何か良いこと(=^・^=)

毎日の生活の中で 楽しい事 良いことがあったらいいな~

感動のエジプト紀行 観光編 6

2010-03-14 22:30:50 | 旅行
3月 7日(日)
空路カイロへ戻る為、朝3:00起床、4:00朝食、4:45ホテル出発。
カイロ着7:45、まだ8時前なのにもう1日終わりそうな気分。
カイロ市内観光に出る。

モハメド・アリ・モスク
ギリシア人のモハメド・アリ王朝時代に建設されたトルコ洋式のモスク。トルコのブルーモスクを真似て造られた。
中庭の柱時計はモハメド・アリがフランスへオベリスクを送ったお返しとして贈られた物だが直ぐに壊れてしまったという。壊れた時の時間を指している。
 

ハーン・ハリーリ市場
細い道に色々な店が並び迷路のようになっているのであまり奥へ行くと危険。
ルクソールの市場に比べると店の数は多いし活気はあるし楽しいけど値切り交渉で疲れた。
  
アズハル公園
美しい緑に囲まれたカイロ市民の憩いの場所で、小高い山の階段を登るとカイロの街が一望
に見渡せる。
    
このスカーフはアブシンベル神殿前の売店で値切って7ドルで買ったらカイロの市場で3ドルで売っていた

その後、バスで220km移動して『地中海の真珠』と呼ばれるアレキサンドリアへ向かう。
途中トイレ休憩に立ち寄ったレストランは動物園を併設していてライオンやラクダやダチョウ等がいてビックリ。
 

アレキサンドリアはマケドニアのアレキサンダー大王によって紀元前332年に建設された町。
アレキサンドリアに入るとそれまで通ってきた岩と砂の世界とは全く別の花と緑のヨーロッパ風リゾート地へと変身する。
着いたのは夕暮れ時の6時頃だったけど地中海に沿った海岸線はどこまでも続き道路は片側6車線の舗装道路でこれが同じエジプトと思わせる。
アレキサンダー大王の死後大王の部下のプトレマイオスが即位してからクレオパトラ7世がコブラに噛ませて自殺するまでをプトレマイオス王朝とよぶ。
クレオパトラ7世の死をもってプトレマイオス王朝は古代エジプトの最後の王朝として幕を閉じた。
夕食のレストランがあるエル・サラムラムレクホテルは最後の王様ファルークのモンタザ宮殿で格調高く食事も美味しかった。
 

宿泊したヘルナン・パレスタインホテルは王宮の庭に建てられていてとっても素晴らしい。
部屋は広くてセミダブルベッドが2つ並び、ウェルカム・フルーツが用意されていた。
枕が5つもある 外国人てそんなに枕を使うの 1個あれば充分です。
ベランダの前には地中海が広がり左手には王宮が見える。明日の景色が楽しみ。
 




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感動のエジプト紀行 観光編 5

2010-03-14 17:14:52 | 旅行
3月 6日(土)
ホテルを7:30に出発してルクソール西岸の観光に行く。
西岸にはホテルやレストランは無く西岸の人は質素な生活をしている。
面白いのは家の壁に自分の個人情報を描いている事。例えばパリに旅行に行ったとすると飛行機とエッフェル塔を、妻を2人持つとライオンを1頭、3人持つとライオンを2頭描く。
これらは西岸の人にとってはとても自慢の事だそうだ。
イスラム教では妻を4人まで持てるので、エジプトの家はいつでも増築が出来るように家の上に鉄骨が出たままになっている。
1軒の家で複数の妻達と同居している人が多いけれど、妻達は皆仲が良いそうだ。
妻達には平等にしなければならないので経済的にも大変だけれど複数の妻を持つのはステータスみたい。
ちなみにガイドのモハメッドさんは3人の妻がいるそうです。
彼曰く『日本人は秘密で浮気をしたり愛人を持ったりするけど、自分達の方が正直だ。』

メムノンの巨像
アメンへテプ3世の像で20m近い像が2つ並んでいる。後方に神殿があり現在発掘中で1週間ほど前に新たに2体が発見されたと発表があった。
           
ハトシェプスト女王葬祭殿
エジプトで初めての女王ハトシェプストがアメン神、父トトメス1世、そして自分の為に造営した葬祭殿。
ハトシェプストは異母弟であり、夫であるトトメス2世の亡き後、側室の子トトメス3世から強引に王位を奪って女王となった。
付け髭をつけて男性の姿をしていたが、後にトトメス3世が王になった時、男性の姿のレリーフは全て消され女性の姿だけ残っている。
 

