拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

東薬合唱団の定演でカール・ジェンキンスのテ・デウムの「テ」を聴いて、大いに楽しんだ件

2024-06-09 10:00:24 | 音楽

横野好夫です。東京薬科大学合唱団の定期演奏会を立川まで聴きに行った。ピアノ伴奏が某子さんなのでコロナ禍をはさんでずっと聴かせてもらってるが、とりわけ、今回は素晴らしかった。これまでは、微動だにしない「気をつけ!」で歌う姿が学生らしいなー、と思ったけど、今回はなんだか自由な感じ。そのせいかどうかは分からないが、とっても熱い演奏だった。と言っても、決して吠えたりせず、あくまで響きが透明なのはいつもと同じ。ここの伝統なのだろう。

尻上がりに熱量が上がっていき、第3ステージの「心が愛にふるえるとき」でピークに達した感だが、私的には、第2ステージのカール・ジェンキンスの「テ・デウム」が超絶的に面白かった。現在80歳の作曲家が書いた現代曲だから、摩訶不思議な和音ではあるが、十分に楽しめた。最高に印象的だったのは「テ」。「テっ、テっ、テっ、テっ、テっ、テっ……」と「テ」を執拗に繰り返す。まるで、山梨にいるよう(山梨では、驚いたときに「てっ」と言う)。そして最後は「テテテテテテ」と「テ」の嵐になって終わる。もちろん、この「テ」は山梨弁の「て」ではなく、ラテン語の「te」であり、意味は「あなたを」である。すなわち、「テ・デウム・ラウダムス」とは、「あなたを、神を、ほめたたえます」という意味であり、「te」は「laudamus」(褒め称える)という動詞の目的語なのである。この文章の通常の形は「laudamus te」(動詞+目的語)。「Te Deum,laudamus」は目的語を頭にもってきた形(倒置法)。そして、ジェンキンスの「テ・デウム」の歌詞では、これが元に戻って「laudamus」と言った後に「te」の嵐になるわけである。スピルバーグの「太陽の帝国」のエンドロールで流れる少年合唱の歌詞も「laudamus te」である。

因みに、山梨弁の「て」は、朝ドラ「花子とアン」で全国区になったのかもしれないが、私は、子どもの頃夏休みに父の山梨の実家に遊びに行った際、「て」の洗礼を受けた。そう言えば、中央本線のどこかの駅のホームに大きく「てっ」と書いた看板が立っていた。山梨県人は自ら「て」を売り物にしている風だった。

あと、今回の演奏会ではときどきアカペラになるのだが、その音程が素晴らしく良かった。見事にピッチが維持されていた。こんだけ音程の良いアカペラはそうあるものではない。例えば、ウィーン国立歌劇場が日本での引越公演に「パルシファル」をかけたとき、第1幕の終盤で合唱がアカペラで歌うところで、一致乱れずに音が下がっていき、最後にオケがかぶさったときカタストロフが起きた。その逆に、私が学生のとき入っていた合唱団は、本番では興奮するのか音が高くなった。だから、私が学生指揮者になったときは、その対策として、通奏低音すら入れずに全部アカペラで通す作戦をとってまんまと成功した(真の対策は「音が上がらないように訓練する」だろうに、それをせず楽器を排除するあたりは良く言えばプラグマティズムであり、悪く言えば「逃げ根性」である(これをよく言えば「三十六計逃げるにしかず」である))。

コンサートの冒頭では、いつものように東薬の校歌が歌われた。ん?「武蔵広野」?そうか、この学校は多摩地区にあったのだね。いい所です(私が、奥地の家を買ったから言うわけではない)。

とにかくいい演奏会だった。薬科大学は6年制だから、人の入れ替わりが少ないのだろうな。来年も是非聴かせてもらおうと思う。それと、例の「テ」!私、所属している某A合唱団では、練習中は小さくなっててほとんど提案とか意見とかしないのだけど(その分、アフター会では大活躍するんだけど)、めずらしく曲の提案をしてみようかしらん。もちろん「テ」を。



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