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皆さん、こんにちは!
プロ研修講師・プロコンサルタント・中小企業診断士のあお先生こと、青木公司です。
まず西日本での豪雨被害で西日本が大変なことになっていると思います。
青木も研修などの仕事で伺う四国松山などの方、中国地方の広島や岡山などの方、九州福岡の方など大丈夫でしょうか。
被害が少なくなることをお祈りしています。
さて、今週もポジティブに過ごしていただけるようにいい言葉をお贈りします。
こちら、過去2008年に載せた記事の再掲示になります。
以下、ある14歳の少女の手紙です。
彼女は自分が心臓病の手術をする3日前、彼女のお母さんに充ててこの手紙を書きました。
15時間もの命をかけた大手術の前に。
------------------------------------------------------------------------
お母さんへ
お母さん、いよいよ三日後には手術だね。手術を目の前にして、お母さんに言いたいことは、ただ一つ。
14年間、私を育ててくれてありがとう。
心臓病を持って生まれた私を、14年間、必死になって育ててくれてありがとう。
プールに入れないと、泣いてくやしがったわたしを、ひざの上に乗せて、「世の中には、もっともっと大変な人がいるんだよ。」と、何度も何度も言い聞かせてくれたお母さん。
小学校の遠足では「お母さんは佐江子の足だよ。」って言いながら、わたしをおぶって、いっしょについて来てくれたけど、わたしはとてもいやだった。
ずっと、自転車で学校に送り迎えをしてもらっていたわたしも、大きくなって、自転車の後ろに乗れなくなったからと、車の免許までとったお母さん。もう41歳で、ちょっとおっちょこちょいのお母さんが、免許をとれたなんて、今でも信じられないよ。
昨年の5月の宿はく学習のときは、担任の先生や校長先生に、一生けん命頭を下げて、「どうか、一泊だけでも行かせてやってください。」って頼んでまわってくれたっけ。
いつもお風呂から出て、お母さんと一緒に飲むアイス・コーヒーは、この世で一番おいしいコーヒーです。いろんなことをしゃべって、ゲラゲラ笑い合って。一日も早く退院して、また一緒にコーヒーを飲みたいな。
つらくて、なみだが止まらない時、黙ってわたしの手を握ってくれるお母さんの手は、とってもあったかい。
つらいことが、雪のように、どんどんとけてゆくみたい。14歳になって、甘ったれだと思われるかもしれないけど、わたしはお母さんのあったかい手が大好きです。
「おやすみ。」と言い合って、ふとんに入るときのお母さんの口ぐせ。
「いい夢見なさい。」
「別に、好きで悪い夢を見てるわけじゃないのに。いい夢なんて、見ようと思って見られるものじゃない。変なの。」ってずっと思っていたの。
「いい夢見なさい。」は「悪いことばっかり考えて、メソメソしていないで、いいほうへ、いいほうへと考えなさい。」「明日もいいことがあるといいね。」っていうことだったんだね。
今、それに気づいて、わたしも将来、子供が生まれたら、夜、「いい夢見なさい。」と言ってあげたいとなと思います。
毎日、わたしのカバンを持って、教室まで送ってきてくれるお母さん。朝、全然知らない生徒にでも「おはようございます。」と大きい声であいさつしてさ。
「そんなことしたら、よけい目立ってはずかしいじゃない」って、すごおくすごおくいやだったけど、今は違います。
お母さんのそんな姿を見て育ったから、わたしはいつでも堂々と、胸を張って歩けるようになりました。
わたしは病気だけど、いつも送り迎えをしてもらっているけど、別にいいじゃない。
わたしは何も悪いことはしていないのだから。そうだよね。お母さん。
だから、今のわたしはとっても幸せです。
登校すると、いくらお母さんがわきにいたって「佐江ちゃん、おはよう。」と声をかけてくれる友達がいます。