王家の谷
トトメス1世以降の歴代の王がここに墓を造った。
盗掘を避けるため地下に掘られたが、ツタンカーメンの墓を除く殆どの墓が盗掘されている。
残念ながらカメラを持って王家の谷へ入る事は許されていない。

ツタンカーメンの墓
ツタンカーメンの義父アメンへテプ4世はそれまでのエジプトで崇められていたアメン神を廃して太陽神であるアテン神を崇める一神教へと宗教改革したが、反対する神官に殺された。
義父亡き後ツタンカーメンが9歳で即位したが彼をとりまく情勢は厳しく、アメン神への復帰などしたが19歳で突然亡くなった。
1922年にこの墓が発見された時、全く荒らされておらず色々な物が見つかった。
墓内のガラスケースの中には本物のミイラが眠っている。
亡くなった原因は未だに明らかではないが5年ほど前に撲殺説が発表されたが最近はマラリアで亡くなったとも言われている。
埋蔵品の中には年上の妃アンケセナーメンが置いたと思われる矢車菊の花束があった。
それは妃の王への最後の愛の印だったのかもしれない。

他にラムセス1世、ラムセス9世の墓も見てきました。
それぞれ長い通路があり両側には色鮮やかなヒエログりフ(絵文字が発達したもので最初のエジプト文字)やレリーフがのこされている。

西岸の石細工の店へ行く。オニキスやアラバスター製の置物や器を売っている。
暗い中で光るムーンストーンで作ったネフェルタリの胸像を買いました。
光らなくなったら太陽に当てれば元に戻るそうです。

店の外にある小屋のソファで休んでいると1人の女の子が顔を出し、ベリーダンスを踊り始めた。これはマズイかも・・・ 案の定『1ポンドちょうだい』・・・子供にお金をあげるのは教育上良くないから渡さない様にと言われていたのでNOと言って立ち去りました。
 

西岸へ行く時はバスで40分かけて橋を渡って行ったけど帰りはモーターボートで10分、ランチの後ホテルで暫し休憩。
夕方になり陽が沈みかけた5:00にルクソール神殿へ行き陽の光とライトアップの両方の宮殿を見る。

ルクソール神殿
アメンへテプ3世、ラムセス2世が現存する神殿の大部分を造り上げたと言われている。
塔門、スフィンクス参道、中庭、列柱室、礼拝所などが美しくレイアウトされた神殿である。
塔門の前に立つオベリスクは左右2本あったが1本は1833年パリに運ばれコンコルド広場に立っている。
広い神殿を見終わる頃には日が暮れて美しくライトアップされた神殿をカメラにおさめて夕食のレストランに向かいます。
 
    
土曜日ですごい混雑であまり写真が撮れなかった
ツタンカーメンとアンケセナーメンの像。
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感動のエジプト紀行 観光編 4

2010-03-13 19:47:26 | 旅行
3月 5日(金)

今朝も7:30出発の為5:00起床だけれど昨夜は11:00に寝たのでやっとまとまった睡眠がとれた感じ。

ここでちょっとアラビア語のお勉強です。
おはよう→サバ・へー   こんばんは→ミサ・へー  (“へー”はgoodの意味)
ありがとう→チョコラ
サラン・アレク→貴方に平和があるようにの意味で色々な場合に良く使う。答える時はアレク・サラン

バスに乗ってアスワンからルクソールへ向かってナイル川沿いを走りコム・オンボ神殿へ。

コム・オンボ神殿
4000年前にプレトマイオス6世が建てた神殿で左右対称に2つの出入り口があり、向かって右側がワニの神セベク、左側がハヤブサの神ホルスの2神を祭っている珍しい神殿。
塔門は殆ど崩れ、列柱は下の部分しか残っていないが非常に美しいレリーフを見ることが出来る。
          

