おはようございます。ハル文庫の高橋です。
良く晴れた冬の一日です。
お元気ですか?
今日は、サラさんから送られてきた、三津田冨左子さんの物語の続きです。
旦那様を亡くしたフサコさんは、引っ越しをすることになりました。
四の五の言っても、新しい一歩を踏み出すしかありません。
フサコさんは、覚悟を決めました。
時代は戦争で何もかも失った体に見えた日本が、ようよう息を吹き返し、
高度成長期に入ろうとする頃。
戦前の華族制度など昔の話。
いまさら実家を頼るなんて論外もいいところです。
これからは自分の力で生きていかなくてはなりません。
課題は山積みでした。
まず家の問題があります。当人が亡くなったからには、
半年以内に公務員官舎を引き払うのが決まりでした。
フサコさんはぐずぐずするのは嫌なので、すぐに物件を探し始めました。
三津田氏の退職金で、家を購入することに決めたのです。
三津田氏の上司は、退職金を銀行に貯金して、
その利子で家を借りたらどうかと助言してくれました。
そうすればお金は全額残るし、利子で家賃を賄えるので、
負担がないだろうというのです。
フサコさんはよく考えましたけれど、
アパートを借りたとして、家主とごたごたするのは嫌だなと思いました。
それに、建て替えなどの理由で、いつ追い立てをくらわないとも限りません。
大事な自分の住まいなのに、自分ではなく、人の意志にゆだねられるのは、
どうにも気に入りません。
それに、家さえあれば、毎月家賃を払うこともないので、
後のことは節約すれば何とかなるだろうと考えたのです。
当時、横浜にある公務員官舎に住んでいたので、
まずは馴染みのある東急東横線沿線に住もうと考えました。
そこで娘の直子さんと二人で、沿線の不動産屋で物件を探しました。
ある不動産屋では、社長が自ら黒塗りの車で物件を案内してくれました。
ところが散々見て回っても、これはというのは見つかりません。
最後には、その社長が、
「そろそろ決めてもらわないと困りますな」と凄む始末です。
ところがフサコさんは、少しも動じません。
「いい物件がないのだから、しかたがないでしょう」と、
さも当たり前という調子で無邪気に言い放ちます。
すると社長も毒気を抜かれて何も言えず、諦め顔になるのです。
さて、そうこうしていると、お友達の弁護士をしている旦那様が、
近くに良い物件があるからと教えてくれました。
西武池袋線の駅から歩いて二〇分ほどの住宅街にある一軒家です。
三津田氏の退職金でちょうど買える値段でした。
三五坪の木造二階建て。六畳間四部屋に台所がついていて、
小さい庭まであります。まだ建ってから一年なのですが、
住んでいた人たちは、もっと広い家がいいと、
この家を売りに出して引っ越したそうです。
フサコさんはここに住むことに決めました。
すぐに引っ越せるのも、ありがたいことでした。
この家に移って、新しい人生を始めましょう。
西武池袋線の最寄り駅までバスで行くというのは不便でしたが、
そんなことは言っていられません。
「誰にも遠慮せずに暮らせる自分の家があるのは幸せなこと」と、
フサコさんはほっと一息つきました。
「退職金をはたいたものだから、『思い切ったことをしましたね』
などと言われたけれど、私はいい買い物をしたと思いますよ」
と老女のフサコさんは、当時を思い返してそう話していました。
「娘は通勤するのに苦労したようです。
私だって、その後勤めに出たのですから、駅から遠いのは、けっこう堪えました。
習い事をして夜遅くなると、バスがなかなかこなくて。
いまはどうか知らないけれど、
当時は乗客が少ないと間引き運転をしていましたからね。
果てしなく待って、やっとバスが来たということが何回となくありました。
だから『年を取ってから街に出るのは、きっと大変に違いない。
身動きがとれなくなるかもね』と思ったものです。
ところがね、何としたことでしょう!
二〇年ぐらいして、ふって湧いたように、
歩いて一分ぐらいのところに新しい地下鉄の駅ができたのですよ。
びっくりするでしょう?
本当に、どこに出るにも便利になりました。
それに土地の値段も、私が買った当時から比べると考えられないくらい
値上がりしましたからね。
人生何が起きるかはわからないと、つくづく思いましたよ。
生きていれば、思ってもみない幸運が舞い込むことがあるのよ。
だから、一日一日を大事に、懸命に生きて、先の心配などしないことですよ。
きっとそのうちに、何かいいことが一つぐらいあるに違いないと信じるの。
そうしたら、毎日が楽しいし、ワクワクするような人生を送れるわ」