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皆さん、こんばんは。
プロ研修講師・プロコンサルタント・中小企業診断士の青木公司です。
本日はゆるい話題。
「僕が村上春樹氏と村上春樹氏の作品に触れるときのおごそかな慣習について」についてです。
村上春樹氏は学生時代からずっと読み続けている作家です。
最初に読んだのはノルウェイの森。
あの頃の僕は、ノルウェイの森が純愛小説と思えるほどはすれてなくて、本の中の登場人物の持つ冷めた雰囲気や喪失感が、自分の中にはないように思えるほどまっすぐに熱くて、それでも、多くを感じながら読んだのだと思います。
その後は、処女作の「風の歌を聴け」から彼の作品の過去を、歴史を順番に読むように読むようになりました。
「1973のピンボール」、「羊をめぐる冒険」、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」、「ダンス・ダンス・ダンス」、「国境の南太陽の西」、「ねじまき鳥、クロニクル」、「スプートニクの恋人」、「海辺のカフカ」、「アフターダーク」、「色彩をもたない多崎つくると彼の巡礼の年」
長編だけでもこれだけすべて購入して読んでいます。
一人の作家の本をこれだけ購入して読んでいるのは彼だけです。
短編集もほぼ購入し読んでいますが、ここで挙げるのはきりがないからやめます。
僕が大好きな作品は、長編では「羊をめぐる冒険」と「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」。
最初は断片的だった事実が、ぐいぐい一つになっていく感じと、ある意味、レイモンドチャンドラーフィリップ・マーローシリーズにも似たハードボイルド感、そして、しゃれたライフスタイルに、どうしようもない淋しさ、救いのなさが、僕の求める生き方と違う部分があって、そこに逆に引かれて、何度読んでもその面白さは失われることがなく、さらに、新しい発見があって、そういう部分が過去から好きで、今も好きなのだと感じます。
短編で僕が好きなのは、「ある4月の晴れた人朝に100%の女の子に出会うことについて」。
たぶんこれは村上春樹の中でも一番好きな話だし、実はすべての世の中の短編で最も好きなものかもしれません。
哀しくて、せつなくて、そして、どうしようもないくらい素敵な話で、そらでいえるほど、内容を覚えています。
昔は、彼の小説を読むときの僕のしきたりのようなものがあります。
昼間は熱いコーヒー(僕はブルーマウンテンが好き)か紅茶(やはりジャン・リュック・ピカード艦長も好きなアールグレイが好き)を飲みながら。
そして、おなかがすいた時のために簡単なサンドイッチを事前に作って(パン屋の食パンにマーガリンとからしを塗り、軽く焼いたロースハムとチーズを挟んだ簡単なもの)、それをつまみながら何時間も読む
夜は、昔はバーボンウイスキー(ジャックダニエル)、そのあとは、サントリーの響の17年物やヘネシー。
そして最近はスコッチ(ボウモアやラガブーリンなどアイラ島のもの)などを傾けながら、深夜にひそかに深まる夜とともに楽しむというのが僕のスタイルです。
この辺は儀式的なものがあるのでしょうか。
今、新しい長編小説の「騎士団長殺し」を読み始めています。
まだ途中ですが、久々にはまるテイストで、できたら羊たちの沈黙や世界の終わりと・・に匹敵する出来であるとうれしいと思いながら読み進めています。
村上春樹氏の作品が、本当に僕の一番の好みの作家かどうかはわかりません。
例えば海外の作家でいえば、アーシュラ・K・ル・グウインのゲド戦記や、スディーブン・キングやジェフリー・アーチャーなども捨てがたいし、日本でも重松清氏や宮本輝氏、またバッテリーのあさのあつこ氏なども好きなのです。
作品によっての外れのなさでいえば、ほかの作家の勝ちのような気もするのですが、村上春樹氏の作品、少なくても長編をすべて読まなければいけないという強迫観念にも似た気持ちを持つのは、ただ単に彼の作品が人気があるからではない、僕にとっての何かがあるのだと思います。
そんなことを考えながら。
仕事に支障がないようにしながら。
彼の作品を今日も楽しもうと思うのです。
