『ユリイカ』の上橋菜穂子さんが特集されている号を読みました。
2007年6月号「上橋菜穂子─《守り人》がひらく世界」です。
「守り人」をめぐって、どんなことが語られるのか興味深々だったけど、少し気になったことがありました。
批評家という人の中には、自分のテリトリーが厳然とあって、その中で発言している人もいること。
あるいは作品をその中に引きずり込んで…。
これが感覚的に合わなかったわけで…。
作品は、作品自体では成り立たないものです。
作家がいて、作品があって、読者がいる。
この3者のコラボレーションで成り立つものだと思います。
しかし、作家も、読者も、作品を中心に、作品をめぐってコラボしているのです。
まずは作品ありきでしょう。
だから、もっと作品に寄り添う形で発言してほしい。
我田引水的な論評。
あるいは、自分たちでつくりあげた、系統だった構図の中に作品を位置づける。
自分たちの批評理論の中にはめ込もうとする。
そういう書評って、どんなに頭よさそうに見えても、ちょっとイヤかもなぁ。
もっとも、最初は「書評なんてクソくらえ! だ」と思ったけど、よく読み進めると、「なるほど、そうか」と納得させられる情報も得られるので、真っ向から否定するのは狭量ではないかと、思い直しました。
なるほどなーと思ったのは、アニメ評論の藤津亮太という人の「不可視の世界/五感の世界──アニメ『精霊の守り人』の戦略」という一文です。
アニメについての論評ですが、けっこう納得できるのです。
「『不可視の世界』とはその世界をもうひとつの“現実”たらしめている法則あるいはシステムのこと」
この世界はどのような世界であるのかというお約束を読者に知らしめる部分です。
これに対して「五感の世界」とは、
「リアリティを醸し出すために必要なものである。
『五感の世界』とは、登場人物の五感を刺激する全ての事物が構成するものであり、登場人物の五感が刺激される場面を通じて、観客はその世界についてのリアリティを実感していくのである」
と藤津氏は述べています。
なるほど、登場人物の五感を通しての描写がリアリティを読者にもたらすのは、本も同じですね。
ファンタジーといえども、読み手は等身大の人間なのだから、読み手の五感に訴えるようなリアリティがなければ、すべては絵空事で共感できないものになってしまいます。
登場人物が感じること。
目で見て、耳で聞いて、匂いをかぎ、触ってみた感覚、食べてみてどんな味かを感じる。
そういうディテールが表現されていてこそ、読者は描かれた世界に入り込めるし、共感できるのです。
優れた作品というのは、そこのディテールを丁寧に、印象的に提供してくれている作品でもあるのでしょう。
なるほどねえ、と思いました。
サラにとっては、ちょっとばかり新しい視点です。
(そんなの、遅れてるって?)
ともあれ、自分が考えてもみないことを提示してくれる。
そこに書評、あるいは評論の面白さがあるのでしょう。
しかし、書評家も評論家も、膠着せずに自由な発想を持ち続けていること、そして、あくまでも作品ありきという、言ってみれば謙虚な視点をもちつづけることが必要なのでは? と思ったのです。
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