250『岡山(備前、備中、美作)の今昔』岡山人(20世紀、坪田譲治)
坪田譲治(つぼたじょうじ、1890~1982)は、御野郡石井村島田(現在の岡山市北区島田本町)の生まれ。生家は、島田製織所といって、ランプ芯を作っていた。
少年時代に、父が亡くなり、兄が家業を継ぐ。譲治は、石井小学校から金川中学校へすすむ。やがての1908年(明治41年)には、早稲田大学大学に入学する。学費は、家で出してくれたようだ。
早大在学中から小川未明に師事する。やがて、子供の登場する私小説を書くようになっていく。そして迎えた1926年(大正15年)には、小説「正太の馬」をあらわす。
それから、鈴木三重吉にも師事して「赤い鳥」に童話を発表する。1935年(昭和10年)には、「お化けの世界」で世に認められる。つづいて「風の中の子供」や「子供の四季」を発表、こちらは、広く読まれる。
大まかにいうと、純真で天真爛漫な子供の世界を描く。そこで詳しく描こうとするのは、無邪気に遊ぶ彼らの姿であろうか、そこはかとない世界なのであろうか。大人の現実世界と対照的に描いた。
ふるさと岡山を愛し続け、その風物を反映させながら書いた、とも評される。とにもかくにも、「遊べや遊べ」というのなら、ありがたいではないか。
(続く)
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