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皆さん、こんばんは。
プロ研修講師・プロコンサルタント・中小企業診断士の青木公司です。
本日はゆるい話題。
「僕が村上春樹氏と村上春樹氏の作品に触れるときのおごそかな慣習について」についてです。
村上春樹氏は学生時代からずっと読み続けている作家です。
最初に読んだのはノルウェイの森。
あの頃の僕は、ノルウェイの森が純愛小説と思えるほどはすれてなくて、本の中の登場人物の持つ冷めた雰囲気や喪失感が、自分の中にはないように思えるほどまっすぐに熱くて、それでも、多くを感じながら読んだのだと思います。
その後は、処女作の「風の歌を聴け」から彼の作品の過去を、歴史を順番に読むように読むようになりました。
「1973のピンボール」、「羊をめぐる冒険」、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」、「ダンス・ダンス・ダンス」、「国境の南太陽の西」、「ねじまき鳥、クロニクル」、「スプートニクの恋人」、「海辺のカフカ」、「アフターダーク」、「色彩をもたない多崎つくると彼の巡礼の年」
長編だけでもこれだけすべて購入して読んでいます。
一人の作家の本をこれだけ購入して読んでいるのは彼だけです。
短編集もほぼ購入し読んでいますが、ここで挙げるのはきりがないからやめます。
僕が大好きな作品は、長編では「羊をめぐる冒険」と「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」。
最初は断片的だった事実が、ぐいぐい一つになっていく感じと、ある意味、レイモンドチャンドラーフィリップ・マーローシリーズにも似たハードボイルド感、そして、しゃれたライフスタイルに、どうしようもない淋しさ、救いのなさが、僕の求める生き方と違う部分があって、そこに逆に引かれて、何度読んでもその面白さは失われることがなく、さらに、新しい発見があって、そういう部分が過去から好きで、今も好きなのだと感じます。
短編で僕が好きなのは、「ある4月の晴れた人朝に100%の女の子に出会うことについて」。
たぶんこれは村上春樹の中でも一番好きな話だし、実はすべての世の中の短編で最も好きなものかもしれません。
哀しくて、せつなくて、そして、どうしようもないくらい素敵な話で、そらでいえるほど、内容を覚えています。
昔は、彼の小説を読むときの僕のしきたりのようなものがあります。
昼間は熱いコーヒー(僕はブルーマウンテンが好き)か紅茶(やはりジャン・リュック・ピカード艦長も好きなアールグレイが好き)を飲みながら。
そして、おなかがすいた時のために簡単なサンドイッチを事前に作って(パン屋の食パンにマーガリンとからしを塗り、軽く焼いたロースハムとチーズを挟んだ簡単なもの)、それをつまみながら何時間も読む
夜は、昔はバーボンウイスキー(ジャックダニエル)、そのあとは、サントリーの響の17年物やヘネシー。
そして最近はスコッチ(ボウモアやラガブーリンなどアイラ島のもの)などを傾けながら、深夜にひそかに深まる夜とともに楽しむというのが僕のスタイルです。
この辺は儀式的なものがあるのでしょうか。
今、新しい長編小説の「騎士団長殺し」を読み始めています。
まだ途中ですが、久々にはまるテイストで、できたら羊たちの沈黙や世界の終わりと・・に匹敵する出来であるとうれしいと思いながら読み進めています。
村上春樹氏の作品が、本当に僕の一番の好みの作家かどうかはわかりません。
例えば海外の作家でいえば、アーシュラ・K・ル・グウインのゲド戦記や、スディーブン・キングやジェフリー・アーチャーなども捨てがたいし、日本でも重松清氏や宮本輝氏、またバッテリーのあさのあつこ氏なども好きなのです。
作品によっての外れのなさでいえば、ほかの作家の勝ちのような気もするのですが、村上春樹氏の作品、少なくても長編をすべて読まなければいけないという強迫観念にも似た気持ちを持つのは、ただ単に彼の作品が人気があるからではない、僕にとっての何かがあるのだと思います。
そんなことを考えながら。
仕事に支障がないようにしながら。
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