又、バスに乗り80km北上してエドフへ。

ホルス神殿
ハヤブサの形をしたホルス神に捧げられた神殿で紀元前237年に着工してから約2世紀をかけて完成した壮大な神殿。
塔門には王がホルス神とハトホル神に捕虜のいけにえを捧げている様子が彫られている。
ホルス神像が立っている入り口を入ると18本の巨大な柱が立つ列柱室があり神々のレリーフが刻まれている。
ここは当時病院として使われていた為、病名や医療器具、処方箋等のレリーフも見ることが出来る。
 


カルナック神殿
第12王朝の時代、アメン神が太陽神ラーと結合を果たしアメン・ラー神となって国家最高の存在となった。
その最高神の庇護の下に歴代の王が次々とカルナックに神殿を築いた事からカルナック神殿はエジプトで最大規模の神殿となった。
入り口を入ると左右に40頭の羊の頭を持つスフィンクスが塔門まで導く。
第1塔門を抜けると広い中庭があり、第3塔門を抜けると巨大な柱が134本も並ぶ大列柱室へ入る。
第3塔門から第5塔門にかけて2本の大小のオベリスクがあるが、トトメス1世とハトシェプスト女王の建造したもの。
   
中庭にはケプリ神を現す巨大なスカラベの像があり、その周囲を回ると幸せが訪れるという言い伝えがあるので観光客がグルグル回っていた。
スカラベは日本では“ふんころがし”、この虫が何故神として祭られているかと言うと転がしているものが丸くて太陽を現しているのと、両性具有で相手がいなくても子供をつくれる所が神の印とされ“金持ちの神様”としてエジプトではスカラベの置物やアクセサリーがとっても多い。
私もトルコ石で出来たスカラベのネックレスを買いました。
カルナック神殿はとてもとても広くて大きくて暑くて疲れ果てました。

その後、ホテルにチェックイン、暫しの休憩の後ルクソール博物館へ向かう。
夕方5:30ホテルのロビーに集合したら現地ガイドのモハメッドさんがガラベイア姿で現れた。さすがエジプト人、良く似合っているので一緒にパチリしました。普段はこんな感じです。
彼はカイロ大学卒業後、明治大学へ国費留学、卒業しているので日本語ペラペラ、年齢を聞いたら『アラフォー』と答えてくれました。
 

ルクソール博物館
1975年に開設された博物館でツタンカーメンの墓やカルナック神殿から発掘された遺物が展示してある。
残念ながらここも中は撮影禁止、アメンへテプ3世やツタンカーメン像、ラムセス1世のミイラやラムセス2世像等がきれいな状態で展示されているので興味深い。
今日は神殿をいっぱい見たのでこんがらかっちゃった。
写真を間違えていたらお許し下さい。

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感動のエジプト紀行 観光編 3

2010-03-13 16:54:57 | 旅行
3月4日(木)
希望者のみアブシンベル神殿の朝日観賞、5時起床で3回目のアブシンベル神殿へ行きました。
朝日が昇るのは6:15頃、朝はとても寒いので冬のコートを着込んで、神殿内のレリーフを見ながら待ちました。
やがてナセル湖の向こうから太陽が顔をだした・・・と思ったらアッと云う間に昇ってくる・・・日本から遠く離れたエジプトで見る太陽も日本で見る太陽も1つ・・・世界中が1つの太陽の下に戦争の無い平和な地球になれたら良いのになぁと思いました。

          

ホテルへ戻って朝食の後、又、砂漠の1本道を3時間走ってアスワンへ戻ります。
ランチの後は香水壜のガラス細工のお店へ。色々な香油も売っています。
南のアスワン、アブシンベルはとっても暑くて昼間は外の観光は無理なので、屋根のあるお店でお買い物タイムです。
この店で砂時計にアスワンの砂漠から持ってきた砂を入れ、名前も入れた“My砂時計”を作って貰い出来上がったらホテルに届けてもらう事にしました。
私だけの砂時計はとても楽しみだったけど、時間が足りなくて冷めないガラスに砂を入れたらヒビが入ってしまってダメだったと云う事でした。 かなりガッカリ・・・

