『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

稲葉通明(いなばみちあき)

2016-02-08 21:55:24 | 信長公記の蔵:人物篇
稲葉通明(いなばみちあき)

〔現代かなづかい〕いなばみちあき


刑部。稲葉良通の兄。

1580年3月信長から、安土城下鳥打の下の地を

    造成したうえで、自分等で江・堀を埋めて

    敷地として下される。

1581年10月稲葉通明・高橋虎松・祝重正の三人は、

    信長から知行地を下される。

1582年4月森長可が川中島海津に在城し稲葉貞通

    が飯山に陣を取っていると、芋川親正が

    一揆を蜂起させ、飯山を取り囲み大蔵城に

    立てこもる。信長方から稲葉重通・稲葉通明・

    稲葉典通・国枝、信忠方から団忠直が遣わ

    される。森長可が切り崩し、飯山に在陣し、

    稲葉貞通は諏訪本陣に戻る。稲葉重通・稲葉

    通明・稲葉典通・国枝は安土へ戻り、この次第

    を安土城勢に報告する。


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