「仮設を、明日出てゆきます」というご夫婦がいらっしゃいました。
濁沢という山の方で被災され、仮設住宅に移って2年。
震災直後の1日目2日目は携帯も通じず、家族との連絡も取れず、
電柱も倒れていたのでテレビもつかず、そのときに、
一番ほしかったもの、それは「情報」だったということです。
2日間は、とにかく町内で「がんばろう」と励ましあったそうです。
仮設住宅に移ってからは、
全国からの物資の支援が、本当にうれしかったとおっしゃっていました。
気になったのは、プレハブの湿気。ぜひ対策をとってほしかったということです。
家を失って、まったく今までとは違う生活が突然始まった中でも、
家族とまわりの人たちと、励ましあってきた2年間、
その状況を受け入れるだけでも、大変なことだったと思います。
しかし、その仮設での生活も明日で終わりです。
融資を受けて、一軒家をようやく建てることができて、
「明日から、長岡市で、親子で同居します。」
とおっしゃたご夫婦の笑顔。胸が熱くなりました。
“命あればこそ”の、復興の笑顔だと思いました。
濁沢という山の方で被災され、仮設住宅に移って2年。
震災直後の1日目2日目は携帯も通じず、家族との連絡も取れず、
電柱も倒れていたのでテレビもつかず、そのときに、
一番ほしかったもの、それは「情報」だったということです。
2日間は、とにかく町内で「がんばろう」と励ましあったそうです。
仮設住宅に移ってからは、
全国からの物資の支援が、本当にうれしかったとおっしゃっていました。
気になったのは、プレハブの湿気。ぜひ対策をとってほしかったということです。
家を失って、まったく今までとは違う生活が突然始まった中でも、
家族とまわりの人たちと、励ましあってきた2年間、
その状況を受け入れるだけでも、大変なことだったと思います。
しかし、その仮設での生活も明日で終わりです。
融資を受けて、一軒家をようやく建てることができて、
「明日から、長岡市で、親子で同居します。」
とおっしゃたご夫婦の笑顔。胸が熱くなりました。
“命あればこそ”の、復興の笑顔だと思いました。
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