3:00頃になって少し陽射しも弱くなってきたのでお待ちかねのスーク(市場)でお買い物。
エジプトでも値切り交渉が欠かせない。
①値段を聞くと売り手は高い値段を言う
②ガリ(高い)、ガリガリ、と言うと売り手は『じゃぁいくらなら買う?』と聞いてくる。
③半分位の値段を言うと売り手は『これは手づくりで・・・ホンモノで・・・』と言いながら少し値下げをする。
④『それじゃぁ要らない』と帰るふりをすると『待って、待って』と又少し値を下げる。
⑤又、帰るふりをする。
定価で買う事に慣れた私達にはこれが結構面倒くさいし時間がかかる。
アスワンで良いのは胡椒・サフラン・シナモン等の香辛料やハイビスカスのお茶、他の物はカイロの市場の方が良いと言われ香辛料だけ買いました。
    

この日、同行のK代ちゃんがランチの頃からお腹の具合がよろしくない・・・。
エジプトに来る前の注意として水が硬水の為、お腹をこわす人が多いので生野菜やカットフルーツは食べない方が良い、歯磨きの時はペットボトルの水を使うように、シャワーの時はなるべく口を閉じる、市販の薬は効かないので医者で下痢止めを処方してもらった方が良い、粉末のポカリスエットがあると便利・・・等々言われたのでトイレ付きのバス使用のツアーを選びました。
アスワンのスークにはトイレが無いので買い物もそこそこにバスへ戻り事なきを得ましたが、下痢止めもポカリも役にたちました。
何が原因かは判らないけど揚げ物の油か香辛料か・・・とは言え同じ物を食べていた私は全く何事も無かった。 

買い物を終えて4時過ぎに船着場からモーターボートで島にあるホテルへ向かいます。
花と緑がいっぱいの素敵なホテルで1時間ほど休憩してからファルーカ(帆掛け舟)で30分ほどナイル川を遊覧してから別の島にあるレストランへ。
ファルーカは個人営業だそうで私達の船は3人家族が操る船、ファルーカの中にはキッチンや寝る場所もあって生活の場でもあります。
食事はバイキング式が多いので4日目ともなると味も大体わかって食べられそうなモノを持ってくることが出来ます。
食事の後はモーターボートでホテルへ戻り、ちょっとだけ最上階(11階)のラウンジから夜景を眺めてベッドへ・・・

 
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感動のエジプト紀行 観光編 2

2010-03-12 09:27:51 | 旅行
3月3日(水)
昨夜は早めに10時就寝、夜中1:30起床、2:30ホテル出発、4:30発の飛行機でアスワンへ向かう。 カイロの空港へ着いた頃夜が明けた。眠い・・・
        

アスワンハイダム
エジプトの人口が急激に増加した為、ナイル川の氾濫に頼るのでは生産が追いつかず安定した水や電気の供給を図る為に1898年にアスワンダムが建設された。
しかしこのダムでは当初の目的が果たせなくなり1964年にアスワンハイダムを建設、これによって出来たナセル湖の貯水により充分な農業用水と電力が確保されるようになった。
しかし、毎年起きていた洪水がなくなった事により下流域に養分を含んだ土が運ばれず土地が痩せて塩害が発生したりという問題も起きている。
        

切りかけのオベリスク
アスワン周辺はピラミッドや神殿に用いられた花崗岩の産地で石切り場には切りかけのオベリスクが残っている。
製作中にひびが入ってしまったため、そのまま放置されたと考えられている。
写真が下手で良く判らないけど石切り場と切りかけのオベリスクです。
   

イシス神殿
モーターボートに乗って青い海の中の島に建てられたイシス神殿を見に行く。
『ナイルの真珠』と呼ばれる美しい神殿でオシリス神(冥界の支配者、穀物の神)の妻のイシス女神を祭った宮殿。
イシス女神はこの島でホルス神を産んだとされている。
ホルス神はハヤブサの姿をしている天空の神で現世の王はホルスの化身と考えられた。
エジプト航空のマークにもなっている。
塔門には美しいレリーフが鮮やかに残っている。
神殿の前にはフクロウの像が2つ建っている。由来は・・・聞き漏らしました。

    


アスワンから約280km(3時間)バスで走りアブシンベルへ向かう。
砂漠の中の一本道で周囲にはガソリンスタンドやドライブイン等は一切無い為にノンストップで走ります。
数台の観光バスの前後を警察の車両が守り、観光バスは後ろの方に乗客の少ないバスを配し、前のバスに故障などのトラブルがあっても後ろのバスに乗せられる様に配慮されている。テロなどに対する意味合いもあるらしい。
前方を走る警察の車が飛ばす事 対向車も来るのに派手な追い越しをするしスピードは出てるし、進行方向を見ていると凄く恐かった。 
バスの運転手さんご苦労様でした。

