『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

山本対馬守(やまもとつしまのかみ)

2020-01-05 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
山本対馬守(やまもとつしまのかみ)

<現代仮名遣い>やまもとつしまのかみ


山城静原の住人。のち信長方につく。

1570年9~12月の叡山の浅井・朝倉攻めの時、八瀬・

    大原口を守備。のち信長に反抗。

1573年7月義昭の真木嶋動座に呼応して静原城に

    居城するも、明智光秀に攻囲される。

1573年10月明智光秀の調略で殺害され、首は北伊

    勢東別所の信長本陣へ持参された。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 王子神社へ初詣!なんか近代... | トップ | 山脇勘左衛門(やまわきかん... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

信長公記の蔵:人物篇」カテゴリの最新記事