192の37『岡山の今昔』岡山人(20世紀、田中塊堂)
田中塊堂(たなかかいどう、1896-1976)は、書家。本名は英市という。やがて、大阪貿易語学校を卒業する。いつの頃からか、漢字やひらかなを書くのにはまる。漢字を川谷尚亭(かわたにしょうてい)に学ぶ。かなは、独学で古筆を習得する。
以来、色々な書跡をたずね、また、古写経の調査・研究にあたる。やがて、その成果を「古写経綜鑒(そうかん)」「日本古写経現存目録」にまとめ、刊行に至る。続いて向かったのは、帝塚山(てづかやま)学院大教授、千草会を主宰というから、書道の本流を歩く。
参考までに、その人となりについては、次のエピソードが伝わる。それによると、福島県の県道赤留塔寺線沿線に龍興寺という寺があり、国宝の「字蓮台法華経開結共」(全9 巻の内、第6巻が欠)が保存されているとのこと。その中身だが、かの「法華経」の経文の一文字を一仏と見立て、彩色を施した蓮華座の上に乗せる形で整然と書かれているという。
そこで話は、その美しい装飾を施してある見事さといおうか、会津で二つある国宝の一つなのに、なぜ「新編会津風土記」にはこの法華経のことが記載されていないのかを解説して、当時帝塚山大学教授であった塊堂が、「それが逆に好事家の餌食から守ったのだ」というあたりからも、細部にまで拘る彼の美意識のようなものが彷彿としてくるではないか。
(続く)
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そこで話は、その美しい装飾を施してある見事さといおうか、会津で二つある国宝の一つなのに、なぜ「新編会津風土記」にはこの法華経のことが記載されていないのかを解説して、当時帝塚山大学教授であった塊堂が、「それが逆に好事家の餌食から守ったのだ」というあたりからも、細部にまで拘る彼の美意識のようなものが彷彿としてくるではないか。
(続く)
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