「放射能があるとわかっていれば、そんな危険なところに子どもを連れてなどいかなかった。
薬局の駐車場でオムツを配ると言われたから、赤ちゃんを連れて何時間も歩き、何時間も並んで待った。
校庭にヘリコプターが、何機も来ていると聞けば、子どもの手をひいて、みにいった。それもこれも、何の情報もなかったから。」
福島県二本松にお住まいの佐々木るりさんからのお話に、胸が詰まりました。
「子どもの権利条約フォーラム2013」国立オリンピック記念青少年総合センターにて(11/17)
〈子どもの権利から考えるふくしまと世界の子どもたち-子どもの権利条約は放射能とたたかうお母さんたちの“武器”になるか?〉
ゲストに、佐々木るりさんがおいでになると知り、その分科会に向かいました。
あの日のことを思い出しながら、一言ひとことゆっくりと話してくださるその話は、国や行政は、どこをむいているのだろうか、あらためて、悔しいと思いました。
あとで聞いたことによると、ヘリコプターは、除染をする人たちを、校庭の横の建物に連れてきていたのだったということ。
そして、その後、校庭の砂を測ると、90万ベクレルであったということ。
知っていれば、その砂を子どもたちにすいこませることもなかったと、大人たちが、ほんとうに悔やんでいると、話してくださいました。
その話を、浪江から避難しているお友だちにしたら、ほう、国はずるい、おかしい。だって、自分たちはしっかり、防護服をきているでしょ。知らない人たちは、そのままだったよ、と。
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