こんばんは。中小企業診断士の青木公司です。
何名かの方にお問い合わせを頂いたので、柳橋佐江子さんの手紙の全文をご紹介します。
言葉はいらないでしょう。大切なことを体感して下さい。
----------------------------------------------------------
お母さんへ
お母さん、いよいよ三日後には手術だね。手術を目の前にして、お母さんに言いたいことは、ただ一つ。
14年間、私を育ててくれてありがとう。
心臓病を持って生まれた私を、14年間、必死になって育ててくれてありがとう。
プールに入れないと、泣いてくやしがったわたしを、ひざの上に乗せて、「世の中には、もっともっと大変な人がいるんだよ。」と、何度も何度も言い聞かせてくれたお母さん。小学校の遠足では「お母さんは佐江子の足だよ。」って言いながら、わたしをおぶって、いっしょについて来てくれたけど、わたしはとてもいやだった。ずっと、自転車で学校に送り迎えをしてもらっていたわたしも、大きくなって、自転車の後ろに乗れなくなったからと、車の免許までとったお母さん。もう41歳で、ちょっとおっちょこちょいのお母さんが、免許をとれたなんて、今でも信じられないよ。
昨年の5月の宿はく学習のときは、担任の先生や校長先生に、一生けん命頭を下げて、「どうか、一泊だけでも行かせてやってください。」って頼んでまわってくれたっけ。
いつもお風呂から出て、お母さんと一緒に飲むアイス・コーヒーは、この世で一番おいしいコーヒーです。いろんなことをしゃべって、ゲラゲラ笑い合って。一日も早く退院して、また一緒にコーヒーを飲みたいな。
つらくて、なみだが止まらない時、黙ってわたしの手を握ってくれるお母さんの手は、とってもあったかい。つらいことが、雪のように、どんどんとけてゆくみたい。14歳になって、甘ったれだと思われるかもしれないけど、わたしはお母さんのあったかい手が大好きです。
「おやすみ。」と言い合って、ふとんに入るときのお母さんの口ぐせ。「いい夢見なさい。」「別に、好きで悪い夢を見てるわけじゃないのに。いい夢なんて、見ようと思って見られるものじゃない。変なの。」ってずっと思っていたの。「いい夢見なさい。」は「悪いことばっかり考えて、メソメソしていないで、いいほうへ、いいほうへと考えなさい。」「明日もいいことがあるといいね。」っていうことだったんだね。今、それに気づいて、わたしも将来、子供が生まれたら、夜、「いい夢見なさい。」と言ってあげたいとなと思います。
毎日、わたしのカバンを持って、教室まで送ってきてくれるお母さん。朝、全然知らない生徒にでも「おはようございます。」と大きい声であいさつしてさ。「そんなことしたら、よけい目立ってはずかしいじゃない」って、すごおくすごおくいやだったけど、今は違います。お母さんのそんな姿を見て育ったから、わたしはいつでも堂々と、胸を張って歩けるようになりました。わたしは病気だけど、いつも送り迎えをしてもらっているけど、別にいいじゃない。わたしは何も悪いことはしていないのだから。そうだよね。お母さん。
だから、今のわたしはとっても幸せです。登校すると、いくらお母さんがわきにいたって「佐江ちゃん、おはよう。」と声をかけてくれる友達がいます。休み時間に、一緒にワイワイさわいでくれる友達がいます。わたしのために、なみだを流してくれる友達がいます。堂々と、しっかり胸を張って、明るく生きることで、わたしはこんなに幸せになりました。みんな、みんな、お母さんのおかげです。ありがとう。
「お母さんなんか、わたしの気持ち、全然分かってない。」そう思ったことが、何度あっただろう。でも、ほんとはお母さん、わたしの気持ち分かり過ぎるくらい、分かっているんだよね。お母さんも、わたしのつらさと同じくらいのつらさを味わっている。手術の日が決まってから、なんとなく落ちつかず、わたしに「がんばれ。」を連発していたお母さんを見て、はっきりそう思いました。
わたしがつらくて、くやしくて、泣きたくなるとき、お母さんもやっぱり、なみだを流すまいとがんばっている。わたしが手術を目前にして、ちょっぴりドキドキしているとき、お母さんは、わたし以上にきんちょうしているだよね。小学校入学以来、初めて、親の付きそいなしで行けた中学1年の遠足では、お母さんもすごく喜んで、うれし涙をボロボロ流していたっけね。「夫婦は一心同体」とよく言うけど、わたしたちは親子で一心同体だよ。
わたしはこのごろ、病院で一人さみしくなると、「お母さんもさみしいんだ。がんばれ。」って、自分に言い聞かせているんだ。
わたしがつらいときは、お母さんも同じようにつらい。だからわたしは、「手術がんばってくるからね。」ではなくて、「手術がんばろうね。」と言いたいのです。わたしの手術は、15時間くらいかかるって聞いたけど、わたしは大丈夫だからね。この手術がすめば、わたしもみんなと同じ、健康な体になれるんだもん。わたしもしっかりがんばるから、お母さんもがんばってね。
最後にもう一度。
14年間、笑顔と根性でわたしを育ててくれて、本当にありがとう。
今、365×14回分の「ありがとう」を言いたい気分です。
これからも、もうしばらくは、お世話になるだろうけど、よろしくね。その代わり、お母さんがおばあちゃんになったらたっぷりめんどうをみるからね。
手術、がんばろうね。
佐江子
-----------------------------------------------------------------------
14歳の柳橋佐江子さんは、臓病の手術の前日にお母さんにこの手紙を渡しました。翌日、佐江子さんは亡くなりました。
命とは。生きるとは。幸せとは。感謝とは。すべての答えがこの中にあるとは思いませんか。