休み時間に、一緒にワイワイさわいでくれる友達がいます。わたしのために、なみだを流してくれる友達がいます。
堂々と、しっかり胸を張って、明るく生きることで、わたしはこんなに幸せになりました。
みんな、みんな、お母さんのおかげです。ありがとう。
「お母さんなんか、わたしの気持ち、全然分かってない。」そう思ったことが、何度あっただろう。
でも、ほんとはお母さん、わたしの気持ち分かり過ぎるくらい、分かっているんだよね。
お母さんも、わたしのつらさと同じくらいのつらさを味わっている。手術の日が決まってから、なんとなく落ちつかず、わたしに「がんばれ。」を連発していたお母さんを見て、はっきりそう思いました。
わたしがつらくて、くやしくて、泣きたくなるとき、お母さんもやっぱり、なみだを流すまいとがんばっている。
わたしが手術を目前にして、ちょっぴりドキドキしているとき、お母さんは、わたし以上にきんちょうしているだよね。
小学校入学以来、初めて、親の付きそいなしで行けた中学1年の遠足では、お母さんもすごく喜んで、うれし涙をボロボロ流していたっけね。
「夫婦は一心同体」とよく言うけど、わたしたちは親子で一心同体だよ。
わたしはこのごろ、病院で一人さみしくなると、「お母さんもさみしいんだ。がんばれ。」って、自分に言い聞かせているんだ。
わたしがつらいときは、お母さんも同じようにつらい。
だからわたしは、「手術がんばってくるからね。」ではなくて、「手術がんばろうね。」と言いたいのです。わたしの手術は、15時間くらいかかるって聞いたけど、わたしは大丈夫だからね。
この手術がすめば、わたしもみんなと同じ、健康な体になれるんだもん。わたしもしっかりがんばるから、お母さんもがんばってね。
最後にもう一度。
14年間、笑顔と根性でわたしを育ててくれて、本当にありがとう。
今、365×14回分の「ありがとう」を言いたい気分です。
これからも、もうしばらくは、お世話になるだろうけど、よろしくね。その代わり、お母さんがおばあちゃんになったらたっぷりめんどうをみるからね。
手術、がんばろうね。
佐江子
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「14年間、笑顔と根性でわたしを育ててくれて、本当にありがとう。今、365×14回分の『ありがとう』を言いたい気分です。」・・・柳橋佐江子さん
佐江子さんはこの言葉を手紙に記した当時、14歳の中学生。上記は、15時間もの命を懸けた心臓病手術の前日にお母さんに渡した手紙に記した言葉です。
手紙には、心臓病を患って生まれた自分を必死に育ててくれた母への感謝の言葉と愛情であふれています。
・小学校の遠足で「お母さんは佐江子の足なんだよ」といっておぶって歩いてくれたこと。
・自転車の後ろにのせられなくなった時、40歳を超えて車の免許を取ってくれたこと。
・宿泊合宿にいかすため、校長先生や担任の先生に「一日だけでもいいからいかせてやってください」と何度も頭を下げてくれたこと。
・毎日のお風呂の後、お母さんとげらげら笑いながら会話して飲む一杯の「アイス・コーヒー」が世界で一番のコーヒーだと思うこと
・翌日の15時間の心臓病手術は「がんばってくる」ではなく、一心同体のお母さんと「一緒にがんばろうね」というつもりなこと。
「今、365×14回の「ありがとう」を言いたい気分です」
そう述べる彼女の手紙には、一点の曇りもなく、愛情と感謝で満ち溢れ、生への強い信念が記されています。
彼女は手紙を母親に渡した翌日、15時間にも及ぶ手術との戦いで、ついに力尽き、残念ながら亡くなりました。
それでも、彼女が残した強力な「幸せの意味」「命の大切さ」「生きる喜び」「感謝の言葉の美しさ」「相手に伝えることの大切さ」は永久に消えることはありません。
最近、命の大切さを考えるような出来事がたくさん起こっています。
ほんとうに大切なもの。
それは私たちのいつもの何気ない瞬間瞬間にあると思います。
そして、それをいつも感じていたいと思うのです。
今日もがんばりましょう!
