小さな庭に葡萄の木を直か植えしたら、枝が伸びに伸びて広がり、今年は葡萄の房が50ぐらいは採れた。
毎年、冬になる前に枝をカットしなければならないらしい。
それをやらなかったら、まったく、今年はあちらこちらに葡萄がぶら下がった。
品種は巨峰なので、食べると《それなりに》甘みもあり、《それなりに》美味しい。
とはいうものの、当然あまるので、思いついてワインを造ってみた。
個人でワインをつくるのは禁止されているらしいけど、ネットを検索すれば造り方がでている。
ためしにホウロウの深い容器に葡萄を一粒一粒つぶしていれ、醗酵を助けるために砂糖もいれ、新聞紙で蓋をして様子を見た。
つぎの日あたりには、醗酵が始まっており、3、4日もすると、アルコール度がけっこう高い葡萄汁に変わる。
ワインをつくるのは、完成度を求めなければ、簡単なのだ。
葡萄の皮にきふ菌が着いていて、これが醗酵をうながす。
日本酒やビールのように麹や麦芽などの酵母菌を加える必要がない。
そこで思い出した!
大好きなロビンソン・クルーソーの島にも、葡萄があふれるほどなっていたっけ。
クルーソーは、それで乾し葡萄をつくり、ビタミン、果糖、その他の貴重な栄養源として活用したのだった。
もちろん、ワインもつくったよね?
文庫本を引っ張り出して、そういう記述がないか、探してみる。
ところが、葡萄がなっているということは、落ちた葡萄の粒が醗酵して、葡萄の醗酵臭が満ちているだろうと思うのに、ワインを仕込もうとした記述はない。
わずかに、「葡萄は、それで葡萄酒をつくったり、乾葡萄にしたりしてその船団に積み込むほどあった」という、たった一行の記載があるだけだった。
アルコールの記述に関しては、船が難破して遭難したときに、船から持ち出したラム酒の樽がメインになっている。
ビールが飲みたくて、麦芽をなんとかつくりたいという記述はあるが、ワインを醸造するシーンなど、まるでなかった。
そうか、と思う。
17世紀のイギリスは、緯度が高く、雨が多いために、葡萄の栽培やワイン造りはほとんど行われていなかったのだ。
だから、ワインを飲む習慣はクルーソー、もしくは著者のデフォーになかった。
なので、葡萄はあっても、ワインを飲みたいということにはならなかったのかな。
好みのラム酒がたくさんあったので、ワインには見向きもしなかったのか、と納得する。
ちょっと残念。