何名かの方にお問い合わせを頂いたので、柳橋佐江子さんの手紙の全文をご紹介します。
言葉はいらないでしょう。大切なことを体感して下さい。
----------------------------------------------------------
お母さんへ
お母さん、いよいよ三日後には手術だね。手術を目の前にして、お母さんに言いたいことは、ただ一つ。
14年間、私を育ててくれてありがとう。
心臓病を持って生まれた私を、14年間、必死になって育ててくれてありがとう。
プールに入れないと、泣いてくやしがったわたしを、ひざの上に乗せて、「世の中には、もっともっと大変な人がいるんだよ。」と、何度も何度も言い聞かせてくれたお母さん。小学校の遠足では「お母さんは佐江子の足だよ。」って言いながら、わたしをおぶって、いっしょについて来てくれたけど、わたしはとてもいやだった。ずっと、自転車で学校に送り迎えをしてもらっていたわたしも、大きくなって、自転車の後ろに乗れなくなったからと、車の免許までとったお母さん。もう41歳で、ちょっとおっちょこちょいのお母さんが、免許をとれたなんて、今でも信じられないよ。
昨年の5月の宿はく学習のときは、担任の先生や校長先生に、一生けん命頭を下げて、「どうか、一泊だけでも行かせてやってください。」って頼んでまわってくれたっけ。
いつもお風呂から出て、お母さんと一緒に飲むアイス・コーヒーは、この世で一番おいしいコーヒーです。いろんなことをしゃべって、ゲラゲラ笑い合って。一日も早く退院して、また一緒にコーヒーを飲みたいな。
つらくて、なみだが止まらない時、黙ってわたしの手を握ってくれるお母さんの手は、とってもあったかい。つらいことが、雪のように、どんどんとけてゆくみたい。14歳になって、甘ったれだと思われるかもしれないけど、わたしはお母さんのあったかい手が大好きです。
「おやすみ。」と言い合って、ふとんに入るときのお母さんの口ぐせ。「いい夢見なさい。」「別に、好きで悪い夢を見てるわけじゃないのに。いい夢なんて、見ようと思って見られるものじゃない。変なの。」ってずっと思っていたの。「いい夢見なさい。」は「悪いことばっかり考えて、メソメソしていないで、いいほうへ、いいほうへと考えなさい。」「明日もいいことがあるといいね。」っていうことだったんだね。今、それに気づいて、わたしも将来、子供が生まれたら、夜、「いい夢見なさい。」と言ってあげたいとなと思います。
毎日、わたしのカバンを持って、教室まで送ってきてくれるお母さん。朝、全然知らない生徒にでも「おはようございます。」と大きい声であいさつしてさ。「そんなことしたら、よけい目立ってはずかしいじゃない」って、すごおくすごおくいやだったけど、今は違います。お母さんのそんな姿を見て育ったから、わたしはいつでも堂々と、胸を張って歩けるようになりました。わたしは病気だけど、いつも送り迎えをしてもらっているけど、別にいいじゃない。わたしは何も悪いことはしていないのだから。そうだよね。お母さん。
だから、今のわたしはとっても幸せです。登校すると、いくらお母さんがわきにいたって「佐江ちゃん、おはよう。」と声をかけてくれる友達がいます。休み時間に、一緒にワイワイさわいでくれる友達がいます。わたしのために、なみだを流してくれる友達がいます。堂々と、しっかり胸を張って、明るく生きることで、わたしはこんなに幸せになりました。みんな、みんな、お母さんのおかげです。ありがとう。
「お母さんなんか、わたしの気持ち、全然分かってない。」そう思ったことが、何度あっただろう。でも、ほんとはお母さん、わたしの気持ち分かり過ぎるくらい、分かっているんだよね。お母さんも、わたしのつらさと同じくらいのつらさを味わっている。手術の日が決まってから、なんとなく落ちつかず、わたしに「がんばれ。」を連発していたお母さんを見て、はっきりそう思いました。
わたしがつらくて、くやしくて、泣きたくなるとき、お母さんもやっぱり、なみだを流すまいとがんばっている。わたしが手術を目前にして、ちょっぴりドキドキしているとき、お母さんは、わたし以上にきんちょうしているだよね。小学校入学以来、初めて、親の付きそいなしで行けた中学1年の遠足では、お母さんもすごく喜んで、うれし涙をボロボロ流していたっけね。「夫婦は一心同体」とよく言うけど、わたしたちは親子で一心同体だよ。
わたしはこのごろ、病院で一人さみしくなると、「お母さんもさみしいんだ。がんばれ。」って、自分に言い聞かせているんだ。
わたしがつらいときは、お母さんも同じようにつらい。だからわたしは、「手術がんばってくるからね。」ではなくて、「手術がんばろうね。」と言いたいのです。わたしの手術は、15時間くらいかかるって聞いたけど、わたしは大丈夫だからね。この手術がすめば、わたしもみんなと同じ、健康な体になれるんだもん。わたしもしっかりがんばるから、お母さんもがんばってね。
最後にもう一度。
14年間、笑顔と根性でわたしを育ててくれて、本当にありがとう。
今、365×14回分の「ありがとう」を言いたい気分です。
これからも、もうしばらくは、お世話になるだろうけど、よろしくね。その代わり、お母さんがおばあちゃんになったらたっぷりめんどうをみるからね。
手術、がんばろうね。
佐江子
-----------------------------------------------------------------------
14歳の柳橋佐江子さんは、臓病の手術の前日にお母さんにこの手紙を渡しました。翌日、佐江子さんは亡くなりました。
命とは。生きるとは。幸せとは。感謝とは。すべての答えがこの中にあるとは思いませんか。