稲葉良通(いなばよしみち)[1/3]
〔現代かなづかい〕いなばよしみち
※戦国期の主要人物の一人稲葉一鉄。
記事量多いので3回に分けての掲載です。
※下線部は信長公記以外の記事によります。
伊予守・一鉄。父は通則、母は国枝大和守正助。
美濃衆。美濃三人衆(安藤伊賀守守就・氏家卜全
直元・稲葉伊予守良通)の一人。
幼い時長良崇福寺で喝食となっていたが、1525年
父と兄五人が牧田合戦で浅井亮政と戦い討ち死に
したため、還俗し安八曾根城主を継ぐ。土岐氏・
斎藤氏に仕え氏家常陸介・安藤伊賀守と共に
西美濃三人衆と呼ばれた。1535年美濃三人衆として
松平清康の尾張守山進出を支援。1574年ごろ入道し、
似斎一鉄と号する。
1567年8月信長稲葉山攻めの時、三人衆で信長方へ参上。
1569年8~10月の伊勢攻略戦に参加。
1570年6月姉川の合戦に参戦し三番合戦を務める。
1570年8~9月の野田・福島の合戦に参戦し「ろうの岸」
を守備。
1570年9~12月叡山の浅井朝倉攻めの時、信長の
朱印状を山門に渡す。同時に、田中を守備。
1571年5月長島攻めに参戦。
1570年4~5月信長の朝倉攻め北陸進軍の時、守山
で近江路次の警護をし、一揆撃退。
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伊予守・一鉄。父は通則、母は国枝大和守正助。
美濃衆。美濃三人衆(安藤伊賀守守就・氏家卜全
直元・稲葉伊予守良通)の一人。
幼い時長良崇福寺で喝食となっていたが、1525年
父と兄五人が牧田合戦で浅井亮政と戦い討ち死に
したため、還俗し安八曾根城主を継ぐ。土岐氏・
斎藤氏に仕え氏家常陸介・安藤伊賀守と共に
西美濃三人衆と呼ばれた。1535年美濃三人衆として
松平清康の尾張守山進出を支援。1574年ごろ入道し、
似斎一鉄と号する。
1567年8月信長稲葉山攻めの時、三人衆で信長方へ参上。
1569年8~10月の伊勢攻略戦に参加。
1570年6月姉川の合戦に参戦し三番合戦を務める。
1570年8~9月の野田・福島の合戦に参戦し「ろうの岸」
を守備。
1570年9~12月叡山の浅井朝倉攻めの時、信長の
朱印状を山門に渡す。同時に、田中を守備。
1571年5月長島攻めに参戦。
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