『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

山脇勘左衛門(やまわきかんざゑもん)

2020-01-06 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
山脇勘左衛門(やまわきかんざゑもん)

<現代仮名遣い>やまわきかんざえもん


不詳。伊丹城の足軽大将。

1579年10月滝川一益は佐治新介を使いとして伊丹

    城を調略し、中西新八郎を身方にひきつけ

    る。すると、足軽大将の星野・山脇勘左衛門・

    隠岐・宮脇又兵衛が謀叛を起こし、上臈塚

    へ滝川の軍勢を入れ、数多く切り捨てる。

1580年6月中西新八郎・星野左衛門・宮脇又兵衛・隠

    岐土佐守・山脇勘左衛門の五人は、池田恒

    興の与力となるよう指示が下る。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 山本対馬守(やまもとつしま... | トップ | 山岡景佐(やまをかかげすけ) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

信長公記の蔵:人物篇」カテゴリの最新記事