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サラ☆の物語な毎日とハル文庫

アレクサンダー・セルカークの住居跡が発見される

そういえば、文庫本の『ロビンソン・クルーソーを探して』(高橋大輔著・新潮文庫)の最後の部分で、「きっとあそこが、セルカークの住居があったところに違いない」という確信が熱く語られていました。

その確信を確かめるべく、高橋氏は、今年の1月から2月にかけて、スコットランド博物館の考古学者デビッド・コールドウェル博士やチリの考古学者ら5人で構成される調査チームを組織し、発掘調査を実施しました。
もちろん、ロビンソン・クルーソー島においてです。
ナショナル・ジオグラフィック協会の支援を受けるという、探検家にとってはチョー名誉な調査でもありました。

高橋氏が最初に住居跡と考えていたところは、発掘してみると、セルカークが生活した時期より後にスペイン人が建造したものということがわかりました。
高橋氏の心中、きっと真っ青だったに違いありません。
ところが、さらに掘り続けると、その下の層から、焚き火跡と柱の跡が見つかったのです。
当時の航海道具の一つである、ディバイダー(割りコンパス)の断片も発見されました。
そして、焚き火跡の土を炭素分析した結果、セルカークの滞在時期に該当することがわかったのです。
さらに、当時航海道具を持ってロビンソン・クルーソー島に滞在したのは、セルカークだけということで、高橋氏の発掘した遺跡はセルカークの住居跡ということが認定されたわけです。

セルカークがロビンソンクルーソー島で無人島生活を送ったということが、文書による記録だけでなく実際の遺跡で証明されたというのは、実に興味深いことです。
300年前の出来事が、時間をワープして、現在の私たちのところに届いたのです。

ディバイダー(割りコンパス)の断片が発見されたときは、実際に目には見えないけれど、過去の時間と現在の時間が接触して火花が散った瞬間だったにちがいありません。
(何で、1月の話がいまごろニュースになるかというと、ナショナル・ジオグラフィックの記者発表が9月15日に世界に向けて行われたからです。)

では、セルカークの住居跡と小説の中のロビンソン・クルーソーはどういう関係にあるのか。

写真はビーパルのネットから借用したのですが(勝手に…)、写真から推察すると、クルーソーの建てた住居とはずいぶんと違っているように思われます。
クルーソーは、やはり、作者デフォーのイメージの世界の住人。
現実に生きた人間ではありません。

ただし、セルカークがロビンソン・クルーソー島で生活し、イギリスに無事生還したところから、稀代の冒険物語は誕生しました。
非常に強いつながりのある“必然”がそこには存在するのです。
セルカークが現実に生きたから、クルーソーが存在することができた。
セルカークは現実で、クルーソーは、その存在の力を糧にイメージの世界に誕生したさらに強烈な存在なのです。
デフォーが生み出した人物ではあっても、クルーソーがわたしたちのイメージの世界に生きる必然性は、セルカークから強く発せられています。
現実とイメージの世界の接点がそこにあると思うのです。
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