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おはようございます。中小企業診断士のあお先生こと青木公司です。
本日は2年前になくなった父の命日で実家の埼玉県入間市に帰っています。
本日はその亡くなった父の思い出をお話します。
父は航空自衛隊で人事の仕事をしていました。
家庭の事情で進学ができず、中学校を卒業後、兄弟姉妹のためさまざまな仕事をしました。
土木作業、市役所の事務。蕎麦工場。お蕎麦屋。そして17歳の時、航空自衛隊に入隊しました。
実は働きながら夜間の高校にも途中で通ったのですが3年半通ったところで仕事の都合でやめさせられたそうです。高卒資格すら取れなかった。父はそのことを人生を通してくやしがっていました。
防衛大学卒業組を筆頭に学歴がものをいうその社会で、父はとにかく朴訥に仕事にまい進しました。
自衛隊の人事。激務で、複雑で、難しい仕事をひたすらこなしました。
そんな父は高卒、中卒組では考えられない異例の昇格で上がり、最後は二佐(昔の中佐)にもなりました。
そしてなくなる直前には国から勲章をいただくほどでした。
そんな父ですが、教育は非常に厳しかった。
戦前生まれで自衛隊で育った父にとって、鉄拳制裁は当たり前。
威厳があり、気難しく、つねにぴりぴりしている。
それが僕の父への印象でした。
ただ、毎日夜中まで働き、土日も仕事や自衛隊員との付き合いが多かった父も時々、僕を連れ出して、なぜ、ここに連れて行くのだろうというところに連れて行ってくれました。
それは父の職場です。
たとえば
1. 自衛隊の基地の中の売店
2. 自衛隊の職場
休日でも自衛隊では誰かが必ず働いています。
自分の上司や部下がいる炉ころにも連れて行き、うちの息子だと紹介してくれました。真っ黒に日焼けした屈強な男たちの笑顔と、すごい筋肉、握手した時の握力。強力な印象が残っています。
そして、その後仕事の話をしている時の父の仕切りの能力の高さ、論理的思考、知識の豊富さにすごいと思ったことを覚えています。
また家庭ではみせない、対人場面での明るい口調や周りへの溶け込み方に非常に驚きました。
3. 自衛隊の護衛艦の船内・自衛隊のレーダー室
普通では絶対に入れない場所にもつれてってくれました。
その中の厳格な雰囲気に驚きました。
父は「これが大人の、そして男の職場だ。ここからお前なりに何かを感じ取りなさい」
といっていました。
子供は普通絶対に入れないそんな場所で、僕は何かを感じ取ったと思います。
当時はなんでそんなところに連れて行くのだと思いわかりませんでしたが、今はわかります。
・仕事の世界の真剣勝負の雰囲気
・そこで繰り広げられる人間関係と「本来の性格」を超えたコミュニケーション手法を用いて、がんばって接することの大切さ。
・いつか僕自身が働くようになるその時までに鍛えておかなければいけない本質的な能力
そしてもうひとつ
父がすべてをかけて取り組んでいた「仕事」とその「職場」を長男である僕に見せたい。
そう思っていたと思うのです。
僕は感じ取ったことのいくばくかを意識に取り組み、行動していたと思います。
2年前に敗血症になり、死ぬ間際まで、僕の名前を呼んでいた父。
意識が混濁していても、僕が病院に行くと必ず意識を取り戻し、何かを伝えていた父。
そんな父にいつか立派になった僕を見せたいと思ってきました。
もう、この世では見せることができなかったけれども、今も天国で僕をしっかり見ていると思います。
父が教えてくれたたくさんのことを生かし、そしていつの日にか立派な人になりたいといつも考えています。
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