グリン・ゲイブルスにやってきたアンは、マリラに「名前は?」と聞かれ、「コーデリアと呼んでくださらない?」と頼む。
「本当の名前は」と問い詰められ、今度はアンだけど、「最後にe」のついたアンと呼んでほしいとお願いをするのだ。
ネーミングに対して特別のこだわりがあるアンは、プリンス・エドワード島のお気に入りの場所やものに、早速名前をつけ始める。
たとえば物語の冒頭、ブライトリバーの駅からグリン・ゲイブルスに行く途中に、ニューブリッジの人々がただ並木道と呼んでいる林檎の並木道がある。
アンはマシュウにこう言う。
「だけど、あそこを並木道なんて呼んじゃいけないわ。そんな名前には意味がないんですもの。こんなのにしなくては──ええと──『歓喜の白路』はどうかしら? 詩的でとてもいい名前じゃない? 場所でも人でも名前が気に入らないときはいつでも、あたしは新しい名前を考え出して、それを使うのよ。…」
(村岡花子さんの名訳。「歓喜の白路」というのはちょっと古風な表現に思えるが、英語では、the White Way of Delightだ。
日本語にそのまま訳すと「喜びの白い道」ということになると思うが、これではあまりに平易すぎて、アンの詩情が伝わらない。
十九世紀に生まれたアンのネーミングとしては、やっぱり格調高い「歓喜の白路」という訳がぴったりくる。)
アンはマリラにもこんなことを言う。
「あの窓に置いてる葵の花はなんていう名前なの?」 「あれはりんご葵っていう種類さ」 「あの、そういうんじゃなくて、小母さんがつけた名前よ。名前つけないの? ならあたしがつけてもよくって? あれに──ええと──ボニーがいいわ。……あのね、あたしはたとえ葵の花でも一つ一つにハンドルがついてるほうが好きなの。手がかりがあって、よけいに親しい感じがするのよ。ただ葵と呼ばれるだけだったら、きっと葵が気をわるくするんじゃないかしら。…」
脳科学者の茂木健一郎氏は、聖書の「はじめに言葉ありき」という文言の通り、「名前をつけることは、世界を変えていくことを意味する」と言っておられた。
「アンは爆発的な感化力の持ち主、アンによって周囲の人が変わりはじめる。マシュウやマリラに若々しい気持ちや愛が芽生える。名前をつけるという行為は、アンの感化する力の発露としてあるのだ」と。
さて、名前をつけると小川でもリンゴの木でも、存在感を示し始める。
名前をつけていけば、そこは自分の馴染みの場所であり、モノとなる。
物語のなかで、アンはまるで精霊のように自然とぴったり呼吸を合わせていた。
プリンス・エドワード島の自然は、アンの物語のもうひとつの主人公だとも言える。
名前をつけることは、その自然と結びつく方法として描かれているようだ。