Ombra Mai Fu ~ 優しい樹の下で

POP ♡ OPERA SINGER 
 増田 いずみ ~ OFFICIAL BLOG

取材終了

2007年06月07日 | masudaizumi.com
ふわ~~~~久しぶりの取材。ヘアメイクも12時からスタート、14時から2時間でした。

いつ情報を公開していいのかな?
「私と家族」ということで4ページに渡ってカラー写真付きで掲載予定。

編集者の方に写真を選んでもらうことから始まって。

あまりにも沢山あるなかから、小さい頃の家族全員との写真、母と私の2ショット、姉と私の七五三のときの2ショット、大学の卒業式、音羽ゆりかご会の制服を着たときの写真、オペラでメイクをしてもらったときの写真、、、など何点かピックアップしてもらいました。


私の母が、どうやって小児ぜんそくでコンコンいっている幼稚園児の私を、歌の世界に導いたか、ということが綴られるのです。思い出すのに本当に時間がかかることでは、今回の取材は大変でした。
記憶、というものは、曖昧なもので、写真を掘り起こしながら、これは一体どこだ?というものがでてきて、、、


私は宮崎の病院で生まれたのだと思ったら、、、、、世田谷でした。

ニュースです!!

こういう場合、、、、私は東京出身?


あれ、、、、


あ、、、れれれっっ

宮崎出身だと思ってたのに。




でも、、、


両親は宮崎の人間だから、やっぱり宮崎出身だよね。

日本人がアメリカで出産して、アメリカ国籍になる、っていう、あんな感じでしょ。

そんな発見もあったり。

それにしても、私の生まれた頃の写真。

むちゃくちゃ、かわいい。


でも幼稚園になると、いつもまぶしそうな顔をしてうつっているの、あの頃から写真は苦手だったのかな


お母さん、って、すごくおおきな存在だと、改めて思います。
私の声は母そっくりなんです。
だから、この声自体を産み出した、という意味では素材を作り、さらに私の資質を見つけて導いて行った、という、長い長い、彼女の想い、愛情です。
小学校時代、お母さんにつれられて合唱団に通って、ってかるく考えていたけど、いざ自分が母親側になると、毎週お稽古につれていく、というのは、相当時間とられるでしょう。自分でもやりたいことを抑えて子供に尽くすのは、喜びでもあるんだけれど、我が家の中流家庭では、お稽古にかかる金銭的なことも含めて大変だったと思う。
「歌を続けさせられた」という子供時代の印象だったのが、いま思い返してみると、「歌い続けさせてくれた」という風に変わっていました。


そんな話をしてから、最後に、撮影。天気がいいから外で、写真撮りましょ、といわれて屋上へ。

空を背景に笑っています。




週刊雑誌で、いままでにも沢山の方のお話が載っていて、すごく面白いコーナーです。
いつ発売になるか、わかり次第、トップページにアップしますね、

どうぞお楽しみに。