アブシンベル神殿
アブシンベル神殿は砂漠の中に突如として出現する巨大神殿で紀元前1250年頃ラムセス2世が建造した。
1960年代にはアスワンハイダムの建設により水没の危機にさらされたが移築によって救われた。
神殿の正面には高さ20mのラムセス2世像が4体並んでいるが、左から2番目の像は頭の部分が崩れ落ち足下に転がっている。
移築の時に直す事は出来たが、敢えてそのままにしたと云う。
神殿の中の壁面にはラムセス2世の闘いの様子などの見事なレリーフが刻まれている。
神殿の中は撮影禁止、入り口の守衛が愛想良く『もう少し入って中を撮ってもいいよ~。ボールペンある?』やっぱりね~
どうしてかエジプト人はノック式のボールペンを欲しがる。それも日本製が良くて100円ショップで買った中国製はあまり喜ばない。
値引き交渉でもボールペンを付けると安くしてくれるけど、1エジプト・ポンド(20円)の値引きに100円のボールペンをあげたんじゃぁね~

大神殿に寄り添うように建っている小神殿はラムセス2世が最も愛した王妃ネフェルタリの為に築いたもので正面にはネフェルタリがラムセス2世像の間で守られるように立っている。
足下には王子や王女の像もある。

神殿を警備している警官がニコニコしながら近づいて来て一緒に写真を撮る?と言うのでこれは怪しいと思って『How much?』と聞いたら4$だって勿論即断りました。
       大神殿                     小神殿
    

                                  ナセル湖

見学後4時頃ホテルにチェックイン、一休みして夕食後アブシンベル神殿・音と光のショーを見に行く。
満天の星空が素晴らしく、北斗七星が手に取れるほど近くに見える。
大・小神殿をスクリーンにして映し出されるショーはラムセス2世とネフェルタリの物語でほのかな灯りでライトアップされた両神殿は昼間とは違った趣でとても素敵でした。

         
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感動のエジプト紀行 観光編 1

2010-03-10 21:39:03 | 旅行
ただいま~~~。元気で帰ってきました。

昨日は朝からカイロの観光をして17時50分カイロ発の飛行機に乗りました。
往路は14時間半かかりましたが帰路は12時間05分、20時頃に夕食、食事が終わって機内が暗くなるとさすがに10日間の疲れがでて、グッスリとはいきませんが寝ました。
成田到着が12:55、電車とバスを乗り継いで家に着いたのが午後3時半。
荷物は宅急便で送ったので荷物整理も出来ないので、ゆっくりお風呂に入ってからメールチェック。あちこち返信をしてから新聞チェック・・・

少しづつブログをしていこうと思っているので飽きずに読んで下さいね。
それではエジプトへご案内しましょう。

3月1日(月)
14:25成田発のエジプトAIRの直行便でカイロへ向かいます。
飛行時間は14時間半、機内は他の会社の飛行機に比べて狭い気がする・・・
2回の食事と間におにぎりの軽食がでて現地時間の22:10やっとカイロに到着。
飛行機の中ではちょっとうとうとしたけど眠れなかった・・・
日本との時差は-7時間なので日本時間は2日の朝5:00何時間起きていることやら。
カイロは気温15℃、砂漠なので昼夜の気温差が大きく日本の冬の服装でも暑く感じません。
34人という大人数のツアーなので通関もトイレも時間がかかる。
カイロ・ギザ地区のホテルに到着して部屋に落ち着いたのが夜中の12:00過ぎ、パジャマを出して、明日着るものを出して、洗面具や化粧品を出して・・・もう2:00過ぎちゃった。
明朝は5:00起きで7:00出発。3時間しか寝られない。

3月2日(火)
昨夜は疲れているのに殆ど眠れず最悪の状態で5:00起床。朝は結構寒い。
7:00出発でバスでギザから南下してダハシュール、サッカラ、メンフィスへ向かいます。

