『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

百端帆(はくたんほ)

2013-12-15 17:14:20 | 信長公記の蔵:美術工芸篇
百端帆(はくたんほ)

不詳。1575年3月上洛した信長のもとへ、今川氏真が

参上し献上。

※1560年桶狭間の戦いで父今川治部少輔義元が滅ぼ

 され、氏真自身は1569年に北条氏政のところへ逃げ

 て今川氏滅亡し、1575年、今や京都まで出向いて

 信長に貢ぎものをするという・・・時の流れの残酷

 なこと。かなり長生きし、江戸時代に入り1614年12

 月に死去したと伝わる。

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 薄濃(はくだみ) | トップ | 初花(はつはな) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

信長公記の蔵:美術工芸篇」カテゴリの最新記事