拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

旧中山道

2024-09-24 18:08:49 | 地理

チコちゃんで、関東と関西の境は?というお題が出て、私、ブラウン管(古!)のこっちで「箱根の関!」と回答したんだけど、ブー。正解は、 東海道の鈴鹿の関と、 東山道の不破の関と、北陸道の愛発の関だと言う。そっか、京都から見た防衛線の外が関東ってわけね。京都が基準と言えば湖もそう。京都から見て近江(近い海)がびわ湖で、遠江(遠い海)が浜名湖。因みに、京都の人は「天皇陛下はちょっと関東にお散歩に行ってらっしゃると」と言ってるそうだ。亡くなられた髭の殿下のご息女様(その留学記が今ベストセラーだと言う)が徹子の部屋で仰ってました。

ところで、東山道ってどこかと思ったら中山道の旧名だという。中山道って江戸からほぼ本州の真ん中を通って京都に行く道だよね。関ケ原の戦いで、家康の分隊が東海道を進んだの対し、秀忠の本体は中山道を進軍し、途中で真田をやっつけてやろうとちょっと寄り道をしたら足止めを喰らって関ケ原に遅参し、家康の不興を買ったのだった。なるほど、真田親子が立て籠もった上田城は、中山道からちょっと北にはずれている(さっきまで長野の地図とにらめっこをしておりました)。

私は、もともと神奈川県民だったから、中山道より東海道の方がなじみあるし、現代では東海道の方が圧倒的に交通量が多い。中山道は山道だから上り下りも多くて大変そう。なのに、なぜ、徳川本体が中山道を選んだのかというと、東海道は、ところどころに難所があったからだという。まずは前記の箱根。それから大井川(箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川)。なるほどね。東海道の川はみな河口近くだから幅が広い。しかも、大井川って橋がなくて、旅人は人足にかつがれて渡ったという。川の真ん中で、人足に「お客さーん、料金上げてもらえねぇかねぇ」とか言われて止まられたら背筋が凍るだろう。

因みに、某民放局のアナウンサーが「旧中山道」のことを「いちにちじゅうやまみち」と読んだら、先輩アナウンサーから「きゅうちゅうさんどう」だよと直されたっていう小話(こばなし)みたいな話がありました。因みの因みに、私は「東山道」と入力するために「ひがしやまみち」で入力して変換した。だって「とうせんどう」で変換しないんだもの。あっ、「とうさんどう」って言うのか。そっちだと変換した。