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皆さん、おはようございます!
プロ研修講師・プロコンサルタント・中小企業診断士のあお先生こと青木公司です。
本日は「相模原殺傷事件で思う!障害があっても弱い部分を抱えても素敵に暮せる豊かな多様性のある社会について」です。
こういうテーマを僕はブログで取り扱うのは好きでありません。
社会派を気取るつもりも一切ありません。
それでも、いろいろ考えたうえで、自分のためにも、ブログを見てくれている方々のためにも、何か書いておこうと思いました。
2016年7月26日、深夜午後2時45分。植松容疑者は首をかき切り、胸を刺し、19名を殺害。45名を殺傷しました。
戦後最悪。そして横溝正史の八つ墓村のモデルにもなった、戦前の岡山の津山事件の33名の死傷を超える空前の大惨事です。
植松容疑者は、元その施設の職員であり、障がい者を襲うことを「作戦」と呼び、「重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界の実現」を語り、
「障害者は不幸を作ることしかできません」と障がい者の方を侮蔑しました。
そして「保護者の疲れきった表情」と保護者も同調するはずとにおわせています。
大変残念です。
彼の考え方、行動自体は普通に考えて論外ですが、中には「障害者は確かに不幸を作り出す」「コストをかける害悪」「安楽死」などの考え方を持つ人が部分的にも同調する声があるのが、僕を驚かせます。
もちろん、いろんな考えがあってもいいのでしょう。
ただ、僕はそうは思いません。
知的障害を抱えている人が必ずしも不幸な存在となぜ言えるのでしょう。
身体的障害を抱えている人が不幸となぜ言えるのでしょう。
保護者やご家族が疲れ切った時もあるとしても、なぜそれをもって、障がい者の子供を殺してほしいと本気で思うと考えるのでしょう。
社会が障がい者のフォローを「無駄なコスト」としての存在としてだけ考えるとなぜ考えるのでしょう。
僕も大勢の知的障害を抱える人や、身体的障害を抱える方々、そしてそのご両親をしっています。
重度の知的障害を抱える人は、たしかに意思疎通などに問題もあったりもしますが、いとおしいところがある存在です。それらの方々はとてもストレートに自分の気持ちを表したりします。
ちょっとしたことで喜んだり、笑顔を見せたり、本気で寂しがったりもします。
すごいやさしさを示してくれたりとかもします。そういう部分、一緒にいると癒されたりもします。
重度の知的障害を抱えていたり、身体障害を抱えている家族の方の多くは、そういう障害を抱えている方を本気で愛し、一生懸命大切に扱っています。愛にあふれるとても素敵な方々で、家族も結束したりしている人も多いです。
そしてそういう障害の方々を見守り、支えながら、自分が感じ取る喜び、学びも多く、そして誰より優しい人になっているはずです。
そしてとても素敵な人が多いです。
そういう人たちみんなが、自分のご家族に安楽死してほしいと本気で思っているのでしょうか。
僕は様々な人がこの世の中にいて、お互いがお互いを認めあい、そして支え合い、お互いの多様性から学び合うことで素敵な社会になると思っています。
障害がある方も、素敵に暮らせるステキな社会がいいと思っています。
そういうことがないと、一定数、障害のあるかたが生まれている中で、安心して結婚し、子供が埋めるとでもいうのでしょうか。
弱者を排除しだせば、知的障害、身体障碍、病気で働けない人、年収の低い人、税金を払う能力のない人・・・・果てしなくそれが拡大していくとなぜ考えないのでしょうか。
世の中には成功者も失敗者も普通の人もいます。
強い人も弱い人もいます。
色んな考えの人もいます。
そんな中で多様性を認めあい、お互いから学び、強い人が強い力や大きな心で弱い人を守る。
みんなが自分なりに素敵に、幸せに生きていける。
人生を楽しめる。
そういう社会がいいと思っています。
そして、僕自身は自分がもっと強くなり、圧倒的な力と大きな心で自分の関係者を守ることができて、そして社会も守ることができる、豊かな社会を作ることができる。
そういうことができる存在にもなっていきたいと思うのです。
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皆さん、おはようございます!
