東原方僊(ひがしはらほうせん、1886~1972)は、日本画家である。邑久郡(現在の瀬戸内市長船町福岡)の出身だ。
そんな中でも、「雀の図」には、かなりの数の雀が散らばる。それは、どこにでも見られる光景なのに、眺めていると、なぜか落ち着く。それというのも、彼らは、只今を夢中に生きているだけなのかもしれないが、生きることの大切さ、切なさを私たちに教えてくれているのではあるまいか。
(続く)
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907『自然と人間の歴史・世界篇』米中の貿易戦争(先端技術)
この間の米中の貿易戦争は、ハイテク分野においても火花を飛ばしている、その大まかな流れを述べよう。
5月15日、米商務省は、米国のテクノロジーを販売・移転するのに産業安全保障局(BIS)のライセンスが必要となるエンティティリストに華為(Huawei)を追加する。
この企業は、中国の民間企業の中では、5Gと呼ばれる次世代通信技術、設備の分野で、世界展開しており、中国の「中国製造2025」や「一帯一路」でも大いに関係している。
5月20日には、90日間の一時的な一般ライセンス(TGL)を発行する。これにより、Huaweiは8月19日まで輸出管理規則(EAR)で制限されない米国のテクノロジーを、個別のライセンスなしで入手可能となる。
8月19日(米国東部夏時間)には、同省産業安全局(BIS)の「エンティティリスト」に中国Huawei(華為技術、ファーウェイ)の関連企業を46社追加したことを発表する。同時に、Huaweiを含むエンティティリスト対象の関連企業に対する「一時的一般許可証」について、有効期限を90日間延長することも発する。
これにより、Huaweiと関連企業に対する事実上の輸出規制の範囲が広がる。一方、向こう90日間は既存製品の維持・管理に必要な取引(スマートフォンやタブレット端末に対するソフトウェア更新など)を引き続き行うことができる。
その後、Googleが商務省と交渉している、との説あり。これによると、TGLのそれ以降の延長またはライセンスの免除だという。HuaweiがAndroidを入手できなくなれば、HuaweiはAndroidのオープンソース部分をフォークしたハイブリッド版のAndroidを開発することになる。ハイブリッド版はGoogle版と比べてバグが多くなるだろう。そうなると、Huaweiの端末がハッキングされる可能性が高まるとのこと。同社がこのような行動をとるのは、既存のHuawei端末を利用するGoogleユーザーのセキュリティを保護するためだと見られる。
10月7日には、米国がエンティティリストに、新たに中国のビデオ監視および顔認識、人工知能技術を専門とするハイテク企業8社を含む28の組織が登録される。これには、監視カメラで世界大手の抗州の海康威視数字技術(ハイクビジョン) などが含まれる。
アメリカは人権問題の観点からも、これに関連しそうな国外企業と国内の企業が協業したり、部品などの調達を禁止しており、今回は、新疆ウイグル自治区の住民たちに対し、先進技術を用いた監視によって抑圧、大量の恣意的な拘留などを強いるのに協力していたと判断したという。
10月11日、トランプ米大統領は11日、米中が「第1段階」の通商合意に達したと発表する。国営新華社通信も、農業と知財保護、為替レート、金融サービスなどで進展したと報じる。前日から2日間の日程で行われていた両国の閣僚級通商協議が部分合意に達する。今回は、中国による米農産品の大規模購入のほか、一部の知的財産権、為替、金融サービスの問題などについて何らかの合意がなされた模様。これに伴い、米国は15日に予定していた対中制裁関税引き上げを見送る。
これに伴い、アメリカは、15日に予定していた対中追加関税「第一~三弾」の税率5%分引き上げを延期すると表明する。
(続く)
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265の7『岡山の今昔』岡山人(20世紀、金重道明)
金重道明(かねしげみちあき、1934~1995)は、陶芸家。岡山県備前市伊部、金重陶陽の長男として生まれる。
1956年(昭和31年)には、金沢美大工芸科を卒業する。それからは、生涯の道に踏み出したのであろうか、1957年(昭和32年)には、「朝日現代陶芸展」初入選を果たす。
1958年(昭和33年)には、「日展」に入選する。1960年(昭和35年)には 渡米する。翌年2月に帰国する。
1964年(昭和39年)には、「日本伝統工芸展」入選。4年後には、 日本工芸会正会員となる
1971年には、第3回金重陶陽賞を受賞。日本橋高島屋にて、「第二回金重道明展」を開催する。1976年(昭和51年)には、東ドイツにて開催の「日本の陶磁名品展」に出品する。1980年(昭和55年)には、日本陶磁協会賞を受ける。
1983年(昭和58年) には、米国スミソニアン美術館「備前の名陶その源流から現代まで」に出品する。1984年(昭和59年)には、 西ドイツ国内巡回開催の「土と炎 現代日本の伝統陶芸展」に出品する。そして迎えた1985年(昭和60年)には、岡山、福山天満屋、東京高島屋にて「作陶30年記念展」開催する。
その作風には、全くの私見ながら、何かしらの深淵さが感じられ、それが人間以前を意味するものとも通じているのではないだろうか。外見としては、花入れ、鉢、酒呑、徳利などながら、これらにおいては、「哲学」までもが窺える。
(続く)
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