母の忘れもの

軽度認知障害になった母の記録

親切?

2019-08-12 15:09:20 | 日記
母と同じマンションにご主人も娘さんも亡くされて一人で暮らしている人がいる
入居当時から時々顔を会わせば少し立ち話をする程度の間柄だった

そのおばさんとの距離感がここ数年でおかしくなった

2~3年ほど前からそのおばさんが母をお茶に誘ってくれるようになったらしい

独居老人ばかりになりつつあるご近所同士仲良くしてくれるのはありがたかったがそのうち足の悪いおばさんは母に頼み事をするようになる

おばさんの家にはヘルパーさんも出入りしているが最初は母の買い物のついでに何かかってきてあげる程度だった

認知機能が衰え始めた頃に閉じ籠ってばかりいるよりはおばさんと交流があった方がいいかなとおばさんに何か頼まれたと言う話を「ふーん」と聞いていたがその頃から雲行きが怪しくなってきた

ある日おばさんのヘルパーさんに電話番号を聞かれて教えたと言う
母はおばさんの保護者でもないしおばさんの身内と連絡がとれる立場でもないのになんでそんなことになったの?と聞いても「よくわかんないけどどうしよう」という

それからすぐおばさんが救急車で運ばれた

どうやらおばさんが自分で母に電話をしてきたらしい
明け方だったのにおばさんの電話で起こされ母はおばさんの家へ行った
救急車で運ばれる時おばさんに病院まで一緒に乗っていってと頼まれて乗ってしまったらしい

一旦はおばさんも母も帰ってきたがその次の日の夕方またおばさんに呼ばれて救急車を呼び一緒に病院へ行ってしまった母

父の制止を降りきって行ってしまったらしく父から連絡を受けた私が母に電話をすると「しょうがないじゃない❗ほっといてよ❗」と泣きそうな声「もしおばさんにもしものことが起きても責任もとれないし身内じゃないから何もできないよ。身内の連絡先知ってるの?」ときくと「知らないけどおばさんが息子と連絡とってたみたい」と

普通に考えてなんで母がついていったのか
おばさんはなぜ母を連れていきたかったのかわからないまま

それから私はおばさんと距離をとるように母に言ったが母はおばさんからの電話に怯えるようになった

おばさんはそのまま施設に入ったらしいと聞いたが施設からもおばさんの電話はかかってきた

おばさんの電話がなるたび電話をもってどうしよう、どうしようとうちに来てはうろうろしながら半泣きの母

着信拒否したら?というと鬼の形相で「そんなことしたら何されるかわからん」と

悪意がある人ではないことは私もわかっていたけど母は精神的にどんどん追い詰められていっているのを感じた

結局それも認知機能低下によるものだと思うが何も決断できなくなっているようだった

娘が、おろおろする母を見かねてスマホがおかしいと言った母のスマホを直してあげると言ってついでにおばさんの番号を着信拒否設定した

それからおばさんの電話はかからなくなり母は徐々に落ち着いていった

おばさんの家のカギを預かってるというので返しておいでよと言うとおばさんの家のポストに入れようとしたら息子さんがちょうど来たので「もうお世話できないので」と返したらしい

やれやれだと思っていたら数週間後、おばさんが帰ってくることになってまた母が落ち着かなくなった
帰ってきてから今度は家に電話をしてきたり直接家に来たりして母が家の中をうろうろしながら泣くので父が母と一緒におばさんのところに行き「認知機能に問題があるので前のようなお付き合いはできない」と言いに行ったらしいがちゃんと伝わったかはさだかでない
しかしそれで母の気持ちは落ち着いたようだった

それでもおばさんはいろいろくれるらしい
お世話になったからと貰い物とかを持ってきてくれるが母はもらっては何か言うことを聞かなくてはいけないと思うらしく
「あれをもらったから断れない」と言うのが私としては気に入らない

意図してかはわからないがおばさんも相変わらず頼み事をしてくるらしい

おばさんとのトラブルはその後ないがよくスマホをなくす母にスマホの着信音量は最大にしておいてと言ってあるのだがいつも下げてあるので「なんで?」ときくと「夜中に電話が来たらじい(父)を起こしちゃうから」と言うが夜中にもし電話がかかることがあれば父にも関係あるだろうしそれなら家の電話が鳴るはずだから夜中にかかることはないよと説明すると「そうだけど」というがたぶんおばさんからの夜中の電話がトラウマになってるんだろうな



ピンクのラーメン

2019-08-11 13:53:36 | 日記
診断がおりる1年前からもう母の認知機能はおかしかった

私が結婚する条件は実家のそばに住むことだった
私が昼家にいるときは実家で食べるのが当たり前になっていた
私が家にいると「昼どうする?」と聞きに来る
子供が生まれて17年たつがずっと母は聞く「お昼どうする?」と

