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皆さん、こんばんは!
売れプロ塾長・プロ研修講師・プロコンサルタント・中小企業診断士の青木公司です。
本日は「僕がはじめて見つけた夜の行きつけの店といつかまた食べてみたい極上の一品について」です。
僕は沖縄にいた中学校1年生の時、沖縄で当時有名だった進学塾に通っていました。
ただ埼玉県に引っ越してきてから中学校二年生の時は塾に入っていませんでした。
そういうわけで中学校3年生から進学塾に通うことにしました。
ただ僕の住んでいる市には残念ながらめぼしい進学塾が見当たらなかったため、隣の市にある進学塾に通うことにしました。
その隣の市の進学塾とうちの自宅の間には広大な航空自衛隊の基地がありました。
だからその基地を避けて迂回していくと、大きく迂回するため、塾までの距離は7km以上、楽にあることになります。
ただ、幸いにもうちの父は航空自衛隊に努めている自衛官だったので家族用の通行証を僕はもっていました。
自衛隊の基地をつっきっていくと、塾までの距離は5kmちょっとです。
だから僕は週3回、自転車でその塾に通いました。
塾は18:00-21:00までの3時間くらいの講義でした。
中学生の僕にとって、夜、片道5kmちょっと自転車で向かうその道は特別な時間でした。
官舎に住んでいたので自衛隊のこちら側の門までは400mくらいでしょうか。
家族用の通行証を見せて、自衛隊の中の太い道を時速20km以上で飛ばして漕いでいきます。
そして向う側の門で通行証を見せて出る。
その厳かな儀式も楽しくて、門にいる自衛隊の方にたまに敬礼したりとかして、今度は住宅街を通り、そして商店街を通って塾に向かう。
商店街には、よるの街に向かう大人や帰宅途中の大人がたくさんいて、とても面白かったのを覚えています。
そして、かえり。21:00に塾が終わり、先生に質問したり、友人と話をしたりで帰路につくのは21:20から。そこから自宅に向かいます。
夜の大人たちを横目に、坂道を上り、航空自衛隊の基地の中へ。
そして、週に一度の僕のきまりがありました。
21:40とかの時間帯。
育ち盛りのお腹を空かせた僕は、航空自衛隊の中にいる、自動販売機が設置してある休憩所に向かうのです。
そこが僕が初めて人生で手に入れた夜の行きつけのお店でした。
僕のお気に入りは、「ハンバーガーの自動販売機」。
そこでチーズバーガーを購入するのが僕の決まりでした。
そのチーズバーガーの販売機はコインを入れて注文すると60秒くらいあたためて出てくるもので、僕のような中学生が出入りするところにはなかなかおいていないものでした。
その60秒を待つ間、わくわくしながら、紙コップのコカ・コーラを購入する。
そして、その休憩室にあるスタンディングのテーブルでコーラを片手にチーズバーガーをかじる。
中学生の僕にとって、夜21:40という時間帯も相まって、本当においしく感じたことを覚えています。
レンジで暖まりすぎた部分をやけどしないように気を付けながら、ばくばく食べました。
時には航空自衛隊のお兄さんたちと一緒になり、「君はなんでこんなところにこんな時間にいるんだい。」などと尋ねられたことを覚えています。
隣の市の塾に通っていて、その帰りにここによって休んでいることを伝えると「そうか。今度、受験か?そうか。がんばれよ。」と声をかけてくれたりしました。
時には「お父さんはだれ?」と聞かれ、航空自衛隊の人事班長の青木一尉(父は最終は2佐でしたがその当時は確か一尉でした)の息子だと告げると、「おおそうか。青木班長の息子さんか。お父さんにはお世話になっているよ。がんばれ。」と声をかけてくれました。
その休憩室にくる人は比較的若い自衛隊の方が多く、若い大人の自衛隊の方々と、夜にそういうちょっとした交流をするのもとても楽しかった思い出があります。
時には「青木班長はこんなところもあってね。」とぼくが知らない父のことを教えてくれる隊員の方もいたりしました(笑)。
ある時、父に連れられて、航空自衛隊の中の売店のPXに行ったとき、夜、その自動販売機の休憩室で何度かあった若い隊員に「よう。」と声をかけられ、父に「なんで彼らをしっているんだ?」と言われ、軽い秘密を持っているのがうれしくで「別に何でもないよ。」とけむに巻いたことを覚えています。
今、考えると何でもないようなことですが、当時の僕にとってはほんのちょっと大人の仲間入りをしたような気持ちになっていたのかもしれません。
今、大人になり、食べようと思えばどんな高級すしでもうなぎでも、和牛のすき焼きでも焼肉でも、日本料理でもイタリアンでもフレンチでも、なんでも食べることができます。
それでもやっぱり、あの中学校の時のあの夜の自衛隊の中の自動販売機の休憩室で食べたチーズバーガーとコーラ。
あれはやっぱり最高だったと思うのです。
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