『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

稲葉良通(いなばよしみち)[1/3]

2016-02-09 07:49:43 | 信長公記の蔵:人物篇
稲葉良通(いなばよしみち)[1/3]

〔現代かなづかい〕いなばよしみち

 ※戦国期の主要人物の一人稲葉一鉄。

  記事量多いので3回に分けての掲載です。

 ※下線部は信長公記以外の記事によります。


伊予守・一鉄。父は通則、母は国枝大和守正助。

美濃衆。美濃三人衆(安藤伊賀守守就・氏家卜全

直元・稲葉伊予守良通)の一人。

幼い時長良崇福寺で喝食となっていたが、1525年

父と兄五人が牧田合戦で浅井亮政と戦い討ち死に

したため、還俗し安八曾根城主を継ぐ。土岐氏・

斎藤氏に仕え氏家常陸介・安藤伊賀守と共に

西美濃三人衆と呼ばれた。1535年美濃三人衆として

松平清康の尾張守山進出を支援。1574年ごろ入道し、

似斎一鉄と号する。


1567年8月信長稲葉山攻めの時、三人衆で信長方へ参上。

1569年8~10月の伊勢攻略戦に参加。

1570年6月姉川の合戦に参戦し三番合戦を務める。

1570年8~9月の野田・福島の合戦に参戦し「ろうの岸」

    を守備。

1570年9~12月叡山の浅井朝倉攻めの時、信長の

    朱印状を山門に渡す。同時に、田中を守備。

1571年5月長島攻めに参戦。

1570年4~5月信長の朝倉攻め北陸進軍の時、守山

    で近江路次の警護をし、一揆撃退。


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