない」と自嘲的に逆さまに読んだのが始まりといわれます。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
この宿泊所は、清潔に掃除がされていました。
しかし・・・
布団を敷いたら、それだけでいっぱいの部屋。
となりの声が聞こえる薄い壁。
日の光は、隣と一緒の窓からのわずかなもの。
テレビだけが、友だち・・・。
近所にある一杯飲み屋さんの前には、
50代、60代、それ以上の人たちが、昼間からお酒を飲んでクダをまいていました。
ここいらにある簡易宿泊所に暮らす人たちだろうと思われます。
日雇い労働者が多いと言われますが、1泊2,000円は、決して安くはありません。
月6万円は、生活保護費から出る一人分の家賃よりも高くなります。
しかも、部屋には、トイレも風呂も、タンスもない。
最初の敷金礼金さえ払えることができたら、アパートに住むことができたら、
もっと、落ち着いた生活ができるだろうに・・・ドヤ街には、心がいたくなる空気が吹いていました。
20代の青年が、ここにいたら、これからの人生への希望は、日々薄れていくと思いました。
働きたい、きちんと暮らしたいという思いを助けること、応援することは、
行政が担う仕事です。
一時も早く職に就けるためにも、この状況を区に伝え、
アパートへの転宅費用を援助してもらわなければいけません。
そしてなかなか職がない事は痛感しています。もっと職があれば…福祉も調っていればと思います。お金がなくて病院にも行けない、その日の生活を心配しなくていけないなんて異常です。
一刻も早く、保護を受けて自立への一歩が踏み出せますように。
そして、体がおかしいと思っても、お金がなくて病院に行けないのは、ほんとうにおかしいことです。
安心して病院にかかれる世の中にしなければいけません。
絵里加さん、一緒に社会を良くしていきましょう。