山脇勘左衛門(やまわきかんざゑもん)
<現代仮名遣い>やまわきかんざえもん
不詳。伊丹城の足軽大将。
1579年10月滝川一益は佐治新介を使いとして伊丹
城を調略し、中西新八郎を身方にひきつけ
る。すると、足軽大将の星野・山脇勘左衛門・
隠岐・宮脇又兵衛が謀叛を起こし、上臈塚
へ滝川の軍勢を入れ、数多く切り捨てる。
1580年6月中西新八郎・星野左衛門・宮脇又兵衛・隠
岐土佐守・山脇勘左衛門の五人は、池田恒
興の与力となるよう指示が下る。
<現代仮名遣い>やまわきかんざえもん
不詳。伊丹城の足軽大将。
1579年10月滝川一益は佐治新介を使いとして伊丹
城を調略し、中西新八郎を身方にひきつけ
る。すると、足軽大将の星野・山脇勘左衛門・
隠岐・宮脇又兵衛が謀叛を起こし、上臈塚
へ滝川の軍勢を入れ、数多く切り捨てる。
1580年6月中西新八郎・星野左衛門・宮脇又兵衛・隠
岐土佐守・山脇勘左衛門の五人は、池田恒
興の与力となるよう指示が下る。