江戸川区議会議員 間宮由美のblog * ひとりじゃないよ。プロジェクト*

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蟹工船、に託した思い

2008-08-02 | 行事*集会*懇談会のこと
侵略戦争に反対した小林多喜二は、治安維持法で逮捕、その日に虐殺された。
1933年2月20日。

写真は、1929年、小樽若竹町の自宅での多喜二。

    ……………

現在、ベストセラーとなり、日本の本屋さんに平積みをされている「蟹工船」。
この作者が、小林多喜二です。
日本のプロレタリア文学を代表する作品を世に送り出し、世界的作家となった多喜二が、
虐殺されていた事実をご存知でしょうか。

彼は、1926年(大正15年)に北洋漁業の蟹工船の中で実際に起きた事柄を題材にし、
過酷な労働状況と、そこから立ち上がる人々の姿を書きました。

蟹工船の労働条件や虐待について、多喜二は、漁業労働組合の人たちや
蟹工船の漁夫とも直接会い、また、新聞報道などの資料を収集し、
かなり長期にわたる調査をつづけたといいます。

そして、その歴史的文学作品を世に送り出した4年後、
戦争反対を貫いた多喜二は、治安維持法によって虐殺されました。その法律の下に、
送検された人は、1928年から終戦の45年までの間に7万5千人をこえ、
逮捕者は数十万人。
さらに、治安維持法による弾圧と一体になっていた予防拘束や警察への拘留は、
数百万人におよび、特高(特別高等警察)などの拷問によって、獄死・病死した人は
判明分だけで1682人にのぼります(治安維持法国家賠償同盟の調べ)。

今日は、毎年タワーホール船堀で行なわれている「平和のための戦争展」でした。
戦争反対と、声をあげたら逮捕をされるような、そんな社会を変えてきたのは、
平和と正義を貫こうとする多くの先輩たちでした。
後に続かなければ。

少し長くなりますが、今年7月に行なわれた、
日本共産党創立86周年記念講演会での、志位和夫委員長の講演の
多喜二と蟹工船の部分を掲載します。
どうぞお読み下さい。

「いま小林多喜二の『蟹工船』、79年前の1929年に書かれた作品がブームとなっています。
主要な新聞やテレビがそれに注目する特集をくみ、その注目は海外にまでおよんでいます。

フランスの新聞の「ルモンド」が、「新たな貧困層がプロレタリア文学に熱中」と
題する特集記事を掲載し、「『蟹工船』のおかげで、今日の不安定雇用の青年たちは、
自分たちの境遇が歴史に刻まれていることを発見している」と結びました。

多喜二が、この作品のなかで描いたのは、オホーツクの海で操業する「蟹工船」の中で、
すべての人間的権利を剥奪(はくだつ)され奴隷的な労働を強いられる
労働者の苦難だけではありません。

そうした苦難を生み出す社会的な仕組みがどこにあるかに目を向け、
その打開に向けて連帯して立ち上がる人々の姿を描いています。
そして労働者のなかでも、とりわけ底辺で苦しむ人々に温かいまなざしを向けています。

それが今日、派遣労働に象徴される奴隷的な労働が新たな形で復活するもとで、
今を生きる若者たちの心に染み込み、どんな理由があろうと非人間的な搾取は許されないと、
困難を乗り越えて連帯し、立ち上がることを励ましている。
私は、これは、多喜二を何よりも喜ばせることだと思います。

この時代に、日本共産党の先輩たちが、苛烈(かれつ)な迫害のなかで、命がけで掲げた旗印―
専制政治と侵略戦争に反対し、「国民が主人公」の平和日本をつくろうという旗印は、
戦後の日本国憲法のなかにしっかりと刻み込まれました。

そして多喜二の文学が、79年の時を超えて、
いま若者たちを温かく励ましてやまない生命力を発揮している。

これらは、正義と道理に立つものは、必ず未来に光があてられ、
未来に生きることを示しているのではないでしょうか。」


間宮由美のブログ*青空*2006-08-05 平和のための戦争展
間宮由美のブログ*青空*2007-08-19 平和のための戦争展
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1 コメント

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党生活者 (ぐっさん)
2008-08-17 18:44:25
「蟹工船」は家にあるのですがまだ読んでません。
でも「党生活者」でしたっけ?それは読みました。
当時の様子が漠然とではありますが伝わってきました。

赤旗(当時は「せっき」って読んだんでしたっけ?)を靴の中に入れて、それを工場の人たちに読ませる様子とかが、出版・言論の自由がなかったんだな、って感じました。

今はそれらの自由は確保されていますが、自由すぎるが故に真実が語られていない気がします。

媒体を問わず報道する立場にある人たちは、犠牲を恐れずに真実を語るべきですよね。
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