ライカーは、シリーズの最初からマロリーの相棒として登場するが、
これまでは「刑事ライカー」という位置づけに過ぎなかった。
ところが、『陪審員に死を』の前作、『吊るされた女』で
超絶技巧のエレキギターの弾き手、ロックンローラーであることが判明。
地下鉄のホームで、電車が人身事故で停まっているのにイライラした乗客を鎮め
人探しをするために、
突然ホームで演奏をしているミュージシャンのギターを取り上げ、
ロックンロールを演奏しはじめたのだ。
「年配の刑事の手がギターのネックを駆けあがっては駆け下り、
ロックンロールのリフを奏でる。
しかも彼はうまかった。
まさに超絶技巧。
若いお客らが、ビートに合わせて指を鳴らし、頭を揺らしながら、
音楽に吸い寄せられていく。」
いやいや、ライカーにそんな面があったとは、驚きだ。
そして今回の作品では、そのライカーの出自が明らかになる。
ライカーの父親も登場し、重要な役割をになう。
17歳の夏に、ライカーは錆びついた古いフォルクスワーゲンのバンに乗って
父親の家を出発し、メキシコまで二千マイルを走破した。
高圧的な父親に反抗しての家出だ。
車にエレキギター用の巨大なアンプを積み、砂にタイヤがはまりこんでは
何とか抜け出しながらたどり着いたのは
メキシコの南にあるチョーリャ・ベイ。
どんなところなんだろうな?
夏中、そこで幸せなときを過ごしたライカーは、
ニューヨークのブルックリンの自宅に戻ってきた。
そして警官になる。
父親というのはニューヨーク市警の元警部で、
ニューヨーク市警の偶像的な存在。
いまでは70代後半だが、ピンと伸びた背筋とふさふさの白髪。
ダークスーツとネクタイを身につけ、きりりとカッコいい。
あとでわかったことだが、その父親は、
家出中のライカーがメキシコから送った、たった一枚の絵葉書を
バッジと拳銃を仕舞う引き出しにずっと大事に仕舞いこんでいた。
息子の身を案じ、帰りを待ち、愛していたことの証。
この物語では、ライカーは若いイカれた青年に拳銃で4発も撃たれ、
死の床からかろうじて舞い戻り、傷病休暇中だ。
銃に似た爆発音を聞くだけでパニックを起こしてしまうライカーが
いかに立ち直っていくのか?
警官として復帰できるのか?
重要な鍵を握る精神科医のジョアンナ・アポロとライカーの大人の恋を縦軸に
マロリーと重大犯罪課の刑事たちは、犯人をあぶりだしていく。
物語は相変わらず煩雑。
そして、終幕、
またまたライカーの父親の、息子に対する愛がにじみ出るシーンが待ち受けている。
キャシー・マロリーのシリーズは、けっきょく家族の物語がつづられている。
家族の愛情ほど、生きる拠りどころとなるものはないからだろう。
ニューヨークのような大都会ではとくに、家族のきずなは
手に入れ難い貴重なものであるのかもしれない。
「いかに人を愛するか」
それがキャロル・オコンネルのテーマのように思える。
この本では、ライカーのファーストネームが、
ちょっとした物語のカギになっている。
そこかしこに物語の伏線があり、オチがある。
読書の悦楽!