サラ☆の物語な毎日とハル文庫

三津田さんの物語⑮~「意見を言う」ことの愉しさに目覚める

久しぶりに三津田さんの物語の続きです。100年という長い時を、潔く、強気に、いつも楽しみを見つけて生きたフサコさんの物語です。

 

 フサコさんは人前で話すなんてとんでもないという、内気な少女時代を過ごしました。けれども、大人になり、戦後の新しい時代の波の中で、学校ではPTAの活動なども始まりました。すると、話し合いの場で、「三津田さんはどう思われますか?」などと、意見を求められることも多くなったのです。

 いちばん最初にPTAの活動で意見はないかと指名されたときは、フサコさんはものすごく緊張して額に汗がにじんできました。それでも、頭の中にあった考えを、思い切って述べました。

 すると「なるほど、たしかに、そうですね」と、司会の女性や、出席していた人たちが、感心したように頷いたのです。

 フサコさんはそんなことから、人前で自分の意見を言うことの楽しさを知りました。

意見を言うには、議題となっている物事に対して、知識がないといけませんし、自分の考えもはっきりしていなくてはいけません。

ところで、フサコさんはもともと、自分の考えがきちんとある女性でしたから、意見を言うことは自分に向いているのだと悟ったのです。

「『ひとこと、もの申さん』ですよ」とフサコさんはよく言っていました。

 つまり、「ひとこと言いたい」ということです。

 

 さてそんなふうに、自分の意見を言うのは、なんて楽しいのかしら、と思っていた矢先、事件がもち上がりました。

 同じ国家公務員官舎に住むある人の夫人が、事件に巻き込まれ、間違った報道をされてしまったのです。明らかに濡れ衣でした。

 官舎のなかではほかの夫人たちが、ひそひそと、あちらこちらで話しています。

 その報道は間違いだということを知っていたフサコさんは、義憤にかられ、「私が間違いを正して差し上げなければ」と考えました。

 ご近所の仲のいい夫人に「どうしたものかしらね」と話していると、「あのね、新聞に投書する方法もあるわよ。お友達が投書したら、新聞に掲載されたと言ってたわ」と教えてくれました。

 フサコさんは「それだ」と思いました。投書が新聞に採用されれば、信じられないくらい大勢の人に、当の夫人が無実であることを知らせることができるのです。

フサコさんは強い正義感に突き動かされ、意見を原稿に書いて、新聞社に送りました。

作文が得意だった、ということではありません。むしろ苦手で、学校の宿題で作文が出ると、お母さまに代わりに書いてもらっていたくらいです。

でも、意見を文章にまとめるのは、意外にも、そんな難しいことではありませんでした。

  

 さて、フサコさんの初めての投稿は、幸運なことに採用され、新聞に掲載されました。どんなにうれしかったことでしょう。これで、お知り合いの夫人の無実を世の中に知らせることができたのです。

 それと同時に、フサコさんは、自分の意見が新聞に載る楽しさを知りました。自分が生きていることを、こんなにも肌で感じたことはありません。心が百パーセント、満足感で満たされるような思いがしました。「こういうのを生きがいと言うのかしら」と思ったのです。

 ただし、そのときは、新聞への投稿が、以後五十年以上もつづく自分のライフスタイルになるとは、夢にも思ってもいなかったのですが。

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