◻️211の36『岡山の今昔』岡山人(20世紀、佐藤一章)

2019-10-23 22:13:21 | Weblog
211の36『岡山の今昔』岡山人(20世紀、佐藤一章)

 佐藤 一章(さとういっしょう、1905~1960)は、洋画家だ。小田郡矢掛町本堀の生まれ。本名は、章という。1924年(大正13年)に、東京美術学校西洋画科に入学する。1927年(昭和2年)には、満谷国四郎に弟子入り。「支那服の女」で光風会賞を受賞する。
 1924年(昭和4年齢)の第8回帝展で「女の像」が初入選する。薄暗がりの中、うつ向き加減に座っている女性には、何が込められているのだろうか。1929年(昭和4年)には、東京美術学校を卒業する。
 1930年(昭和5年)には、中国へ写生旅行に出かける。その時のことを、何かしら語っているだろうか。1934年(昭和9年)には、第15回帝展「公記字號」で特選を受賞する。
 1945年(昭和20年)、東京から岡山のどこかに疎開する。それにしても、文人たちが我が身を守ろうとするのには、どんないきさつがあったのだろうか。
 1947年には、日展審査員となる。翌年、地方展(岡山)開催に参加する。1950年(昭和25年)には、岡山大学教授、1953年(昭和28年)には、創設を提唱した岡山大学特設美術科主任教授となる。1959年(昭和34年)には、斎藤与里亡き後の東光会代表となる。
 代表作品としては、何が来るのであろうか。既述以外をざっと拾うと、「弟の像」(1932)、「漁夫」(1936)、「赤城」(1942)、指物師(1945)。戦後は、「アマリリス」(1946)、「春日」(1956)や「伊豆山風景」(1958)、それから「柿の木と丘」(1960)といったところか。
 それらの大概は、全くの私見ながら、画像の曖昧さが、なぜか心地よい。さらにほかにも、「後向」という絵は、粗末なベッドに後ろ向きで横たわる裸婦。したがって、顔の表情はわからないのだが、この絵を理解するには、その方がかえってよいのかもしれない。彼女は、全く生身の量感で今微睡んでいるかのよう。

(続く)

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