2年ほど前くらいから母が作るお昼ご飯があやしくなった
全員同じものを食べるときはいいが、残っている材料毎に一人一人メニューを変える、ということも昔はできたのにその頃から誰がどのメニューだったのか、何人分を作らなければいけないのか覚えられずに何度も確認しながらそれでも間違う、ということも徐々に増えていった
そのうちセットになっているスープとラーメンを入れ換えてしまったり作り方が適当すぎて美味しくできていたものが違う形のものになってしまったりするようになった

ある日当時小学2年だった娘と一緒に実家に行って母が「お昼何が食べたい?」と娘に聞いた
「スガキヤのラーメン」と言う
チルドのスガキヤラーメンが一人分だけ冷蔵庫にあったので「じゃあ一人分はスガキヤラーメン作るね」と母はキッチンに向かった
「出来たよ」と言われて娘がラーメンの前に座ると「お母さん、なんか色変だよ」と言うので見てみるとそこにはピンクの半透明のスープに麺が沈んでいる、見たことのないラーメンがあった

「これ、何いれたの?」と聞くと「普通に作ったよ」と

少し食べてみるとスープにはほぼ味がなかった
無理にも食べられる物ではなかったので他にも作ってくれたものの中で食べられるものだけ食べて帰ってきた

その後も何度か食べに行ったが今まで料理上手だった母の作ったとは思えないものが度々出るようになり、味がおかしいよと言うとなげやりになって雰囲気も悪くなるので子供たちは行きたがらなくなり今は全く昼を食べに行くことはない

だけど今も毎日「昼どうする?」と聞きに来る
私が出掛けて子供たちを留守番させると言うと「面倒見てあげようか?」と言う

母は昔のようになんでもできると思っているだけに断るのにも気を使う

転ばぬ先の杖

2019-08-10 14:34:21 | 日記
認知機能に問題があること以前に変な自信が母にはある

約束も頼み事も必要な予定すら記憶の中に5分もとどめておけなくなったというのにメモを取らない

昔のように会話をすれば覚えていられるという確固たる自信の中で行動する

「メモ取れば?」と言っても
「大丈夫、覚えたから」と答えるが当然のごとく数分後には忘れている
強くメモを取ることをすすめても時々覚えていることもあるので言い切られたら本人に任せるしかない

だから私も母が同じ話を繰り返すようになってから母に頼み事をしなくなった

数年前は子供が3人いる私の手伝いをしてくれていた
子供の予定が重なってしまったときや子供が一人入院になると2人子供を預かってもらったりしたが、子供も大きくなり留守番もできるようになったので頼まなくても良くなったのは幸いだった

去年、私と旦那が夕方から出掛けることになり久しぶりに夕飯を子供たちだけで実家で食べさせてもらうことになった
朝から母と夕飯のメニューを決めて買い物をした
1日に二つ以上頼み事をすると母がパニックを起こすので夕飯を食べさせてくれればいいとだけ言っておいた
が、私が出掛けるのと同じ時間に当時小学3年と中学2年の娘がスイミングに行っていた
家まで歩いて20分ほどかかるが小学3年の娘は自転車が下手で少し心配だった
姉の方は自転車で行き帰りできるが中学2年の姉が歩いている妹につきあって帰ってきてくれるか不安だった
どうする?と娘たちと相談しているときに母が入ってきて「私が迎えに行ってあげるわ」と言う
「夕食の準備もあるのに迎えにいけないでしょ?」と言っても
「それくらいできるよ❗」というので
「じゃあお願い」と言って細かく時間毎の予定をメモして渡した
娘のお迎えだけ忘れてほしくなくて大きく書いて赤線もひいた

でも母が万が一それでも忘れたときのために娘たちには「あーちゃんが迎えに来なかったら2人で気をつけて帰ってきてね」と伝えておいた

そして夜出先で娘に「あーちゃん迎えに来た?」とメールすると「来なかった」と

夜ご飯食べに実家にいったら普通にご飯作って待っていたそうだ

一応こちらから覚えていてほしいことはメモを渡すようにはしているが五分五分くらいの成功率だ

メモを渡してもしまったところを忘れてすぐ電話をしてきたり何度もうちに聞きに来たり
準備をしたつもりでも余計に面倒なことになったりもする

杖が役に立たないと転んでばっかりだ

スマホ

2019-08-09 12:28:56 | 日記
母は元々機械音痴だ
目まぐるしく進化を続けるマルチメディアの世界には元々ついていけてない

なのに私たちがガラケーからスマホに変えてしばらくしたら
「私もスマホにしたい」と言い出した

その時はまだ認知機能に問題はなかったので当時契約していたSoftBankでガラケーからスマホに変える手続きをした
そもそも携帯の手続きも一人で聞いても理解できないのでいつも私が付き合わされた