プロ研修講師・プロコンサルタント・中小企業診断士のあお先生こと青木公司です。
本日は「相模原殺傷事件で思う!障害があっても弱い部分を抱えても素敵に暮せる豊かな多様性のある社会について」です。
こういうテーマを僕はブログで取り扱うのは好きでありません。
社会派を気取るつもりも一切ありません。
それでも、いろいろ考えたうえで、自分のためにも、ブログを見てくれている方々のためにも、何か書いておこうと思いました。
2016年7月26日、深夜午後2時45分。植松容疑者は首をかき切り、胸を刺し、19名を殺害。45名を殺傷しました。
戦後最悪。そして横溝正史の八つ墓村のモデルにもなった、戦前の岡山の津山事件の33名の死傷を超える空前の大惨事です。
植松容疑者は、元その施設の職員であり、障がい者を襲うことを「作戦」と呼び、「重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界の実現」を語り、
「障害者は不幸を作ることしかできません」と障がい者の方を侮蔑しました。
そして「保護者の疲れきった表情」と保護者も同調するはずとにおわせています。
大変残念です。
彼の考え方、行動自体は普通に考えて論外ですが、中には「障害者は確かに不幸を作り出す」「コストをかける害悪」「安楽死」などの考え方を持つ人が部分的にも同調する声があるのが、僕を驚かせます。
もちろん、いろんな考えがあってもいいのでしょう。
ただ、僕はそうは思いません。
知的障害を抱えている人が必ずしも不幸な存在となぜ言えるのでしょう。
身体的障害を抱えている人が不幸となぜ言えるのでしょう。
保護者やご家族が疲れ切った時もあるとしても、なぜそれをもって、障がい者の子供を殺してほしいと本気で思うと考えるのでしょう。
社会が障がい者のフォローを「無駄なコスト」としての存在としてだけ考えるとなぜ考えるのでしょう。
僕も大勢の知的障害を抱える人や、身体的障害を抱える方々、そしてそのご両親をしっています。
重度の知的障害を抱える人は、たしかに意思疎通などに問題もあったりもしますが、いとおしいところがある存在です。それらの方々はとてもストレートに自分の気持ちを表したりします。
ちょっとしたことで喜んだり、笑顔を見せたり、本気で寂しがったりもします。
すごいやさしさを示してくれたりとかもします。そういう部分、一緒にいると癒されたりもします。
重度の知的障害を抱えていたり、身体障害を抱えている家族の方の多くは、そういう障害を抱えている方を本気で愛し、一生懸命大切に扱っています。愛にあふれるとても素敵な方々で、家族も結束したりしている人も多いです。
そしてそういう障害の方々を見守り、支えながら、自分が感じ取る喜び、学びも多く、そして誰より優しい人になっているはずです。
そしてとても素敵な人が多いです。
そういう人たちみんなが、自分のご家族に安楽死してほしいと本気で思っているのでしょうか。
僕は様々な人がこの世の中にいて、お互いがお互いを認めあい、そして支え合い、お互いの多様性から学び合うことで素敵な社会になると思っています。
障害がある方も、素敵に暮らせるステキな社会がいいと思っています。
そういうことがないと、一定数、障害のあるかたが生まれている中で、安心して結婚し、子供が埋めるとでもいうのでしょうか。
弱者を排除しだせば、知的障害、身体障碍、病気で働けない人、年収の低い人、税金を払う能力のない人・・・・果てしなくそれが拡大していくとなぜ考えないのでしょうか。
世の中には成功者も失敗者も普通の人もいます。
強い人も弱い人もいます。
色んな考えの人もいます。
そんな中で多様性を認めあい、お互いから学び、強い人が強い力や大きな心で弱い人を守る。
みんなが自分なりに素敵に、幸せに生きていける。
人生を楽しめる。
そういう社会がいいと思っています。
そして、僕自身は自分がもっと強くなり、圧倒的な力と大きな心で自分の関係者を守ることができて、そして社会も守ることができる、豊かな社会を作ることができる。
そういうことができる存在にもなっていきたいと思うのです。