ダハシュール 屈折ピラミッドと赤のピラミッド
屈折ピラミッドはクフ王の父、スネフル王が造ったピラミッドで54度で造り始めたが途中で計算ミスが判明、43度に変更したと云う。
その後キレイな形のピラミッドを造りたいと43度の赤ピラミッドを造ったそうだ。
        

赤ピラミッドは表面の化粧石が剥がれて出現した石が赤いからとか紅海から石が運ばれたからとか言われているがはっきりしていない。
他に白ピラミッドと黒ピラミッドもあったが壊れてしまったそうです。
朝早いのでまだ他の観光客がいなくてピラミッド独占状態。ガラベイアという民族衣装を貸してくれたので記念撮影しました。
        

サッカラ
ジェセル王が建設した世界最古のピラミッド(紀元前2650年)で残っている城門を入ると柱廊になっていて柱廊を抜けると広い中庭の奥にピラミッドがある。
最初は1段だったのが周囲の城壁を高くする度にピラミッドも高くなり6段になった。
これがピラミッドの原型となってギザの真正ピラミッドへと進化していったそうである。
 

サッカラはカーペットの産地としても有名で道路沿いに並ぶ店は、子供達にカーペットの織り方を教えるカーペットスクールを併設している。
エジプトには義務教育がないので、生活が貧しい子供達は学校へ行かず5~6歳からカーペット工場で働いていた為、読み書きができず成長しても良い仕事につけなかった。
それでは良くないと政府は働きながら学べるシステムとしてカーペットスクールをつくり、朝の2時間ほど勉強をしてその後の時間にカーペットの織り方を教える事になった。
 

メンフィス
新王国時代のファラオ、ラムセス2世の巨大な像が足首から下が損壊してしまった為、建物の中で横たわっている。
地震で壊れた説、台座が不安定だった説、何者かが台座を壊した説があるが不明。
外にはアラバスター製(大理石の一種)のスフィンクスがある。全長8mとギザのに比べるとはるかに小さいけれど保存状態が良くあご鬚や顔の表情などが良くわかる。
   


カイロへ戻り、昼食を食べてからギザの3大ピラミッドを見に行きます。

クフ王のピラミッド
ギザにある3つのピラミッドの中では1番大きい。正規の入り口は少し高い所にあり観光客が使う入り口は盗賊が開けたものだと云う。
中に入ると腰をかがめて木製の坂道を登って行くので腰が痛くなる・・・所々に立ち上がって腰を伸ばせる場所があり100mほど登ると『王の玄室』があるけれど何も無い殺風景な部屋。
中はサウナの様に暑くて汗がダラダラでる。
ピラミッド内部は撮影禁止、人1人が腰をかがめてやっと通れる道が渋滞するからと云う事でした。
        
   
カフラー王のピラミッド
三大ピラミッドの中央に位置しており、ピラミッドから伸びる参道やスフィンクスが綺麗に残っている。
ピラミッドの大きさは2番目だが、クフ王のピラミッドより高い場所に建てられたので1番大きく見える。
『スフィンクスは太陽の昇る東を向いてピラミッドを守っていますが、今はスフィンクスの前にはケンタッキーフライドチキンがあります。』とガイドさんの説明がありました。
このスフィンクスはとにかくデカイ あまりのデカさにビックリでした。
        
        

メンカウラー王のピラミッド
1番小さいピラミッドで他の2つに比べると半分位の大きさしかない。
3つのピラミッドが良く見える写真ポイントでピラミッドをつまんでみました。
        

太陽の船博物館
クフ王のピラミッドから発見された世界最古の大型木造船が展示されている。
太陽の船とは亡くなったファラオの魂が天空を往来する時に使うもので発見された時はバラバラに解体された状態でピットという溝に埋められていたが復元して展示している。
これも又、大きくて写真に入りきらない・・・
        

その後、『ラクダに乗りたい人いる?』というガイドさんの声に勿論『ハ~~~イ』と手を上げて乗ってきました。
ラクダが足を折り曲げて寝ている状態で乗るので後ろ足から立ち上がる時に前に落ちそうになってチョッと恐かったけど歩き出したら高くて気持ちいい~
        

今日の観光はこれで終わり、夕食後同じホテルへ戻ります。
ホテルと食事については観光編の後で詳しく書くのでお楽しみに。
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