念願のスマホにしても機能を使いこなせずにもて余して3年ほどしたら母の認知機能に衰えを感じ始めた

うちは家族でauからdocomoに乗り換えた

母は電話をかけたり受けたりできるだけでメールさえできずに毎月8000円ほどのスマホ料金を払っていたので
「うちの家族と一緒にすれば半額くらいになるよ、もったいないからSoftBankでガラケーに戻すかスマホにこだわるならdocomoに乗り換えてうちの家族と一緒にすれば?」と持ちかけた

すると母はスマホのままがいいからdocomoに乗り換えるという
すぐに手続きをしてついでに母の症状が進んで迷子になったときの対策としてGPSの設定もしてもらった

それが1年前

母はスマホやDVDプレーヤーやテレビ、電話機などの電気製品の通知の赤い点滅が極端に気になるようで、どの機械が点滅していても必ず私のところに走ってきて「壊れた」という

だいたいは通知だけだったりすぐ直せたりするのだが気になってしかたがない様子で何度もそんなことで呼びつけられた

何度も「壊れた訳じゃないよ、ほっといても大丈夫だから今度確認するよ」と言ったが納得はできないようだ

そんなある日仕事中に母から電話があった

「スマホがおかしいから買い換えようと思ってるけどこれってどこの携帯だった?」と
「なんで買い換えるの?買ったばっかりだしおかしいわけないよ、点滅は壊れた訳じゃなくてどのスマホにしても同じことは起きるよ」
母はなぜかauに一人で行ったようだった
「じゃあ今順番待ちだったけど断って帰るわ」と

謎の多い出来事だったが阻止できてよかった
でもまた同じことが起きるかもという心構えもできた

それから半年ほどたつが勝手に携帯電話ショップに行くことはまだない

失くしたの?忘れたの?

2019-08-08 13:10:59 | 日記
去年から時々あれが失くなった、これがなくなったと騒ぐことが増えた

突然夕飯時の忙しい時間に電話を掛けてきて
「保険証がない、入れてあった袋丸々ない‼️」
と焦ったように言う

その日診察の時確かにあったのは私も確認済みで他の場所で出すわけがないし寄り道もしていないのであるはずだから慌てなくても家の中にあるだろう

今でこそ私も瞬時に記憶をたどって家にあるだろうと慌てなくなったが当初はすぐに実家に駆けつけて探したものだった
たいていすぐ見つかるのだが母の慌て方は尋常じゃない

最近はそういう電話がかかってきても「家にあるよ」「例えば私が探しても見つからなかったら再発行すればいいよ」
と言うようになったが
興奮状態の母は一旦は仕方ないという感じで電話を切るが10分毎くらいに何回も、まるで今初めて私に打ち明けるように同じ台詞を言う

去年の夏の終わりにお気に入りの黒い日傘がないと言い出した時もよく探したが結局見つからなかった

そして先日、買い物時日傘をさしていた
私は去年の夏に日傘を失くしたことも忘れていたが、久しぶりに日傘をさしている母を見たのでしっかり覚えていた

すると2日後、電話をかけてきて「黒い日傘がない」と言う
夜に電話を何度もかけてきて何度も繰り返される同じ会話

そしてまた数日たってから白い折り畳みの日傘を持って来た母と買い物に出た
夕方家に帰った母がまたうちに来て「日傘がないんだけど車に忘れてない?」という

探したけど車にはないから「家にあるんじゃない?」というと「もう!日傘全部なくなるわ!」となげやりになって帰っていく

しかたないので実家まで探しに行った

すると日傘がないと言ったことも忘れている様子
「白い日傘失くなったんでしょ?あったの?」と聞くとしれっと
「あるよ、ここに」と言う

「じゃあ黒い日傘は?」
「あー黒い日傘はないんだわ、長いのも短いのも」という
先日さしていたのは長い日傘
短いのは折り畳みで袋だけが残っている
見たら去年なくなったあの黒い日傘だと判明
「それはもう去年から失いヤツだから出て来ないよ、長いのもあんなのしまう場所は限られるからそこにないならどっか置いてきたんだね」と言うと
「そうだった?」と

忘れるのは物だけじゃなくてなくなったと思ってソワソワしたり悲しくなったりという感情も忘れるんだよね

私は振り回されてイライラした感情を忘れられずに積み重なっていくのに
不公平さえ感じてしまう