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プロ研修講師・プロコンサルタント・中小企業診断士のあお先生こと、青木公司です。
まず西日本での豪雨被害で西日本が大変なことになっていると思います。
青木も研修などの仕事で伺う四国松山などの方、中国地方の広島や岡山などの方、九州福岡の方など大丈夫でしょうか。
被害が少なくなることをお祈りしています。
さて、今週もポジティブに過ごしていただけるようにいい言葉をお贈りします。
こちら、過去2008年に載せた記事の再掲示になります。
以下、ある14歳の少女の手紙です。
彼女は自分が心臓病の手術をする3日前、彼女のお母さんに充ててこの手紙を書きました。
15時間もの命をかけた大手術の前に。
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お母さんへ
お母さん、いよいよ三日後には手術だね。手術を目の前にして、お母さんに言いたいことは、ただ一つ。
14年間、私を育ててくれてありがとう。
心臓病を持って生まれた私を、14年間、必死になって育ててくれてありがとう。
プールに入れないと、泣いてくやしがったわたしを、ひざの上に乗せて、「世の中には、もっともっと大変な人がいるんだよ。」と、何度も何度も言い聞かせてくれたお母さん。
小学校の遠足では「お母さんは佐江子の足だよ。」って言いながら、わたしをおぶって、いっしょについて来てくれたけど、わたしはとてもいやだった。
ずっと、自転車で学校に送り迎えをしてもらっていたわたしも、大きくなって、自転車の後ろに乗れなくなったからと、車の免許までとったお母さん。もう41歳で、ちょっとおっちょこちょいのお母さんが、免許をとれたなんて、今でも信じられないよ。
昨年の5月の宿はく学習のときは、担任の先生や校長先生に、一生けん命頭を下げて、「どうか、一泊だけでも行かせてやってください。」って頼んでまわってくれたっけ。
いつもお風呂から出て、お母さんと一緒に飲むアイス・コーヒーは、この世で一番おいしいコーヒーです。いろんなことをしゃべって、ゲラゲラ笑い合って。一日も早く退院して、また一緒にコーヒーを飲みたいな。
つらくて、なみだが止まらない時、黙ってわたしの手を握ってくれるお母さんの手は、とってもあったかい。
つらいことが、雪のように、どんどんとけてゆくみたい。14歳になって、甘ったれだと思われるかもしれないけど、わたしはお母さんのあったかい手が大好きです。
「おやすみ。」と言い合って、ふとんに入るときのお母さんの口ぐせ。
「いい夢見なさい。」
「別に、好きで悪い夢を見てるわけじゃないのに。いい夢なんて、見ようと思って見られるものじゃない。変なの。」ってずっと思っていたの。
「いい夢見なさい。」は「悪いことばっかり考えて、メソメソしていないで、いいほうへ、いいほうへと考えなさい。」「明日もいいことがあるといいね。」っていうことだったんだね。
今、それに気づいて、わたしも将来、子供が生まれたら、夜、「いい夢見なさい。」と言ってあげたいとなと思います。
毎日、わたしのカバンを持って、教室まで送ってきてくれるお母さん。朝、全然知らない生徒にでも「おはようございます。」と大きい声であいさつしてさ。
「そんなことしたら、よけい目立ってはずかしいじゃない」って、すごおくすごおくいやだったけど、今は違います。
お母さんのそんな姿を見て育ったから、わたしはいつでも堂々と、胸を張って歩けるようになりました。
わたしは病気だけど、いつも送り迎えをしてもらっているけど、別にいいじゃない。
わたしは何も悪いことはしていないのだから。そうだよね。お母さん。
だから、今のわたしはとっても幸せです。
登校すると、いくらお母さんがわきにいたって「佐江ちゃん、おはよう。」と声をかけてくれる友達がいます。
休み時間に、一緒にワイワイさわいでくれる友達がいます。わたしのために、なみだを流してくれる友達がいます。
