貨幣制度がなくなるといいな

2014-05-28 08:48:27 | 好きなもの「縄文」・気になること

バシャール 「日本の変革・・・」

http://youtu.be/36LY-5cQwHk

日本の変革というよりも地球全体の変革として、私は貨幣制度がなくなるといいなぁと思っています。

例えば、マヤ・アステカ文明では、貨幣制度もなく、争いのない理想的な世界が一時的に実現していたそうです。

今の世の中は、お金との対価に商品やサービスを受け取る仕組みですが、それを上回るような再び物々交換をして生活していくような社会を理想とする考えもありますが、いやそれ以上にマヤ・アステカの人々は、毎日各自で自分が好きなものや得意なものを自由に作って生活していた。

畑で野菜を作るのが好きな人、家を建てるのが得意な人、歌を歌うのが好きな人など、あくまでも自分が出来る範囲の事で持ち寄りの一品として併せる何かを誰もが持っており、一方で、何もしない人、やりたくない人はそれはそれで良かった世界。

そして、町や村には市場のようなエリアが存在しており、そこに皆が自ら作ったものを持って行った。

でも、そこに並ぶものには、一切値札はついてなく、それどころか、売る人もいないので、商品だけが無造作に置かれている。また商品を持っていない人は、市場で声をあげて「家を建てたい人はいますか?自分がやるよ。手伝うよ!」と自らの労働力を商品としてそこに立っている。

このように、すべてのものやサービスが、各地域の市場のようなエリアに一旦集まり、そこで各自が持ってきたものを置いて、その後は自分にとって必要なものを選び、それを持って帰る。

そこにはお金の絡んだ売り買いは一切なく、そして等価交換もない。

マヤ・アステカの世界はそういった循環が実現していた文化だった。自分たちが好きなものを好きな時に作って、それを市場へと出して、好きな時に好きなものを誰もが持って帰っていた。

「でも、そんな仕組みだと何もしないで貰うだけ、遊ぶだけの人々ばかりにならなかったの?」と疑問に思うかも知れない。

一般的にどのような組織や集団も、全体像として「真面目な人が2割、普通の人が6割、不真面目な人が2割」いると言われている。いわゆる「2・6・2の法則」。その中で不真面目な人を除き、再度チーム編成をしてもまた、「2・6・2の法則」が働き、やはり組織や集団に貢献しない2割の人が必ず生まれる傾向があるそう。

「2・6・2の法則」は人間に限らず、動物や昆虫の世界でも働き、アリやハチの世界でも同じ現象が起こるそう。これは生物の中に組み込まれた法則であり、どんな環境であっても崩れることがない。

そのことをマヤ・アステカの人々は本能的にも分かっていたので、遊ぶ人は遊べば良いと、誰もがそういった人を咎めることはしなかった。

遊ぶアリを除外し、誰かが出来なくなった時には、その遊んでいた人達は自然と自分たちで気づいて、一生懸命働くようになることも分かっていた。

マヤ・アステカは、働ける人が働き、働かなくても誰でも好きな時に好きなものをとって食べられるようにし、そして余ったものは旅人に、更に余ったものは野菜などの種にするという循環が行われている世界だった。

だからマヤ・アステカの世界では武器は存在せず、Give&Giveの世界には争う必要性が一切なかった。(レインボーチルドレン・滝沢泰平 著より参考)

●交換(や市場)に委ねず自給自足にこだわる

アンデスでは貨幣経済は発達しなかったし、旧大陸やメソアメリカで発達した市場も展開しなかった。かといって物々交換の制度が高度に機能していたわけでもない。基本的に自給自足経済であり、自分たちで食べるものは自分たちで作った。トウモロコシを作る集団、ジャガイモを作る集団、リャマを飼う集団、と分業し、それぞれの生産物を交換したほうが効率よいのであるが、そのような仕組みは広まらなかった。
自分たちで出来る労働を誰かに委託することをせず、自分たちで生産することを尊び、職業分化はすすまず、個人主義的な価値観は育たなかった。共同労働をし、みんなでお祭りをし、酒を飲んだ。また織物も交換によって入手するのでなく、あくまで自分たちでつくることにこだわった。各共同体でワタから、あるいはアルパカの毛などから糸を紡ぎ、それを腰機で織った。丹念に糸を織り合わせ、紋様を組み立てていった。

「古代メソアメリカ・アンデス文明への誘い」(杉山三郎、嘉幡茂、渡部森哉著)

 

他集団との交換や市場に依存しないことは、現代人には非効率に感じることですが、本来、食料をはじめ集団に必要なものは「自給する」のが当然であり、集団の死活を外部に委ねることなどありえません。この点においても、アンデスの人々は、自然の摂理にそった生き方をしていると言えそうです。

●物財でなく労働そのもの、そして共同体の紐帯、それが生む充足そのものに価値をおく


徹底的に人力のみで全ての労働をこなすアンデスの世界。織物や土器に現れる突出した手工芸の美しさをみると、一体どのくらいの時間とエネルギーをかけたのだろう、と思うことがあります。彼らは効率を求める現代人とは異なった価値観の持ち主でした。労働すればするほど、人々の期待に応えてエネルギーをかければかけるほど、価値が高まると考えていたのです。

われわれ現代人は豊な人というと、お金を持っている人、家を持っている人などと考えてしまいますが、アンデスで重要なのはどれだけモノを持っているかではありませんでした。豊かさとは、その人を助ける人がどれだけいるかでした。一般の人々あればどれだけ家族、親戚が多いかであるし、王や首長であれば、臣下が何人いるかでした。
お金、土地など蓄積された財産でなく、共同体の紐帯、相互に期待しあう関係が生み出す労働力、生産力そのもの、そして、そのような繋がりが生み出す共認充足の力そのものに価値を見出す。彼らの価値観は、実は、ある意味で極めて全うと言え、人類本来の価値観を持ち続けていると思われます。
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■ここまで見てきたことを纏めると、アンデスの人々は、利器や技術に過剰に頼ることを避け、身体能力と観念機能をフルに使って生きてきました。当然集団を脅かしかねない技術は封印して生きてきた。交換や市場に頼らず自給に徹し、また労働そのものの価値を強く共認し、集団の繋がりとその共認充足に価値を置いて、適応してきた。つまり、根底的に、自然の摂理にそって集団を維持してきた人々だと言えると思います。http://web.joumon.jp.net/blog/2012/11/1455.html

 

今の世界も、そんな世界になるといいな(^^)

 

 


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