「君の名は。」と同時期に公開された高校生系アニメ映画ということもあってかよく比較されている。
が、「君の名は。」と「聲の形」は内容が全く異なるため、比較対象にはならない。
「君の名は。」が、わかりやすく言えばリア充系ジブリといった感じだろう。
恋愛にSFを混ぜた見やすいストーリー。
キレイな作画、かっこいい音楽。
あのRADWIMPSだから、そりゃいいに決まってる。
「君の名は。」は確実に中高生のハートにヒットするであろう内容だ。
俺が高校生だったら、確実にわけのわからない中二病行動をし始めるであろう。
「聲の形」もリア充と言っちゃリア充だが、まぁそこはどうでもいい。
結構、見る人を選ぶような気がするがどうなんだろうか。
色々なテーマが混ざってると言える。
親と子
健常者と障害者
いじめる側といじめられる側
さて小学校、中学校で自分がした行いは意外と印象強く残っているもので、俺はどちらかといえばいじめられる側だったがその頃されて嫌だったことは今でも鮮明に覚えている。
それを時折思い出して、なんとなく自分のカーストは下層である、と認識することがある。
とはいえ、俺自身が人が嫌がることをしていなかったかというとそんなことはなく、俺が何かしたからいじめられていたんだと思う。
まぁ今でも変わってる、とはよく言われるし自分でもどうすればいいのかはわからないがかなり変わってる人間だとは思う。
主人公の石田将也は、小学生の時に転校してきたろうあ者の西宮硝子をいじめる。
それがきっかけで硝子は転校してしまう。
クラスで問題となり、今度は将也がクラスでいじめられてしまう。
将也は、自分のしたことの重さを感じ罪を償うために生きる。
それが親が払った補聴器の代金を払うこと、自分が死ぬことだった。
このとき硝子に謝罪する、という選択肢はなかったんだなぁ。
けどちゃんと手話も覚えて、硝子に会いに行ってずっと悩んできて、人の顔もちゃんと見られなくなって。
将也はそのことについて悩んできたわけだ。
硝子はきっとそれをわかってくれてたんじゃないかなぁ、と思う。
だから好きだと言ってくれたんじゃないかなぁ。
まぁしかし実際、健常者と障害者の間には大きな壁がある。
大人でも障害者を差別する人もいる。
なんというかこういう言い方はよくないと思うが、健常者同士でもわかりあえないことはたくさんある。
それが健常者と障害者では余計にわからないはずだ。
障害者の気持ちは俺もわからない。
だからもし俺が障害者と接する機会があったら、過剰に優しく接してしまうだろう。
だが、それは上辺だけの話であり分かりあえているわけではない。
単純に「聲の形」は本当にいい話だと思ったが、もし自分だったらどうするのだろうか。
俺のような人間が単純に「いい話だったよ」と言っていいのかちょっと疑問に思ってしまう。
なお印象深かったシーンは、弓弦が部屋にたくさん貼った動物の死体の写真を剥がしながら
「こうすればねーちゃんが死にたいと思わないと思った。」
と言ったシーンだ。
あの写真は、弓弦の一生懸命の励ましだったのだ。
それが良かったのかどうかはわからないが、というか俺はあんまりよくないと思った。
だが、俺の家族には障害者がいないから、わからない。
もし家族に障害者がいたら、必死に何が出来るか考えて色々なことをするだろう。
その行為の1つに弓弦のような一風変わった、けど一生懸命頑張って考えたことをするかもしれない。
それが他人から見たら奇異な行為でも、本人は必死に頑張ってるわけだ。
人と人がわかりあうのは本当に難しい。
絶対一度は見るべき映画だと思う。
が、「君の名は。」と「聲の形」は内容が全く異なるため、比較対象にはならない。
「君の名は。」が、わかりやすく言えばリア充系ジブリといった感じだろう。
恋愛にSFを混ぜた見やすいストーリー。
キレイな作画、かっこいい音楽。
あのRADWIMPSだから、そりゃいいに決まってる。
「君の名は。」は確実に中高生のハートにヒットするであろう内容だ。
俺が高校生だったら、確実にわけのわからない中二病行動をし始めるであろう。
「聲の形」もリア充と言っちゃリア充だが、まぁそこはどうでもいい。
結構、見る人を選ぶような気がするがどうなんだろうか。
色々なテーマが混ざってると言える。
親と子
健常者と障害者
いじめる側といじめられる側
さて小学校、中学校で自分がした行いは意外と印象強く残っているもので、俺はどちらかといえばいじめられる側だったがその頃されて嫌だったことは今でも鮮明に覚えている。
それを時折思い出して、なんとなく自分のカーストは下層である、と認識することがある。
とはいえ、俺自身が人が嫌がることをしていなかったかというとそんなことはなく、俺が何かしたからいじめられていたんだと思う。
まぁ今でも変わってる、とはよく言われるし自分でもどうすればいいのかはわからないがかなり変わってる人間だとは思う。
主人公の石田将也は、小学生の時に転校してきたろうあ者の西宮硝子をいじめる。
それがきっかけで硝子は転校してしまう。
クラスで問題となり、今度は将也がクラスでいじめられてしまう。
将也は、自分のしたことの重さを感じ罪を償うために生きる。
それが親が払った補聴器の代金を払うこと、自分が死ぬことだった。
このとき硝子に謝罪する、という選択肢はなかったんだなぁ。
けどちゃんと手話も覚えて、硝子に会いに行ってずっと悩んできて、人の顔もちゃんと見られなくなって。
将也はそのことについて悩んできたわけだ。
硝子はきっとそれをわかってくれてたんじゃないかなぁ、と思う。
だから好きだと言ってくれたんじゃないかなぁ。
まぁしかし実際、健常者と障害者の間には大きな壁がある。
大人でも障害者を差別する人もいる。
なんというかこういう言い方はよくないと思うが、健常者同士でもわかりあえないことはたくさんある。
それが健常者と障害者では余計にわからないはずだ。
障害者の気持ちは俺もわからない。
だからもし俺が障害者と接する機会があったら、過剰に優しく接してしまうだろう。
だが、それは上辺だけの話であり分かりあえているわけではない。
単純に「聲の形」は本当にいい話だと思ったが、もし自分だったらどうするのだろうか。
俺のような人間が単純に「いい話だったよ」と言っていいのかちょっと疑問に思ってしまう。
なお印象深かったシーンは、弓弦が部屋にたくさん貼った動物の死体の写真を剥がしながら
「こうすればねーちゃんが死にたいと思わないと思った。」
と言ったシーンだ。
あの写真は、弓弦の一生懸命の励ましだったのだ。
それが良かったのかどうかはわからないが、というか俺はあんまりよくないと思った。
だが、俺の家族には障害者がいないから、わからない。
もし家族に障害者がいたら、必死に何が出来るか考えて色々なことをするだろう。
その行為の1つに弓弦のような一風変わった、けど一生懸命頑張って考えたことをするかもしれない。
それが他人から見たら奇異な行為でも、本人は必死に頑張ってるわけだ。
人と人がわかりあうのは本当に難しい。
絶対一度は見るべき映画だと思う。
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