堂々と、しっかり胸を張って、明るく生きることで、わたしはこんなに幸せになりました。
みんな、みんな、お母さんのおかげです。ありがとう。
「お母さんなんか、わたしの気持ち、全然分かってない。」そう思ったことが、何度あっただろう。
でも、ほんとはお母さん、わたしの気持ち分かり過ぎるくらい、分かっているんだよね。
お母さんも、わたしのつらさと同じくらいのつらさを味わっている。手術の日が決まってから、なんとなく落ちつかず、わたしに「がんばれ。」を連発していたお母さんを見て、はっきりそう思いました。
わたしがつらくて、くやしくて、泣きたくなるとき、お母さんもやっぱり、なみだを流すまいとがんばっている。
わたしが手術を目前にして、ちょっぴりドキドキしているとき、お母さんは、わたし以上にきんちょうしているだよね。
小学校入学以来、初めて、親の付きそいなしで行けた中学1年の遠足では、お母さんもすごく喜んで、うれし涙をボロボロ流していたっけね。
「夫婦は一心同体」とよく言うけど、わたしたちは親子で一心同体だよ。
わたしはこのごろ、病院で一人さみしくなると、「お母さんもさみしいんだ。がんばれ。」って、自分に言い聞かせているんだ。
わたしがつらいときは、お母さんも同じようにつらい。
だからわたしは、「手術がんばってくるからね。」ではなくて、「手術がんばろうね。」と言いたいのです。わたしの手術は、15時間くらいかかるって聞いたけど、わたしは大丈夫だからね。
この手術がすめば、わたしもみんなと同じ、健康な体になれるんだもん。わたしもしっかりがんばるから、お母さんもがんばってね。
最後にもう一度。
14年間、笑顔と根性でわたしを育ててくれて、本当にありがとう。
今、365×14回分の「ありがとう」を言いたい気分です。
これからも、もうしばらくは、お世話になるだろうけど、よろしくね。その代わり、お母さんがおばあちゃんになったらたっぷりめんどうをみるからね。
手術、がんばろうね。
佐江子
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「14年間、笑顔と根性でわたしを育ててくれて、本当にありがとう。今、365×14回分の『ありがとう』を言いたい気分です。」・・・柳橋佐江子さん
佐江子さんはこの言葉を手紙に記した当時、14歳の中学生。上記は、15時間もの命を懸けた心臓病手術の前日にお母さんに渡した手紙に記した言葉です。
手紙には、心臓病を患って生まれた自分を必死に育ててくれた母への感謝の言葉と愛情であふれています。
・小学校の遠足で「お母さんは佐江子の足なんだよ」といっておぶって歩いてくれたこと。
・自転車の後ろにのせられなくなった時、40歳を超えて車の免許を取ってくれたこと。
・宿泊合宿にいかすため、校長先生や担任の先生に「一日だけでもいいからいかせてやってください」と何度も頭を下げてくれたこと。
・毎日のお風呂の後、お母さんとげらげら笑いながら会話して飲む一杯の「アイス・コーヒー」が世界で一番のコーヒーだと思うこと
・翌日の15時間の心臓病手術は「がんばってくる」ではなく、一心同体のお母さんと「一緒にがんばろうね」というつもりなこと。
「今、365×14回の「ありがとう」を言いたい気分です」
そう述べる彼女の手紙には、一点の曇りもなく、愛情と感謝で満ち溢れ、生への強い信念が記されています。
彼女は手紙を母親に渡した翌日、15時間にも及ぶ手術との戦いで、ついに力尽き、残念ながら亡くなりました。
それでも、彼女が残した強力な「幸せの意味」「命の大切さ」「生きる喜び」「感謝の言葉の美しさ」「相手に伝えることの大切さ」は永久に消えることはありません。
最近、命の大切さを考えるような出来事がたくさん起こっています。
ほんとうに大切なもの。
それは私たちのいつもの何気ない瞬間瞬間にあると思います。
そして、それをいつも感じていたいと思うのです。
今日もがんばりましょう!
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