稲葉通明(いなばみちあき)
〔現代かなづかい〕いなばみちあき
刑部。稲葉良通の兄。
1580年3月信長から、安土城下鳥打の下の地を
造成したうえで、自分等で江・堀を埋めて
敷地として下される。
1581年10月稲葉通明・高橋虎松・祝重正の三人は、
信長から知行地を下される。
1582年4月森長可が川中島海津に在城し稲葉貞通
が飯山に陣を取っていると、芋川親正が
一揆を蜂起させ、飯山を取り囲み大蔵城に
立てこもる。信長方から稲葉重通・稲葉通明・
稲葉典通・国枝、信忠方から団忠直が遣わ
される。森長可が切り崩し、飯山に在陣し、
稲葉貞通は諏訪本陣に戻る。稲葉重通・稲葉
通明・稲葉典通・国枝は安土へ戻り、この次第
を安土城勢に報告する。
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刑部。稲葉良通の兄。
1580年3月信長から、安土城下鳥打の下の地を
造成したうえで、自分等で江・堀を埋めて
敷地として下される。
1581年10月稲葉通明・高橋虎松・祝重正の三人は、
信長から知行地を下される。
1582年4月森長可が川中島海津に在城し稲葉貞通
が飯山に陣を取っていると、芋川親正が
一揆を蜂起させ、飯山を取り囲み大蔵城に
立てこもる。信長方から稲葉重通・稲葉通明・
稲葉典通・国枝、信忠方から団忠直が遣わ
される。森長可が切り崩し、飯山に在陣し、
稲葉貞通は諏訪本陣に戻る。稲葉重通・稲葉
通明・稲葉典通・国枝は安土へ戻り、この次第
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